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知的生産を「自分の想像を大事にしようとすること」と言い換える
自分の関心の領域を示すためには名前があってほしいので、これまで「知的生産界隈」などという表現で自分の関心を説明していたが、正直なところ「知的生産」という言葉は自分には合っていないので、言い換えを試みたい。
なお「知的生産」という表現自体については、『知的生産の技術』の著者である梅棹忠夫氏の生きた時代背景や意図が反映されているものであって(如何に先進的であったかを想像する必要がある)、今私が是非を云々できるような話ではないので置いておく。
私が考えるべきは、「知的生産」という言葉があろうがなかろうが結局のところ私がしていることは何なのかということである。
常々、今自分がやっていることは何であるかを自他に説明するのに苦労を感じているのだが、基本的には「考えたことを書き留めておく」ということだと言えるだろう。
今の世の中ではありとあらゆることがネタになり、別に社会の役に立たなくとも自分のキャリアに繋がらなくとも表現できさえすれば価値となり得る。他人の評価を待つまでもなく、自分が大事だと思えば自分にとっては既に価値がある。
更に、自分以外の人間にも何か影響をもたらしそうなものを公開できれば、自分に何のバックグラウンドもなくとも誰かの豊かさに貢献できる。それはインターネットが普及し、意志さえあれば誰もが表現者として存在できるようになった現代では当たり前のような奇跡である。
自分だけに留めるにしろ、誰かに伝えるにしろ、はたまた好き勝手呟いた結果他者に影響を及ぼすにしろ、まずは自分が考えたことを書き留めなくては始まらない。それもいつの間にかどこかにいってしまうような紙切れなどではなく、余程のことがない限り意思に反して消えてしまうようなことのない、それなりにちゃんとしたところに書く必要がある。便宜上「書く」と表現しているが、別に文でなくとも良いし、形式の如何はここでは些末な問題である。
私は考えたことを管理したいがためにテキストを扱う類のツールを試し続けてきた。タスクや知識の管理よりも、「きっとこれはこういうことなのだ」という自分の感想や仮説をうまく保存したかったのだ。
また、人に伝えたほうが自分が嬉しくなり得る時、ついでにブログやTwitterで公開してきた。最近ならScrapboxを比較的頻繁に更新している。変に読者を意識しない限りは、基本的にそれらは「ついでに」公開するものであって、あくまで自分の考えをこの世に留めておきたいという気持ちを第一として行われるものである。
たまに変な気を起こしてnoteなんかに漠然と読者像を思い描いて語りかけてしまったりするが、それは私にとっては結局不本意なものなので、できれば二度と読みたくない黒歴史になる。公開してしまった以上、それは客観的に見て知的生産の範疇に入るだろうが、読み返したくないものは自分の意識の中からは追放され、知的生産としての蓄積を半分失ってしまう。
話を戻すが、とにかく私の生活における「知的生産」とは、自分の中に生じたものをこの世に固定することであり、且つそれが自分にとって糧になるものであることを指している。
おおよそ指し示す範囲は明らかになったが、もう少し言い換えができそうである。
自分の中に生じたものとは、正確には自分の思考が生み出したものであって、炭水化物を食べたらブドウ糖を生じたとかいうことではない。また、自分の中に生じるものであるから、自分と無関係に存在する知識・事実の類でもない。つまり、端的に言ってしまえば自分の想像である。可能性が高めの推測かもしれないし、こうしようという意志かもしれないし、念の為の準備かもしれないが、いずれにせよ今この瞬間にしか全く同じものが存在し得ない頭の中の像あるいは状態のことを指す。
それをこの世に留めておくのが私にとっての知的生産の活動なのだが、しかし個人の知的生産活動としては、自分で自分の生産物を活用できない状態は上述の通りあまり意味がない。社会に対する知的生産活動と捉えるならば、何でも良いから公開すれば大抵何かしらの意味が生まれるのであって自分自身の納得は然程関係がないが、それは今論じたい領域ではない。よってここでは自分の生産物が自分の糧になることを前提としたい。つまり、自分の糧となることを期待して(というより確信して)、自分に対して生産をする、自分の想像を留めておくということである。
自分の糧になることを確信して自分の想像をこの世に留めるというのは、更に言い換えるならば「自分の想像を大事にしようとする」ということだろう。「大事にする」と「大事にしようとする」の間には少しの距離があるが、私のイメージとしては敢えて「大事にしようとする」を選択したい。理由としては、大事にしようという気持ちはあっても大事にすることそのものは失敗する可能性があるからである。感覚には個人差が大きいかもしれないところだが、せっかく書き残してもそれを探し出す手立てを失ってしまったとき、私は自分の想像を大事にできなかったと感じる。
ちなみに、「想像を大事にしようとする」と言いたいのにはもうひとつ理由がある。
私たちは数多の賢人の後に、あるいは同時に生きているのであり、天才でも何でもない身では「自分にしか言えないこと」などほとんどありはしない。自分の想像は誰かが検証しており、大抵は自分の知らないところでそこにいる人々の間での常識になっている。何を書いても内容に真に新しさが含まれることはほぼあり得ない。
しかし、何かを書こうとしたとき、そこには自分の人生に於いて今初めて生じた想像があるはずである。何かを思ったから、自分の頭の中にあるものをわざわざ残そうとしているのだ。もう少しはっきりさせると、実際に残したいと自覚している想像と、それを自分の頭に呼び出した想像とがあるのである。たとえ他の人にとってわかりきったことでも、自分の人生でそれが生まれたことには自分固有の経緯がある。それは全く別の事とも繋がっていく可能性があり、その経緯こそが自分の個性だと私は思っている。
つまり私は、毎日「自分の想像を大事にしようとする」という試みのためにツールと格闘し、自分の言語化能力とも格闘し、傷つけられずに人に手渡すために自分の文章化能力と格闘しているのである。
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