最近LogseqのAndroid版を活用し始めた(参考:Android版のインストール - Logseq日本語マニュアル(非公式))。Logseq自体は結構前にWeb版を使っていた時期があるが、今再び使い始めて、以前には見えなかったことが見えてきたので整理したいと思う。(Logseqの具体的な使い方の話というわけではありません。)

 

 前にLogseqを使っていた時と今とで決定的に違っているのは、自分でツールを作るようになったという点である。誰かが作ってくれたツールを眺めて「このツールでできること」を察してそれに適応していく、という在り方ではなく、自分の中を眺めて自分に必要なことを見出してそれをツールにする、というのが現在の自分にとって標準の思考回路になっている。ツールがなければ作ればいいので、無理して既存のツールの力を引き出そうとかいうことはしなくて良くなったということだ。(とはいえ理想のツールを自在に作れるほどの力があるわけではない。)

 その結果、各ツールについて、「最も向いていること」だけをそれに担わせればいいや、というふうにシンプルに考えられるようになった。他の形態の方が良さそうなことまでもを頑張って兼ねようとしたり、更にはオールインワンを目指したりという気持ちが薄くなった。また、各ツールで作られるデータをそれぞれ何らかの形でエクスポートさせてもらえるならば、プログラムを介してどうにかすればおおよそ統一した形式のものに作り替えられるだろうという発想も生まれた。実際にそういうプログラムを書いたわけではないが、「いざとなればどうにかなるだろう」という余裕はツール選択を自由なものにさせてくれるという実感がある。

 

 前回、「カード式アウトライナー」を作ったということを書いたツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編。情報の単位は「カード」で、分類ごとのカードボックスに整然とカードが並んでいるような見た目になっている。(他方、例えばScrapboxはそういう形で「整然と並ぶ」ということがないので、「カード式」と言ってもそこには大きな違いがある。)

 これを作ったことで自分の中ではかなり多くのことに整理上の片がついたのだが、一方でこの形式ではどうしてもやりにくいことというのがある。時系列と密接に関わる情報、ひとことで言えば日記的な記述の扱いである。

 日記帳は「日記帳」であり、「日記カード」という言い方は耳にしない。カード状にすることにあまりメリットがないのだと思う。日々のトピックをカード状にして記録するというのはあり得るが私も実際にScrapboxでそうした時期があったが、何月何日という日単位のカードを作ってもそれを有効に使える場面は想像できない。Scrapboxに何度かそういう単位のページを作って失敗に終わった経験がある。

 それにもかかわらず、なんとなくそういうことをしたくなるというのを過去繰り返してきたのだが、その原因というのは「この日」「この出来事」「この記述」を指し示して取り出せる形式であってほしいからではなかったかと思う。シンプルなプレーンテキストや紙の日記帳だと、後から「あの記述」と言って特定箇所を指し示してリンクさせることが難しい。「あの種類の出来事」をピックアップするのもやや面倒である。プレーンテキストならgrep検索という手はあるが、あくまで行単位であってこちらのイメージするブロック単位でぽんと出してくれるわけではないので、検索結果の表示にはどことなくもどかしい感じがする。ツイート検索のようなことがなかなかできないのである。

 そこに革命的な発想をもたらしたのがRoam Researchだったのだろうと思う。特別な独自ルールによる工夫をあれこれ凝らさなくとも、直感的に「後から見返しやすいデータ」を作ることができる。

 Roam Researchはデイリーページがシームレスに一続きに表示され、且つリンク型ネットワークを構築でき、更に各ページで「このページに対する言及」を確認できることで、「あの記述」「あの種類の出来事」を指し示したり取り出したりすることがごく容易にできるのだ。すごいツールが現れたぞ、と当時は思ったものである。

 

 しかしながら、これはすごいぞと思ってRoam Researchや(その影響を受けていることが明らかな)Logseqを使ってみたものの、当時はそのすごさをうまく活かせなかった。大方「全部を担わせようとした」ということが原因だが、すごさに夢を見過ぎるあまり、情報の質というものの区別を付けられなくなっていたようだ。

 思索の根幹について文章を用いて使い回しのできる単位でまとめたものを豆論文(梅棹忠夫による)とかアトミックなノートと言ったりするが、そういうものの「小さな塊」の感じと、日々の出来事や自分の気持ちなどを「これ」と指し示せる形でまとめた時の「小さな塊」の感じを、どうも混同してしまっていた。両方とも「小さな塊」であることには違いないが、後からそれらの記述にアクセスする時、前者は「繰り返し使うもの」として取り出し、後者は「事実を確認するもの」として取り出す。そこには、粒度がある程度小さいということくらいしか共通点はなく、それらを交ぜてしまうのはビー玉と大豆を同じ袋に入れておくようなものに思える。

 同じ袋に入っていても工夫次第ではうまく分けて扱うこともできるため、この混在がただちに悪ということではないが、この状態に対して無自覚でいると「なんか微妙」などと言ってよくわからないままツールからフェードアウトしたりするおそれがあるように思う。

 

 とりあえず私自身のことを言えば、「ツールをひとつにまとめたい」と思うあまり一箇所にごちゃごちゃ集めがちな一方、その割に混在した状態を好ましく思わないタイプのようである。その矛盾はScrapboxとの格闘にも現れていることだが、冒頭に書いたようにツールの自作の試みを通して「理想の(あるいは自然な)区分」を突き詰めて考えるようになったことで、「ここには必ず線を引くべき」というところが見えてきた。

 その線のひとつが、「カード(≒思索・引用)」と「タイムライン(≒日記的な記述)」の区分である。

 その両者が性質的に異なるのはもはや当たり前のことかもしれないが、種々のアウトライナーにしろScrapboxにしろEvernoteにしろ、何らかの万能なデジタルツールをメインの拠点として考えると、書き手が自分一人である以上必然的に交ざってしまうように思う。ツールの設計として、そこに当たり前に線を引くようにはできていない。境界を設けるかどうかはユーザーの意思にかかっている。私には「絶対に交ぜない」というくらいの強い意識が必要で、各ツールについて「最も向いていること」だけを担わせようと思えるようになって初めてそれが可能になった。(普通にできている人は最初から何も迷うことなくそうできているのだと思う。)

 ということで、カード型の記述は自作の「カード式アウトライナー」に、タイムライン型の記述はLogseqにするとはっきり決めることにした。Logseqはカード型の記述もうまくできるようになっているが、兼ねられるからといって兼ねてしまうと遅かれ早かれ混乱が私を襲うので、敢えて機能を活かしきらないという決心をして日誌欄のためだけに使うことにする。逆に「カード式アウトライナー」については、一瞬気の迷いを起こして「一週間の俯瞰モード」などを実装しようかと考えもしたが、そういうことは一切やめて、カードをカードとして使うことに集中する。

 

 まだ「そうした方が良さそうである」という段階で、この決心が正解か否かはもう少し経ってからでないとはっきり判らないが、これまでに情報管理の在り方を考えた時と比べて強い確信を持てているような気がするので少し期待している。

 

 タイトルにある「デスクトップ型」については次回。

 

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