うちあわせCast第百六回を聴いた(2周した)。「アウトライナー」という概念に対するLogseq(あるいはRoam Research)の位置づけについて議論されていて興味深く思った。自分なりに考えたことを書いておきたいと思う。

 

 まず「アウトライナー」とは何か。Tak.氏がわかりやすく定義しておられるので、その定義を私の定義としても活用したいと思う。引用すると、以下の3点を満たすものである(参照:【基礎講座1】アウトライナーを定義する|Tak. (Word Piece)|note

  1. アウトラインを表示する機能

  2. アウトラインを折りたたむ機能

  3. アウトラインを組み替える機能

 Logseqはこれらを備えているので、この定義に従えばこれはアウトライナーである。体感的にも、普通にアウトライナーだと思う。

 ただ、「アウトライナーとはLogseqである」という命題は当然「偽」である。うちあわせCastで語られていた懸念は「Logseqをアウトライナーだと思われると…」ということであろうし、他の場でも「Workflowyをそれがイコールアウトライナーであると見なされると…」ということが語られていたかと思うが、つまり概念の親子関係が一般的に広く認識されていない気がするのがアウトライナーというツールを語る上での障害になっているのだろうと思う。

 しかし逆に、Logseqのようなツールが存在することによって、「アウトライナーとはWorkflowyのようなものである」という認識の仕方からは一歩離れられるようにも思う。上記の定義を満たしながら複雑に多様で個性的なアウトライナーが様々生まれたほうがかえって「核にあるアウトライナー性」が浮かび上がってくるのではないかと個人的には感じている。帰納的推論が働くためには数が必要である。

 

 Logseqとアウトライナーの関係についての議論を聴いていて素朴に浮かんだ感想があるのだが、「これは紙の手帳と紙のノートの関係と似たようなものなんじゃないかなあ」ということだ。

 デジタルツールを語る上で安易にアナログのものをメタファーとして使うと、デジタルにしか存在し得ない特徴を認識しにくくなるおそれがあると思うので、「手帳対ノートと同じじゃん」と簡単に言ってしまってはいけないだろうとは思うが、とはいえ類似性を整理することには多少の意味があるだろう。

 なお、「ノート」という言葉は色々なイメージを含みうるので、ここでは「紙のノート」を「内容となる部分が未記入の、同じサイズの紙を重ねて一辺で綴じたもの」ということにする。綴じ方は問わない。

 

 紙の手帳、特に左ページに一週間分の日付が入っており、右ページが罫線のみ(あるいは白紙)のものを考えてみよう。これは「内容となる部分が未記入の、同じサイズの紙を束ねて一辺で綴じたもの」であるので、もちろん「紙のノート」の一種である。

 左ページが日付と紐付いているわけだから、それと同時に視界に入っている右ページも、基本的にはその期間に書くノートということになる。そうしろという命令は誰にも出されていないのでそうしなければならないという縛りは一切ないが、敢えてそれを無視するという意識がない限りは、そうなるのが「自然」であろう。Logseqが(Journal機能をオンにしている限り)時系列を前提とする思考を惹起するであろうことと同じく、手帳の右ページは左ページの影響を受けて時系列に絡んだ記述がメインになりがちである。

 そうすると、右ページは紙面としてはプレーンな「紙のノート」と全く変わりがないにもかかわらず、使う人間が同じ感覚でその紙面を認識するわけではないということになる。同じように認識している人がいないではないと思うが、多数派ではないように思う。

 「紙の手帳の右ページの使い方の難しさ」は、「紙のノートの使い方の難しさ」と重なりはするが、イコールではない。「紙のノートの使い方の難しさ」に「紙の手帳の右ページゆえの使い方の難しさ」が加わったものが「紙の手帳の右ページの使い方の難しさ」ということになる。つまり、「紙の手帳の右ページって難しいよね」という話が、「日付が入っていないページ(=罫線のみまたは白紙のページ)って難しいよね」という話とそのまま同一視されては困るわけである。

 しかしアウトライナーの話と違って、この同一視はあまり起こりそうには思えない。正確に言うと、同一視して語ったものであっても、それを読んだ側が同一視して認識する可能性は高くないという気がする。なぜなら、学校生活を送ったすべての人がプレーンな紙のノートを知っているからである。手帳の話は手帳の話であって、紙のノート全般についての話だとは思わないだろう。

 また、具体的な商品名で「○○手帳の使い方」として語ったとしても、手帳売り場にいけばちょっと数えられない種類の手帳がずらりと並んでいることを多くの人が知っているし、「他の手帳でも同じことや似たことはできるだろう」という推測が自然に働くように思う。この手帳でしか実現できないメソッドとは思われないのではないか。

 

 紙の手帳は紙のノートの一種だが、紙の手帳と紙のノートは半ば別のものとして捉えて使い分けるのが当たり前になっていると思う。よって紙の手帳の話を紙のノート一般の話とはそうそう混同しない。しかし同じように手帳っぽいLogseqとノートっぽい他のツールを使い分けるのが当たり前に思えるかというと、それは微妙なところである。

 システム手帳はリフィルの自由性によって手帳とノートを同居させているわけで、いわんや多機能デジタルツールとなれば、同居させてしまおうという方がずっと当たり前かもしれない。

 

 アウトライナーの話に戻ると、ひとつの問題として、教育を受けたすべての人がプレーンな紙のノートを知っているようには、プレーンなアウトライナーというのが知れ渡っているわけではないということがあるのだろう。

