投稿先: https://noratetsu.blogspot.com/2022/12/omnibus2022a.html
よくわかるNoratetsu Lab(2022年版)~前編~
去年と同様に、一年の総集編として今年このブログに書いた全ての記事からそれぞれ一部分をピックアップしました。ちょっと多いので前後編に分けています。
なお2021年版はこちら→よくわかるNoratetsu Lab(2021年版)
番号の前にTがついているのはトンネルChannelに投稿したもの。
01:Scrapbox日誌:「整理したい病」には「放置」が効いた
複数の情報を扱う時、何かしらの観点で括れそうな気がすると括りたくなる。
物事と物事の間に共通点や相違点を見出すことは理解の基本であって、見出した瞬間には脳内に快感物質が出ている気もする。括れるところで括り、分けられるところで分けるのは気持ちが良いのである。
02:アウトライナー日誌:バレットを「┠」にしたらバレット感に邪魔されなくなった
アウトライナーを使いたいと思うということは、まず前提として「複数の独立した項目を同時に扱いたい」という要求があるだろう。項目同士が関係するかもしれないししないかもしれないが、とりあえず自分の視界から外れてしまうと忘却の危険があって困るので、つまり脳の機能上の制約を理由としてそれらを限られた範囲に同居させる必要がある。アウトライナーを使っている間、アウトライナーは私の視界そのものである。
03:Twitter日誌:同じ流れを繰り返してパブロフの犬になる
Twitterでツイートするということには「人に読んでもらう」という意識が伴い、話の流れに欠けがあると気になるため、その意識が「この後何か言うんだったような」という違和感となって手を伸ばし結びつきを作ってくれるように感じている。
04:ブログの書き方ド下手問題⑧~文章にするの面倒くさい問題~
つまり、メモするにあたって「これ」を名詞ではなく状態の変化として書き留めておくと後から文章にしやすくなるのではないか。しばしばブログ記事のタイトルに「○○したら△△になった」という形の表現が見られるが、それは要点としてとてもよくできていて、ただ読者を惹きつける手法としてだけではなく、後日文章を書く自分を惹きつける言い回しとしてメモに使うと有効に思える。変化を引き起こした事物そのものではなく自分自身の体験・体感にフォーカスしたメモを作るのである。
実際にできるようになったことの多さよりも、「できない気がする」と感じていた領域が無闇に果てしなかったのがある程度狭められたことが、自分の中では大きな意義に感じられる。
ゆえに、「線のアウトライナー」と「面のアウトライナー」の二つが必要なのではないか、と思うのである。万人に必要かはわからないが、とりあえず私には必要だったように思う。そしてマンダラートというアウトライナーとは一応別物として存在しているメソッドの形態が、アウトライン表示の追加やドラッグアンドドロップ操作の実装などにより、結果として「面のアウトライナー」と呼べそうなものになった。
07:座標のない平面
やはり「座標」の概念の有無は良くも悪くも大きな影響力を持っており、一口に「面」のツールと言っても「座標」の概念がどう扱われるかで情報の認識は随分変わる。前述のように「座標」があるツールは既に存在しており、少し前に自分でも付箋ツールを作った。それでもまだ手が届いていなかった領域が、「座標の影響力が限りなく小さい平面」だったのだろうと思う。
08:ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター① 自作ツール紹介編
(付箋ツールは)「この情報をどのくらい視界に留めておきたいか」というようなことをコントロールできるのが良い。ページやカードで内容が分かれてしまうものだと、その点であまりうまくいかなかったのである。
09: ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター② 生き方改革編
誰かがやってくれるのを待つしかなかった生活から、頑張れば自力でなんとかできる生活へとデジタルライフが転換したのである。何が何だかさっぱり分からなかった世界で主体性を手に入れたことは、精神的に劇的な変革をもたらしたと感じている。ますますデジタル化が進む中でも自分の生活をコントロールしていられるかもしれないという希望がある。
前の段落で、「プロジェクト」の語が伴う要素として「ある目的がある」「目的は達成される類のものである」「具体的な業務が計画・構成されている」という三点を整理した。(これは絶対的なものではなく、あくまで私の中のイメージの言語化である。)
