Capacitiesをいじるのが楽しすぎて、記事も書かないでずっとCapacitiesをいじっている今日この頃です。

 最初はある程度説明書風に客観的な紹介を書こうとしていましたが、書いていてあまり面白くないし自分のサイトでやらなくてもいいと思ったので、いつものように私個人がどう使っているかにフォーカスして書いていくことにします。その中で機能の紹介もすることになるでしょう。

 

何に使っていないのか

 さて、何にどのようにして活用しているか色々と書けることはありますが、その前に、むしろ「何に使っていないのか」を書いておこうと思います。

 現時点で「これにだけは使っていない」と自覚していることがひとつあります。それは「(具体的な行動に結びつかない)アイデアメモ」です。最高のメモツールを求めて彷徨っている人にとってはむしろそれこそが上手く管理したいものであるかもしれませんが、とりあえず私はその用途ではCapacitiesを活用していません。

 理由としては、そのようなアイデアは自分がオブジェクトと思えるほど質量を伴わないからです。「あれ」と指し示せるものになっていないということです。個別のページにせずDaily Notesの中に書いてタグでも付けておく、というやり方はあり得ますが、それだとCapacitiesじゃなくてもいいので(Capacitiesでやってもいいのですが)、Capacitiesで扱う情報をクリアにする意味でCapacitiesにごちゃごちゃ書き込むことは避けています。

 

自分の人生に直結しているか

 扱う情報をクリアにすると書きましたが、そのニュアンスを伝えるためにはそもそもCapacitiesで何をしたいのかを明らかにすることが必要かもしれません。

 私がしたいことを一言で言えば、自分の人生に直接関わっていることの把握と管理です。私がすること、したこと、見たこと、知ったこと、好きなこと。あるいは、私とは如何なる人間であるかを掘り下げること。情報の種類を自由に定義できるCapacitiesは、その目的に非常にマッチしています。

 一方で具体的な行動を伴わないアイデアのメモというのは、自分の生活とは特に関係がない場合が多々あります。私がそれを思いついたということは私の人生の一部ではありますが、しかし、それを思いついていなくとも特に私の人生に変化はありません。変化が生じるとすればそのアイデアを元に何か行動を起こした場合で、その時にはもうアイデアではなくプロジェクトになっているでしょう。

 なお、何かのToDoやプロジェクトについての案を思いついたならそのオブジェクトの中に書きます。例えば「CapacitiesのPersonオブジェクトのコレクションはこうした方が良いのではないか」というようなことを思いついたとします。それは「Capacitiesを使う」という具体的な行動と直結しているわけなので、Capacitiesのページの中に書きます。この場合個別にページは作らないでトグルで畳む形を取ります。その案を私はひとつのオブジェクトとは思えないからです。

 

アイデアのゴールは文章

 また、素人ながらも一応こうして文章を書いている身からすると、唐突なアイデアというのは基本的に何かしらの文章になることがゴールになります。(しつこいようですが、具体的な行動を伴う案ならそれはもうアイデアメモではなくプロジェクトないしはその一部になるのです。)

 そうなると、文章を書くツール、あるいは文章を書く準備として使うツールに書いた方がよかろうと思います。

 私はDynalistに文章を書いてAPIを利用してデータを生成しているので、Dynalist以外に書いたものは扱いが面倒になってしまいます。例えばCapacitiesに記事本文を書いても、それをその後どうしようもないので、Capacitiesを書く拠点にする利点が何もありません。(これはたまたま私がDynalistを活用しているからというだけの話なので、Capacitiesを執筆拠点にすることが非現実的という話では全然ありません。)

 何かアイデアが思い浮かんでも到底文章にはなりそうにないかもしれませんし、実際文章にはならないアイデアの方が圧倒的に多いかと思いますが、じゃあ文章ではなく何になるのかと言えば、多分何にもならないので(何かになるならその行動のオブジェクトに書けばよいのです!)、アイデアを置くとすれば「文章になるかもしれないもの」の場所がよいだろうと思っています。ということを、Capacitiesを使い始めて「ここで扱う気にはならないな」と感じた時に気づきました。

 

では豆論文は

 「豆論文」については微妙なところです。豆論文は単なるメモとは違ってオブジェクトと言えるくらいになっているはずのものなので、Capacitiesで扱うことに大きな違和感はありません。しかし自分の人生に直接結びついているかというとあまりそうとは言えず、私のCapacitiesの中では浮いている感じがします。

 ただしこれは、その豆論文というのが自分のライフワークといまひとつ関わっていないことが原因でしょう。例えば梅棹忠夫のように自分の仕事として自分の足で歩いておこなったフィールドワークについてのものならば、何も違和感なく自分の人生の一部と思えるはずです。

 一口に思索と言っても、その中には自分の人生に直に関わるものとそうではないものがあります。同じことを考えても立場によって変わってしまうこともあるでしょう。その間にある線が、私にとってはCapacitiesの内と外を区切る境界になっています。

 より適切な場所を思いついているわけでもないのでまだ曖昧に漂っていますが、多分、Cosense(Scrapbox)か何かの方が相応しい気がします。まだ「とりあえずCapacitiesに移してみよう」と思ってやってみて感触を確かめているところなので引越はしていませんが、そのうち別のツールに移るかもしれません。

 

混ざってほしくないということ

 重要なのは、Capacitiesがあることで他のツールの使い方も明確になることです。Capacitiesで混ざってほしくないものは、Capacities以外でも混ざってほしくなかったものです。しかしこれまでは境界が自分でわからなかったのでごちゃごちゃと突っ込んでは「なんか違うんだよなあ」と思い続けてきました。Capacitiesを使うことは、自分が無意識に仕分けているもののルールを知る助けになると思っています。

 豆論文は別のツールに移すかもと書きましたが、Capacitiesはオブジェクトベースという思想によって情報の混在が相互にノイズになりづらくなっています。なのでしばらくは様子を見て、いよいよとなってから考えようと思います。

 

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