結構前のものですがうちあわせCastを聞いていて考えたこと。
メモ術・ノート術・執筆術の三つがあるよね、というお話をされていた。そのお話でのメインテーマからはちょっと外れるが、メモ・ノート・執筆の三つの場はツールを混在させると混乱するポイントだろうと思ったので、それらの境界がどこにあってツールは何を選択すべきなのか自分なりに考えてみようと思う。うちあわせCastその他で語られていることと多分同じことを自分の表現で言っているだけになるだろう。
メモ、ノート、書き物と文脈
さて、メモ・ノート・執筆のままだとちょっと話が曖昧になるというか、例えば執筆のためには当然メモもノートも作るわけなので、まず「メモが生まれる時」「ノートを作る時」「書き物をする時」という観点で考えてみる。これらはいずれも自分の頭の中で起きた知的反応を文字にして書き残すということをしている状態だが、その知的反応にまつわる文脈の状態は全て違っている。(「書き物」はつまり人が読む文章のことだが、単に文章と書くとニュアンスが曖昧になる気がしたため書き物とした。)
メモが生まれる時:文脈はその瞬間の環境にある
ノートを作る時:文脈は既に記述されているか、ほぼ自明のこととして自分の中にある
書き物をする時:文脈は自分の中にメッセージとして存在している
生まれたメモがすぐ死んでしまうのは文脈が「その瞬間の頭の中」にしかないからであろう。その瞬間に自分がどういう状況にあり、何を考えていたのか、きちんと書き留めておかなければ後から確かめる術がない。
ノートを作る場合は、ノートを作ろうとしている時点で文脈が既にはっきりしている。そしてノートを作っている途中で起こる知的反応は既に記述されているものとの繋がりがおおよそ明らかであり、ある程度の言語化を心がければそれがすっかり死んでしまうことはない。前回書いたように(「文脈エディタ」としてのアウトライナー)、アウトライナーを使ってアウトラインとして書き残しておけば鮮度はかなり保存される。ただし、その時点で自明だと思っている文脈も時が経てば次第にその力が弱まっていく可能性が大いにあるので、あまりにも記述を横着してしまうとやはりそのうち死んでしまう。単語だけで済ませないことはどの形態でも必要な心がけだろう。
書き物をする時は当然ながら文脈が既に存在している。文脈がないならばそもそも書き物をしようということにならない。書き物とは文脈を人が読める形に整えていく仕事であり、新たに文字にしたものはその前に書いたことと当たり前に関連している。
何が言いたいかというと、自分の頭の中に何かが生まれた時に、それについての文脈を明らかにするために新たに費やす必要のある労力が違っているということだ。既に文脈が書かれていれば文脈を明らかにするコストはあまりかからない。何の脈絡もない思いつきはどこにも文脈が書かれていないせいで文脈の明示には大きなコストがかかる。
可能ならば、メモが生まれた時にそれが繋がるべき文脈が既に言葉になって存在していてほしい。それができるならそれはもうメモではなくノートだろう、と言われそうだが、その通りで、つまりメモがスムーズにノートになってほしい。(これは「最終的にノートになってほしいメモ」に限っての話で、すぐに用が済むようなものは別だ。)
逆に言えば、何か思いついたものが既存の文脈とどのように繋がっているかが、それが「メモ」「ノート」「書き物」のいずれであるかを決めているようにも思う。
メモの一文:言語化された文脈と十分に接続していない
ノート内の一文:自分が理解可能な形で言語化された文脈と十分に接続している
書き物内の一文:他者が理解可能な形で言語化された文脈と十分に接続している
言語化という言葉はあまり好きでないが、こだわって意味が不明瞭になっても困るので、「読んで理解できる文にしてある」という意味で「言語化された」と書いている。また「十分に接続している」とは、その一文の意味を時間が経っても解凍可能な程度にその文脈に支えられていることを意味している。
同じ一文を書いたとしても、単独でインボックスに入っていればメモだし、ノートの中に位置づけられていればノートの要素だし、他者ないしは未来の自分が読むための文章に組み込まれれば書き物の要素になる。
もうちょっと言い換えてみよう。
メモ=各文が文脈を形成するとは限らず、かつ既に言語化された文脈と十分に接続していない
ノート=各文が自分に理解可能な形で文脈を形成し、互いに十分に接続している
書き物=各文が他者に理解可能な形で文脈を形成し、互いに十分に接続している
執筆には、書き物そのもの(=本文)と、取材や構想などのノート、そして書き物に関わるアイデアなどのメモとが必要になる。文脈がない状態から自分がわかる状態に変え、そして他者がわかる状態に変えていくことになるだろう。
メモを死なせないために
メモを長い間生かすためには、その一文が既に言語化されている文脈と十分に接続することが重要ということになる。つまり小さいノートに変身させるということだ。なお速やかに消費する種のメモはいちいちその労を払う必要はない。
例えば「メモとノートと書き物は分けて考える」という閃きが生まれたとして、そのままでは「なんで?」というのがわからない。そのうち何がしたかったのか忘れてしまうだろう。そしてメモは死んでしまう。でも、仮に「デジタルノートツールを適切に使い分けたい」という言語化された文脈と接続すれば、なぜごっちゃにしちゃまずいのかがわかる。縦しんばその時点にあった「どう分けるべきか」のイメージを忘れたとしても、そのメモはHPを半分くらい保った状態で生き残るように思われる。