事の規模の大小を無視すれば、これはあらゆる「タスク」が伴っている要素でもある。何かをやる必要があるという時、それは何か目的があるからであり、やればその目的の一部あるいは全てが達成されるもので、「やる」ということはつまり具体的な業務を実行することを意味している。「タスク」が特に「具体的な業務」の部分を指すならば、「タスク」と、そこにくっついている前提とを合わせたものが、「プロジェクト(という語の語感が引き連れている要素)」ということになる。
そういう変に神経質な人間なのに、プログラミングを全くわからなかった状態では「与えられたツールの使い方の工夫」という形でしか努力できず、したがって常に「なんか違う」という不満に悩まされていた。しかしプログラミング(JavaScript)を覚えたことでダイレクトに「自分のためのツール」を作れるようになり、初めてサイズの合った服を着れるようになったような気持ちでいる。作るのは大変だが、それでしか自分を助けられないとなれば頑張れる。
大分類・小分類・件名と三段階の分類がある。ただし、これらは「混ざると気持ち悪いものを混ぜない」「頭を使わずに探し出せるようにする」という為に設定するものであって、図書分類のように内容の種類によって分けるとかいうことではない。
前者はそもそも「ツリー」にしたいのであって「アウトライン」ではないかもしれない。しかし「ツリーを作れるツール」として身近で簡便なのが現状アウトライナーなので、ツールを選ぶ際にはアウトライナーが第一の候補になる。ただ、ツリー構造を作るのは簡単だが、それを維持・成長させることにアウトライナーが向いているとは限らない。枝葉の先ひとつひとつを自力で見回ってケアすることになってしまうからだ。
14:タイムライン型・カード型・デスクトップ型①~タイムライン型とカード型を使い分ける~
思索の根幹について文章を用いて使い回しのできる単位でまとめたものを豆論文(梅棹忠夫による)とかアトミックなノートと言ったりするが、そういうものの「小さな塊」の感じと、日々の出来事や自分の気持ちなどを「これ」と指し示せる形でまとめた時の「小さな塊」の感じを、どうも混同してしまっていた。両方とも「小さな塊」であることには違いないが、後からそれらの記述にアクセスする時、前者は「繰り返し使うもの」として取り出し、後者は「事実を確認するもの」として取り出す。そこには、粒度がある程度小さいということくらいしか共通点はなく、それらを交ぜてしまうのはビー玉と大豆を同じ袋に入れておくようなものに思える。
15:タイムライン型・カード型・デスクトップ型②~デスクトップ型~
目的に向かうためには、一度にできることはひとつである点で時間の流れというリニアな縛りへの対処を考えなくてはならない。一方で、何をしなければならないかを考えるには、同時に存在する物事や概念を俯瞰する必要もある。これを「縦の視点」と「横の視点」などとするとなんとなくビジネス感が漂うが、とはいえその二つが目的を達成するにあたり必ず要求されるものと思う。
一方でデジタルツールはどうか。Logseqに限らず、「表紙」にあたる部分はほとんどない。アプリケーションの起動時にはロゴが表示され、それがツールとしての表紙であろうが、そこには紙の表紙が担えた機能を一切付与させられない。デジタルツールはどれもリーガルパッドのように「いきなり紙面」のような形である。と言ってもいちいち表紙にあたるページをめくらされるのも煩わしいので、「いきなり紙面」であることが悪いというのではなく、デジタルツールの良いところでもある。ただ、「手前」にあたる場所がない、ということは、メタな記述をする場所として自然なスペースがないということでもある。
Evernoteが教えてくれたことがある。
ひとつは、「情報を得る」ということについて私は何も知らなかったということだ。「知らないよりは知っていた方が良いのかも」「覚えれば役に立ちそう」「私の関心にマッチしている」「絶対に必要な知識だ」、これらはいずれも「あ、」と思って自分の目に留まるが、それを全部同じように突っ込んで良いのかどうか。
大抵のことが「知らないよりは知っていた方が良い」ことだ。するとつまり大抵のことが網にかかってしまう。それを全部集めていたら、自分のEvernoteが地球か宇宙かになってしまう。自分でピックアップしている意味がない。少なくとも、自分のEvernoteというのが「個人的な関心に沿ったコレクション」なのか「自分の視界に入ったもので作り直した宇宙」なのか、意識した方が良いに違いない。
T02:インボックスを飛ばしたほうが良いわけではない、ということ
