うちあわせCastの第百五十回を拝聴しました。
直接の感想というのではないけれど、カードというものについて自分なりに改めて考えておこうと思ったので、これを機に書いてみることにする。
なお、前に情報カード性とは何かということについて一度書いたことがある。
情報カードが持つ要素
まず情報カードが持つ要素とその利点として自分が思いつくものを列挙してみる。
個々の境界が明確である
- 「これ」と指して扱うことができる
紙面を有限化する
- 取り扱い可能な粒度に収めることを促す
二次元に敷き詰められる
- 視界に入る情報を多くすることができる
二次元に自由配置できる
- 位置によって情報にイメージを与えられる
重ねて束ねられる
- まとまりを認識しやすくなる
順番を自由に変更できる
- 文脈を整理することができる
構造から自由である
- 他の任意の情報と同時に扱える
複数種類の情報をひとつの単位にまとめられる
- タイトル、本文、区分、日時等
また、ノートツールとして一般的なものについて、独断と偏見に基づき各要素の得意不得意を整理してみる。新興ツールはあまり使っていないので定番のもののみ。
異論はあるかもしれないが厳密にどうであるかは重要でないので、あまり気にしないでほしい。
情報カードはもちろん全て満たしているとして、他の道具あるいはデジタルツールは全部を備えることはなかなかない。全てクリアしなければならないわけでもないと思うので別に「欠いている」ということではないのだが、何かしらの要素の不足により情報カードと同じようには使えないかもしれないということは気に留める必要があるだろう。
また、そもそもこれらの要素を備えたデジタルツールがあってもそれを情報カードと同じように操作できるとは限らない(後述する)。
なぜカードがほしいのか
で、カードであることの何が嬉しいかというと、情報をオブジェクトとして扱えること、そしてそのオブジェクトに任意の文脈を持たせられることだろうと思う。
他の情報と組み合わせたり、他の情報との並びによって意味を生み出したりする場合には、自由に移動できるカードが都合が良い。ただしカードでなければできないことではないし、別に全てを外に書き出してやらずに自分の脳みその中で完結する部分があってもよいのだから、カードの活用が必須というわけではない。
そしてカードが良いと感じたとしても、それをどう扱うかはまたそれぞれだろう。平面に並べたい人もいれば、順番を替えられればいい人もいる。それはおそらく個々人の性質(例えば認知特性など)によるほか、カードを使って何を達成しようとしているかという目的の違いが大きく関わっていると思う。
カードに書き溜めたもののゴールはどこにあるのか。文章を書くことなのか、何かを理解したり見出したりすることなのか、書き溜めること自体が目的なのか。もちろん正解はない。ただし、うちあわせCastで梅棹忠夫のカードとニクラス・ルーマンのZettelkastenの違いが語られていたように、カードを活用している先達がそれぞれ異なる目的でカードを扱っている可能性があることを踏まえておく必要はあるのだろう。
カードを使うこととネットワーク型の情報管理をすることは別に全然イコールではないということも大事なポイントかもしれない。これはデジタル世代ゆえに発生する混乱に思える。
個人的な使い分け
ちなみに、私はScrapboxのホーム画面のように二次元にカードを敷き詰めるタイル状のビューを前までよく使っていた。それは以下の二点を満たすためだ。
どこからどこまでがひとかたまりの情報かの判断に認知資源を消費しないためにカード状に切り分けたい
より多くの情報を一度に視界に入れたい
一つ目はどういうことかというと、例えばアウトライナーに何か書いていったとすると情報の区切りは一目瞭然とはいかない。親項目を閉じれば良いかもしれないが、私はあまり几帳面に開閉しないタイプなので、情報のまとまりを意識したい場合にはツールの方でそれを表現してくれるものの方が助かる。
これはデータの形式の問題なので、そうやって切り分けた情報を一覧する方法としては縦一列に並べたリストもあり得るが、二つ目を満たすためにカードを敷き詰める形を選択した。規格化された見た目であることも認知資源の空費を防いでくれる。
逆に、カードにするといちいちオブジェクトとして存在感を持ってしまうことになるから、はっきり区切りを意識する必要がない場合は、普通のノートやアウトライナー、プレーンテキストのようなツールで扱った方が自然に感じる。