辛いのは、メモが生まれた時にその文脈を全く言葉にしたことがなかったパターンだ。しかし、なぜ文脈が言葉になっていないのだろうか。自分の生活とは全く関係ない思いつきが急に降ってきたというのなら仕方がない。実際にそれまでその文脈が自分の中に存在していなかったのだから先んじて言葉にしているはずもない。しかしそうでなければ、文脈自体は既にあるにもかかわらず、それが言葉になっていないということになる。
といって、今自分はどんな文脈の中にいるのか、と問うてもなかなか言葉は出てこないだろう。ここで有効なのがフリーライティングではないかと思う。で、フリーライティングした後に自分のいる文脈を整理しておく。そしてメモが生まれた時に自分の文脈のどれと関わっているのかを照らし、関連があれば結びつける。タグにすると管理が大変なので(というか管理しようとし始めてしまうので)コピペで構わないだろう。別に全く同じフレーズを貼る必要もない。肝心なのは個々のメモの文脈をなるべく簡単に保存することであって、その文脈にまつわるメモを一度に取り出しやすくすることではない。
そうは言っても文脈を網羅することなど土台無理な話であり、また文脈というのは「前提」だけではないから、これでメモのゾンビ化が万事解決ということにはならない。ならないが、とにかくメモが生まれた時点でその文脈を言葉にしようとするのが辛いわけなので、ある程度予め文脈の言語化を心がけることは多少その苦しみを和らげてくれるのではないかと思う。
ツールを考える
さて、結局どんなツールを使うべきかという問題が残っている。
アウトライナーは文脈保存のツールだと書いたように、実際ノートと書き物(の準備段階)はアウトライナーが良さそうに思える。ただし全てをアウトライナーでやるワンアウトライン形式より、テーマごとのファイル内でアウトライン操作ができるような形が良いかもしれない。そしてファイル間はリンクで繋げられるネットワーク型にすると後々活かしやすいだろう。具体的にはScrapbox、Obsidian、Notion、Logseqあたりが候補になるか。異なるテーマ間には通底する文脈がないことが多いからノート全体の管理をアウトライナーでやる必然性はないと感じる(アウトライナーでやってもいいけれども)。
メモはなかなか難しいところだ。頭に浮かんだ時点ですぐ書き留められることが最優先だから、メモの入口としてはとにかく素早くスムーズに書き込めるツールが必須だが、それをそのままにしていてはメモが死んでしまうので、書き込んだ後のことも考えなくてはならない。場所を移すなら移しやすいものを使うのが良いし、場所を移さないなら分類ができて編集がしやすいものが良い。あるいは書いたものは基本的にそのままにしてレビューの機会を作って植え替えするのもありだ。
行動を伴うもののメモがアイデアメモによって埋もれるとよろしくないのでそれらは分けて考えた方がよいだろう。そしてアイデアメモは間違いなく溜まる一方なので、無限の増殖を覚悟する必要がある。「すぐ書き込める」「行動のメモとアイデアメモを分けられる」「アイデアが無限に溜まってもいい」を満たすシステムはどんなものになるか。メモを小さいノートにするまでの流れを整理したい。
パターンを考えてみよう。
①内容を簡単にコピーできるものに書き込み、無限に蓄積可能なツールにこまめに移す
②分類可能かつ無限に蓄積可能なツールに書き込み続ける
③無限に蓄積可能なツールに書き込み、別の無限に蓄積可能なツールに植え替える
①は、例えばアウトライナーにまず書いてScrapboxに移すという形態があり得るだろう。インボックスやデイリーのページを入口として、文脈が失われないうちにアイデア類はカード式っぽいツールに移動する格好だ。機械的にコピペしても駄目で、移動する際に文脈を補完するのが重要だ。
②はイメージとしてはごくシンプルな形式なのだが、適切なデジタルツールは思い浮かばない。Evernoteの超簡易版みたいなのがあると良い気がする。私が過去に触った中ではCliptoというクリップボード監視ツールが一番イメージに近いかも知れない。理想を言えば、編集可能、タグ付け可能、インクリメンタルサーチ可能なTwitter風メモ帳みたいなのが良い気もするが、そういうコンセプトで過去に作ったツールがいまいちうまくいっていないので、おそらく納得できるUIの条件はシビアである。あと自作ツールだと現状「すぐ書き込める」を満たさない(スマホに対応していない)というのがネックになっている。なおアナログならPoIC*1がこのタイプだろう。
③は外山滋比古が『思考の整理学』で書いていたメモ、ノート、メタ・ノート*2のようなタイプだ。育ちそうなものはそのまま育てないで別の場所に移動する。デジタルツールでは植え替えをする必要に迫られないが、デジタルでも敢えて植え替えする方が結果的にメモの生存率は上がるかも知れない。急がば回れというやつだ。
これらのどのパターンを選ぶかでずっと迷走している感がある。どれを選んでも、その後別のパターンが魅力的に見えてくるのである。どれについてもそれがベストだと言っている人がいるのだから、優劣を比較して結論を出すことは多分できない。結局頭で考えないで感覚的に気に入ったものを選ぶということになると思う。そう思いつつ、まだ悩んでいるところである。
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