「多分必要」「多分価値がある」というような、弱々しい判断らしきものをしているがゆえに、多少は意識を向けたかのようなつもりになっていたわけですが、実際には何も考えていないに等しかったように思います。情報を見た時点で何かを「思った」かもしれませんが――いや、「感じた」に過ぎないかもしれません――少なくとも、「考えた」わけではありません。
アイデアというのはその人の自尊心などと固く結びついていて、切り離すことは感情的に難しいと思うし、切り離そうとするべきでもないだろう。企業で行うブレストは個人ではなく企業(ないし企業内のチーム)が主体だから成り立っているのであって、「知的生産を試みている者同士」で同じようにできるわけではないように思う。よって、「私たち語り」をするのであれば、知的生産の産物を発表し合う形でしかうまくいかないのではないだろうか。Twitterでならぽんぽん出てくるのも、それは「何月何日何時何分に私がこの言葉でこう述べた」という証拠が残るからであろう。
T03:Evernoteの用途と「Evernote体験」の質
Evernoteの有用性というのは、一番には「保存しておいたものをさっと取り出せる」というところに感じるものなのではないかと思う。そうできるシステムをEvernoteが備えているということと、そしてEvernoteを使う中でその良さを実際に体感するということで、ユーザーがその有用性を実感する。「さっと取り出せた」という体験をしなければ、Evernoteのシステムのすごさを頭で理解はしていても、それを実感できていないので、「ここがEvernoteの素晴らしいところだ」と惚れ込むこともなく不完全燃焼に終わるのかもしれない。
18:五十年残る文章を書く
つまり必要なのは、「渾身の文章」を捻り出そうとすることだ。内容のスケールは別に大きくないとしても(今日の朝ご飯の話でも良いのである)、「まあ大体言いたいこと言えてるし及第点だよね」みたいな軽さでちゃらっと書くのではなく、一文でもいいから地球に刻み込もうと思って書くということ。この文章を読むことでしか手に入らない何かがあるということ。「わかりやすい」「面白い」に留まらず、どこか独特な印象を残すということ。全ての人に満遍なく届かせようというのではなく、目の合った幾人かを掴んで離さないということ。
また、もしかすると個別のプログラミング言語の話や成果物の紹介よりも、「ツールというのはこれがああなってこうなってそうなるものということだ」的な、メカニズムの把握の仕方の方が「最初の一歩」の後押しとしては大事なのかもしれません。学校でプログラミング教育を受けていない私たちには、その部分にボコッと穴が空いている気がします。
19:ツール製作日誌:カード式アウトライナー③カードっていうかルーズリーフだった編
背景説明編にて自分で「Evernoteの本文部分がアウトライナーになっているようなものかもしれない」と書いたのだが、まさしくそうで、これはカテゴリとしてはEvernoteと同種のものだった。カードではなくノート(大学ノートやリングノートの意味での「ノート」)の流れである。私が「カードボックス」としてイメージした構造は、実際にはルーズリーフのバインダーだった。
アウトライナー部分がアウトライン構造から解放された状態というのが、このツールを作る前の時点では私の中でちょっと革命的だったし、「ばらせるもの」というイメージに基づいて「カード風」と捉えていた。実は「カード風」より「ルーズリーフのリフィル風」なのだというのは使ってみて初めてわかった。
そうなると、「自分を活かせそうなこと」ほどできなくなるおそれがあります。もしそうして大したことがなかったら耐えられないからです。その結果、わざわざ苦手な仕事をしたりして「そもそも活きるはずがないことだから失敗しても仕方ない」という保険を無意識にかけてしまったりもします。置かれた場所で咲きなさいという言葉がありますが(それもそれで尤もとは思いますが)、わざわざ咲きにくいところに自分を置いてしまう悲劇があります。「活かそうとしない」方が「活かしてみたけど大したことなかった」より一層損失は大きいと思うのですが、可能性が決定的に閉ざされる苦しみよりかは精神的にマシに思えてしまうことがあり得ます。
20:ツール製作日誌:プログラミングの勉強を開始して半年の振り返り
ツールのデータベースとしてローカルファイルを使えるということは、そのファイルがオンラインストレージ(Dropboxなど)にあればどの端末からもいつでも参照できるということである。(中略)つまり他のちゃんとしたツールとの間に橋が渡されたということであり、このことは自作ツールの可能性を大きく広げるものだと思う。
続きは後編へ。
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