これまた年単位で前のものですが、こちらを聞き返しました。

 話の趣旨に沿っていたり沿っていなかったりな感想的メモを残しておこうと思う。

 この中で、ざっくり要約すると「アトミックなノートを増やしていくことは、文脈の産物である『コンテンツ』を育てることとは直接は関係していない」というようなことが語られていた。アトミックなノートを集めればそれがそのまま意味のある文章になるわけではない。

 

 このことは自分の体感としても全くもってその通りだなと思う。

 アトミックなノートを直接文章にしようとすると迷走する可能性があるが(自分なりのメッセージがないからだろう)、しかしそのまま文章にできないからといってそういうノートを作ることをしないでいると文章も生み出せない。最近私が考えていた区切りで言うと「知の箱」に入るべきもので、これは自分の土台を作るものだ。最終的に豊かな表現をするためには、それができるような豊かな人間になる必要があり、それを支えてくれるものだろう。

 アトミックなノートとして書かれるものはおそらく論理的なものが多いし、「後で使えるようにする」という意識が働くものでもあるので、「豊か」という形容詞とは結びつきにくいかもしれないが、つまるところより広くより深く物事を考えられる人間になるために作るものであろうし、やはりそれは「豊か」になることを目指しているものと言っていいと思う。五藤隆介さんも『アトミック・シンキング』にてその目的を「考える能力を拡張すること」とお書きになっている。

 で、これはつまり「土壌」なのだと思う。あくまで「土」であり、じつは「種」ではないのだ。「種」だと思って膨らませようとしても、「芽」が出るのではなくて「良い土」になっていくのであり、表現としての文章にはなっていかない。考え事は進むのになぜか文章に繋がらないということが時々あるのだが、それはこういうことなのだと思う。

 良い土になっても「種」がなければ一向に芽は出ない。「種」というのは自分なりの文脈であり、自分の価値観に基づいて自分や他者をどこかに連れて行くための根源である。良い土に種を蒔けば、それは芽を出し大きく育つ可能性が高くなる。

 「土」と「種」という比喩には目新しいものはないだろうが、「アトミックなノートはあくまで土である」という認識を持ったことで、それがなぜコンテンツづくりと混同されてはならないかが自分の中で明確になった。非文脈的というのは、要は自分の価値観を軸にしないということだ。自分が何を理解したいのか、何を伝達したいのか、ということを踏まえて有機的にノートを作ると、それは自分が持つ文脈に沿ったものになり、アトミックにはなっていかないだろう。

 

 ただし、アトミックなノート(=非文脈的ノート)は「土」だが、「土」は必ず非文脈的というわけではないと思う。ある概念を文脈から解放しておくことはその概念を生かすことを楽にするとは思うが、文脈と結びついたまま扱うことの方が自然な人間にとっては、むしろ文脈と切り離すことに無理して労力を費やすより、文脈とセットにしたまま保存しておいて「使う時に切り離す」方が良いのかもしれない。例えば「要するに」と言いたい人間かそうじゃないかという違いは事実あって、その性質的な違いが存在するのなら情報の扱い方もその間で違っているのではないかと感じる。

 アウトライナーに何かを書いていく時、「これはつまりこういうことだ」と思ったら、多くの場合「これ」を示す項目の子項目に「つまりこういうこと」の内容を書くことになるだろう。その部分だけ取り出してカード化すればアトミックなノートになると思うが、取り出してカードにした方が嬉しいかというのは人によるかもしれないと思っている。せっかくカード化しても、その内容を思い出そうとした時にはその文脈(例えば読書メモなど)の記述を探した方が遥かに速いということもあり得る。

 というか、見た目にアトミックっぽいカード的なノートを作らなくても、頭の中で文脈とともにアトミックな理解が保存されている場合もあるだろう。アトミックに書くのが難しいと感じていても、何かを咀嚼した上で自分の言葉で何かを語ることに不自由していないのならば、それは実際は文脈から切り離して考えることに苦労するタイプではないようにも思う。つまり、「文脈A→文脈無し→文脈B」の工程を経るのは難しいが「文脈A→文脈B」の変換に苦労はないということだ。アトミックなノーティングは苦手でもアトミックなシンキングはむしろ無意識レベルで当たり前にやっている可能性もある。

 今ふと思ったが、もしかするとAnkiを活かせる人とそうでもない人との差もそういうところにあるかもしれない(実際そうかは全然わからない)。ちなみに私はAnkiに挫折している。

 

 そういえば、うちあわせCastのこの回でTak.さんが「カードに書いていくと一枚で完結できずスレッドになってしまう」という旨のお話をしていて、これは自分にとってはツイートについて抱えていた悩みと同じだなと思った(考え事をTwitterでやった後にその一連のつぶやきをどうするかに迷う)。このことについてはまた別に考えようと思う。

 

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