また、自動整列のタイル状ビューではなく付箋ツール的なものを使うという選択肢もあるが、配置があまりに自由過ぎてしまうと、「位置に意味を持たせられる」という利点と引き換えに「位置に意識を向けなければならない」という欠点も発生するため、明確に位置に意味を持たせたい場合以外は自由配置のツールは使わないようにしている。
デジタルでは失われること
ところで、デジタルでカード的なものを扱う意義というのが今回のうちあわせCastのテーマだったと思うけれども、無限に増え続ける情報を扱うにあたってはデジタルツールを使うのが現実的だが、やはりデジタルではどうしても失われる要素がある。
アナログなら自分の視野の広さの分だけ視界に入るが、デジタルでは画面サイズに限られる
アナログなら広げたカードを簡単に集めたりまとめたりできるが、デジタルでは移動が不自由である
アナログなら任意の範囲のカードを自由な速さで繰って確認できるが、デジタルではアナログほど直感的にはできない
二番目は要するに、机上にある任意のカードを手でガッと集めるというようなことを、デジタルでは再現しにくいということだ。「表示しているカードを全部回収する」みたいなコマンドを作ることは可能だが、その都度自由な尺度で任意のカードを集めるということを再現するのは容易でない。そのように「手でやった方が速い」という操作が様々ある。
三番目も「手でやった方が速い」という話で、特定の範囲のカード群をちょっと見返したいというような時に、紙なら適当に掴み取れば済むものを、デジタルだと適切に範囲を指定するなどの手間が必要になる。
デジタルツールに於いて或る見た目を実現可能だとしても、その見た目と別の見た目との行き来にどうしても不自由する。例えば刑事ドラマでよく見るホワイトボードのように情報を「ひとつずつ足したり引いたり」で更新するものならデジタルで代替して良いのだが、頻繁に全体のレイアウトを変えるような使い方は現状デジタルツールはあまり向いていない気がする。(誤解のないように補足すると、複数のレイアウトを保存してその間で「切り替える」のならデジタルツールは非常に力を発揮するが、今言いたいのはそういう意味での見た目の行き来ではなく、机の上でああでもないこうでもないとカードをダイナミックに動かすような操作のことである。)
なので、それをデジタルで叶えようと奮闘してもなかなか答えは見つからない。付箋ツールの類は操作性の面で色々と工夫されているが、各カードが持つ情報量で考えるとそれはカードというよりあくまで付箋だろうと思う。
逆に、言わずもがなのことだが、デジタルでは「全データから条件に合うものを抽出する」ということが可能になるわけで、デジタルのカード型ツールというのはそれを如何に活かせるかがポイントになりそうだ。うちあわせCast内でも話の結論としてScrapboxの関連ページ欄について言及されていたが、そのような仕組みによって、能動的に探さなくても「パラパラ繰って見返す」と似た効果を得られるようにするのがやはり重要なのだろうと思う。
まとめ?
デジタルだと必ず失われてしまう自由というのがおそらくあって、もしそこに「自分がカードを使いたい理由」が関わっているならば、無理してデジタルでやらないで紙のカードを活用することを考えた方がいいということかもしれない。
とはいえ情報管理の全てを紙でまかなうのはもはや現実的ではないだろうし、アナログ感が必須なわけではない情報についてはデジタルツールを使った方が後々自分が助かる。しかし漠然と「カードっぽいのがいいな」と思っても、そのうちのどの要素を満たされたいのかがわからないとツール選びに迷走すると思うので、最初に整理したように要素をピックアップして照らし合わせると良いかもしれない。
デジタルツールの最大のメリットは「無限に追加できる」ことと「全データから条件を満たすものを抽出できる」ことにある。それと「カード」という形式を掛け合わせた時、アナログな存在である自分を補助する仕組みとしては、「パラパラ繰って見返す候補」を自動で抽出して表示してくれるのが理想なのではないかと思う。「カードを並べる」感じや「パラパラ繰る」感じをどれほど紙のカードの感覚に寄せるかは好みの問題だろう。
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