 そもそもプレーンなアウトライナーとして万人が認められるものが具体的にどこかにあるわけでもない。Workflowyは「プレーン」に比較的近いかもしれないが、しかしもはやプレーンではないとも思う。冒頭で挙げた3点を満たしただけのアウトライナーというのが今の時代どこかにあるかというと、とりあえず私はその存在を知らない。

 紙のノートなら何の予備知識も持たなくとも線を引いただけで使用者が新しい機能を付与できる一方で、デジタルツールはそう簡単にはいかないし、ツール側が種々の機能を予め備えておかないとユーザーとしては困る。プレーンなアウトライナーが単体で存在することはかなり難しいのだろう。Tak.氏が何度か語っておられるが、そもそもアウトライナー機能というのはテキストエディタの中に含まれる基本的な機能として位置づけられるべきものと思う。

 そうなると、アウトライナーの性質を感得するには、種々のアウトライナーがいずれも備えている共通の機能を、これがアウトライナーをアウトライナーたらしめているものなのだなと感じ取るしかないかもしれない。最初にも書いたが帰納的推論をするのである。例えばテキストエディタとは何たるか、メタな視点で説明されて知った記憶はない。性質を知ってからメタ視点の解説を見てやっと「そうか、本質はそこにあったのだ」と理解するに至ることはあるが、その前にやはり帰納的推論の力が必要と感じる。

 この時、例えばLogseqに触れたら当たり前のように他のWorkflowyやDynalistやその他諸々のアウトライナーの情報が目に入るなら、「ずらりと並んだ手帳売り場」と同様に「数多あるアウトライナーのひとつなのだ」と思えるだろう。これが手帳なら「○○手帳」という名称で統一して売り出してくれるのに、デジタルツールはてんでばらばらな名前で出してくるのがそのことを難しくしているように思うが、そこはもうツール好きな人々が複数のツールをセットで語ることで「AとBとCはどうやら同じカテゴリに入る名詞らしい」といったことを浸透させていくほかない気がしている。

 あらゆるアウトライナーについて、それぞれで「このツールの話」として語られていることが結局全部ほぼ同じと判った時、「ああ、この特徴は『特殊』ではなく『一般』だったのか」と腑に落ちるのだろう。

 

 ここまでの話とは別の話になるが、上述のうちあわせCastで、Logseqでは「日付」が最上位項目であるかのように見えてしまい、日々のページの記述に対して自分で判断するための価値基準などを書くことが意識されない可能性があるというような趣旨の話をされていた(理解が正しいか怪しいので正確なところは是非Podcastを聴いて確認いただきたい)

 このことについてはその通りだなと思うし、これもまた紙の手帳が抱えていた問題でもあったと思う。ただ、近年の紙の手帳はそこに注力しているものが非常に多く、ユーザーが個々に手帳術で対処するだけでなく、手帳自体にそれを解決する手助けの機能が搭載されている。

 では手帳のどこにその機能が搭載されているのか。各ページに工夫がある手帳もあるが、よくあるパターンとしては、本来の手帳機能の手前、つまり巻頭に追加されていることが多いだろう。紙のノートに於ける順番というのは手前か後ろかなので、デジタルツールで言う「上の階層」は「より手前」に位置づけられるのが感覚としては自然に思える。(ただし「より後ろ」にあるものが「下の階層」とは限らない。あくまで「全体に対する一段階メタな記述」はその全体の手前にあるとわかりやすいということだ。)

 更に、最も印象づけたい記述はどこに書くかといえば、手帳術としてしばしば見るのが「表紙をめくった最初の紙面」、つまりちょっと厚い紙になっていたり手帳のタイトルか何かがちょこんと書いてあったり逆になんにも書いてなかったりの、手帳の使用にあたっては意味をなさない感じで顔を出すあの部分である。何を書くべきか全く自明ではない(というかほとんどの人がそこに何かを書く選択肢を思い描きもしない)あの場所に、自分が常々意識していたいことをばっちり書いてしまう。あるいは理想を具現化した写真を貼っておく。(年間カレンダーなどがぴしっと印刷されている場合もある。その場合はポストイットなどでその上に貼ってしまう手もあるだろう。)

 表紙に何かを書いても差し支えないなら、もうめくるまでもないように表紙に書いてしまうということもありうる。もしくは表紙裏を使ってもいい。紙のノート、紙の手帳ならそういう場所が存在している。

 一方でデジタルツールはどうか。Logseqに限らず、「表紙」にあたる部分はほとんどない。アプリケーションの起動時にはロゴが表示され、それがツールとしての表紙であろうが、そこには紙の表紙が担えた機能を一切付与させられない。デジタルツールはどれもリーガルパッドのように「いきなり紙面」のような形である。と言ってもいちいち表紙にあたるページをめくらされるのも煩わしいので、「いきなり紙面」であることが悪いというのではなく、デジタルツールの良いところでもある。ただ、「手前」にあたる場所がない、ということは、メタな記述をする場所として自然なスペースがないということでもある。

 

 Logseqを手帳的に使った場合にひとつ注意すべきことがあるとするなら、「表紙」「巻頭ページ」がないということなのではないか、と思った次第である。

 これはデジタルツール全般が抱える課題でもあり、そして「重要な記述を一望できるダッシュボード」を用意すればよいというものでもないように思う。「状態を示した計器群」と「本体の記述が始まる前に必ず目に入る紙面」とでは意味もイメージするものも違っているだろう。ダッシュボードはダッシュボードでそれも存在してほしいし、またそれとは別の視点として、アナログでは普通に存在していた「表紙」および「巻頭ページ」の概念をデジタルツールにインストールする術を考えたいと個人的には思っている。

 

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