Twitterの知的好奇心向上委員会というコミュニティでやり取りする間に気づいたことのメモ。お話してくれた方々ありがとうございます!

 

 前回ツール製作日誌:「面のアウトライナー」、マンダラート風ツールを作っていったら「面のアウトライナー」ができたという話をした。これを使って読書メモを取ってみたところ、通常のアウトライナーとはちょっと違う感触があった。

 通常のアウトライナーでは、インデントで構造化できるにしても位置関係としては項目を上から下の一方向に並べることになる。このことによって、項目をアウトライナーに加えていく時、時系列がある内容なら時系列順、何かの記載からの転記なら記載の登場順に並べる、というのを私は当たり前にしたくなってしまう。その順序を崩すには「既存の順序ではなく自分の基準で並べ直すぞ」という気合を必要とする。

 しかし「面のアウトライナー」、つまり3×3のマスの中で中心テーマから八方向に伸びる形式でメモを取ると、その順序に囚われにくくなる感じがする。

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 これは例とも言い難い適当なイメージだが、とりあえず「上から順」という形式から解放されることで、記載順に並べていきたい気持ちが随分薄れる。最大八個のこの項目たちは何らかのテーマでまとめられているわけだが(この例では章立て)、テーマに即して収まっているその中ならどこに位置づけても構わない感じがする。マインドマップや、何かの紙に書いた"几帳面でない"感じのメモと似た自由さがある。

 ボトムアップで構造の練り直しをしよう、というふうに意気込まなくても、敢えてルールを決めて左上から並べようとかしなければ、直感的に右とか左下とかに記述することにそれほど気力を使わない。あるべき序列的なものに逆らっている感じが無いのである。

 

 このような感触について呟いたところ、自分はアウトライナーに「上から順番」という印象をあまり抱かず、むしろ平面より自由を感じる、という旨のお話をいただいた。私からするとアウトライナーに余計な縛りを感じないことが大変羨ましく、感覚の差異がとても興味深い。

 あれこれ考えた結果、平面に対する感覚の分け目として、平面に固定的な「座標」をイメージするか否かの違いがありそうだという結論にひとまず達した。個人の推測だが、数学的イメージに馴染みが深いと「面」や「空間」に座標をイメージしやすく、数学的イメージと縁遠いとイメージしにくいのかもしれないと思う。私の中では、「面」や「空間」は要素が相対的な位置関係を持って漂う場としてイメージされ、明らかに「配置」や「貼り付け」のような操作をするのでない限りは絶対的な位置のイメージを持たない。

 アウトライナーやプレーンテキストのように行が並んでいくことを「位置づけの概念が薄いので要素をフラットに認識できる」と感じる場合、「面のアウトライナー」はそこに「位置づけ」を足してしまうので「座標」感が入り込んできてしまう。

 逆に行が上から下に並んでいくことを「自由に配置したいものをやむなく上下に整列させている」と感じる場合、「面のアウトライナー」は「上下」の概念から解放させてくれるので「座標」感はむしろ減るだろう(ゼロにはならないとしても)

 ということで、「線のアウトライナー」と「面のアウトライナー」との間で「自由」の感覚がどう変化するかは個々人で差が出るところだろうと感じている。「面のアウトライナー」について前回「万人に必要かはわからないが」と断ったわけだが、やはりそこには人それぞれの違いがあるのだろうと思う。

 

 このようにマンダラート風の「面のアウトライナー」は「座標」をイメージするかどうかの境界上にあるが、一方で「付箋ツール」や「マインドマップ」については明らかに「座標」のあるツールだと言えるだろう。

 それぞれの要素には厳密に「位置」があり、要素間の距離や方向に意味を感じないわけにいかない。近ければ関連度が高く遠ければ関係性は薄いのが基本的には自然だろうし、上にあるか下にあるか、左にあるか右にあるか、前面にあるか背面にあるか、それぞれに何らかのイメージを伴う。「今は位置関係に意味を持たせない」と決めて扱うことは可能だが、そう意識しなければ自然とイメージに基づいて要素の配置を決めていくことになるだろう。

 配置にイメージを感じ取って意味づけしていくのは、共通点と相違点の濃淡を見極めたり連想を膨らませたりすることに貢献するし、全体を絵として見ると視覚的にも覚えやすい。とりわけ手書きのマインドマップは愛着も湧くだろう。

 逆に、これらは要素の配置が常にイメージを持ってしまうとも言える。いちいち悩んでいるつもりはなくとも、どの方向にどの程度の距離で位置づけるかは考えなくてはならないし、「この要素よりこっちの要素が近くにあった方がしっくりくる」といったことで微調整をしたくなるかもしれない。要素をひとつ動かすと連動して他のものをずらしたくなったりもする。

 

 一瞬「面のアウトライナー」の話に戻るが、81マスの俯瞰モードにした時、9個ある3×3のそれぞれの中では八方向のどの位置に何があるかに意味がある可能性があるが、例えば左上の3×3の右上マスとその隣の3×3の左上マスが隣り合っていることにはほとんど意味を見出さない。(言わんとしているのはスクリーンショット上部やや左の2マスのことである)

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 よく考えるとこれは少し不思議な感じがする。近い位置にあるのは確かなのに、近いということを認識しない。端から別の箱に入った別の領域のものと思って見ているから物理的な近さを気に留めないのだろう。

 他方、付箋ツール的なものでグループを作っていったとして、グループAとグループBが隣り合っていた場合、グループAの中でグループB寄りの位置に置いてあるものは、グループAの要素の中で最もグループBと関連性のあるものにしたくなる。すぐ隣だけど違う箱だし、とはあまりならない。気にしないと決めれば別だが、そうでないなら「せっかく近いんだし、どうせなら近い感じのものを近づけて置いておこう」となる。

 やはり「座標」の概念の有無は良くも悪くも大きな影響力を持っており、一口に「面」のツールと言っても「座標」の概念がどう扱われるかで情報の認識は随分変わる。前述のように「座標」があるツールは既に存在しており、少し前に自分でも付箋ツールを作った。それでもまだ手が届いていなかった領域が、「座標の影響力が限りなく小さい平面」だったのだろうと思う。

 

 ふと思い出したが、Frieve EditorというWindows用のアイデアプロセッサーがある。非常に斬新な発想の素晴らしいツールで、少し前まで時折活用していた。

 このツールは要素間にリンクを設定でき、リンクが繋がった状態で要素の配置をアニメーションで動かすことができる。見た目としてはふわふわ浮いているような状態で、どれかをドラッグするとその位置に応じて項目が動く。今考えると、こうすることで「座標」によらない「関係」だけを可視化していたと言える。

 ただ、その都度位置を動かれると把握に認知資源を消費してしまい、基本的に配置を固定して使っていた。マインドマップとして見ていたこともあって、アニメーションを使うと自分のイメージ通りに配置できないことに不自由さを感じてしまい、結局手動で配置することも多かった。それではツールの真価を発揮させられていなかったのかもしれないと今なら思う。

 

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