茶の間
古のブログ風のミニマムな投稿場所です。
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自分を作るもの2023/11/21
なんとなく音楽のことばかり書いている。
音楽が好きというほど音楽が好きなわけでもないけど、自分が感じたことをそのまま言えるというのが音楽というジャンルなのかもしれない。
ストーリー性が強いものだとそのまま言うことが必ずしもプラスにならない可能性がある。何かの言動に対してどう思うかを表明するというのは、ある種「境界を作る」ことでもある。
同じくらいに「そのまま言える」ジャンルは他に絵画や彫刻が思い浮かぶ。これらについても今までどこにも書いたことがないので、ぽちょぽちょ書いてみようかと思う。
自分の感性を作るもの、あるいは代わりに示してくれるもの、をひとつひとつ見つめて整理していくのは人生において有意義な試みだろう。
Now And Then2023/11/20
The Beatles - Now And Then (Official Music Video) - YouTube
The Beatles最後の新曲。
私自身はビートルズについては全然詳しくないけど、親がビートルズ大好き人間なので、私もある程度曲は耳にしている。
そして今年度はNHK-FMでビートルズについて掘り下げるラジオ番組が放送されているので、毎週日曜日の昼はこれを聴いている。MCは杉真理さんと和田唱さんの交代制。
2023/11/19放送の回(MCは和田唱)で、「Now And Then」について深掘りしていて興味深く聴いた。ジョン・レノンのデモテープに入っていたBメロ(日本で言うところの)が全カットされたという話が印象的だった。和田唱さんは甚くショックを受けたようだ。
音源をそのまま流せないということで和田唱さんが歌ったのを聴いたのだが、確かにこれはあった方が良かったんじゃ……という気持ちになった。なんとなく、「Now And Then」は要素が少ないというか、物足りないというか、そんな印象を持っていたからだ。
しかもプロジェクト開始当初の歌詞ではちゃんとBメロ部分が存在していたようなのに、なぜポール・マッカートニーは最終的にこれをカットしたのか。それについて和田唱さんが考察したところによると、日本で言う「Aメロ→Bメロ→サビ」という構成になるとイケてないと判断されたからではないか、ということだった。あくまで和田唱さんの推理だが、なるほどと思った。
私は完全なるJ-POP脳なので、Aメロ→Bメロ→サビという進行が自分に馴染むわけだけど、洋楽だとそういう構成はそんなに多くはない印象がある。その上、ジョン・レノンがこれを書いた70年代末と、他のメンバーがこの曲を完成させようとプロジェクトを立ち上げた90年代半ばと、そしてAI技術向上により完成に至った今の2020年代とでは、格好良いとされる展開が違っているのは尤もなことだ。今やるとダサい進行なのかもしれない。
親(=完全なる洋楽脳)とこの件について話してみても、「確かに少しあっさりし過ぎているかもしれないけれど、このBメロが全部入っちゃうとちょっとサビに戻って来づらい感じがするから微妙」という意見だった。脇道に逸れ過ぎ、みたいな感覚のようだ。なるほど。私としてはBメロで変化を付けながらサビまで徐々に盛り上げていってドーン!みたいな曲がしっくり来るので意外な見解と感じたが、同時に納得もした。
じゃあそれならと、和田唱さんはひとつの試行として、サビの方をカットしてデモテープにおけるAメロBメロで構成したバージョンを自分で演奏・歌唱し、番組中で流した。これを聴いてなるほど~~~と思った。私はこちらのバージョンが結構気に入った。でも、本来のサビ部分にある明るさ(曰く「救い」の部分)がカットされてしまうとちょっと曲が暗すぎるかもという話もあり、それも確かにと思う。
結局のところ、実際に発表された「Now And Then」が全てであり、その他の可能性というのはもう選ばれなかった選択肢だ。もちろん、今になって新曲が発表されること自体が奇跡であって、すごいことだし有り難いことだと思う。
ただ、ジョン・レノンがBメロ部分を作っていたこと、そしてその部分は大変美しくて全カットするにはあまりに惜しいことは確かで、何らかの形で採用されたバージョンをビートルズの曲として聴いてみたかったなと思わずにはいられない。
それにしても、ジョン・レノンは全く意図していないはずのことだが、間もなく亡くなったことを踏まえてこの曲の歌詞を読むと、突然この世を去ってしまったジョン・レノンと去られてしまった三人の間の心情と重なるように思えて、当時を知らない若造の身でも胸を締めつけられる。
しずかなインターネット2023/11/19
最近、しずかなインターネットというサービスがリリースされた。
ここでは有益な情報を書くことはあまり求められていません。「たくさんの人に読まれなくていい」「自分のために、ひょっとすると、どこかの誰かのために」そんな気楽さで文章を書くための場所です。
まさにそのような場所を自分のために自分で作っていたわけなので(それがこの茶の間)、このコンセプトにはとても納得感がある。
ただし、「たくさんの人に読まれなくていい」と「誰にも読まれなくていい」の間には距離がある。そのことに無自覚だと挫折する可能性があると感じるので、いずれにしても自分はどういう場所で何をどうしたいのかは真剣に考える必要があるだろう。
音楽について語るということ2023/11/19
語ると言っても単に自分の個人的な思い出話をするということだけど、それでもわざわざするということには何か意味があると思う。
普段音楽について語ることはあまりない。タイミングがないし、相手が知らないものの話をしてもしょうがないから話題として選択されない。逆に相手が知っているものについて話すには自分に造詣が足りない。
音色や曲調を基準にして曲単位で好きになるから、或るアーティストについて詳しくなるみたいなことがあんまりないし、カルチャーとしての音楽界にはそんなに興味がない。中高生の頃は人並みにヒット曲を追いかけていたし好きなアーティストっていうのがあったけど、今はそんなにそういう風には楽しまない。ヒット曲はヒットするだけあるなといつも感心はするんだけど、「追いかけたい」という熱意にならない。
こんなんだから人を相手に話す機会はないし、SNSでも言う気にはあまりならない。自分の音楽についての思い出話というのは全然大した話じゃないんだけど、でも流してしまうような「どうでもいい」ことでもないから、もうちょっと大事に喋りたい。
といっても、別に言いたいのを我慢していたわけでもない。言わなきゃ言わないでまったく問題はない。だけど、ここにちょこちょこ書いていると、自分そのものの輪郭がちょっとはっきりしてくる感じがして楽しい。
あまりにも大ヒットしたような曲について敢えて「好きだったなあ」と言ったりするのも、なんというか、みんな知っている曲について言及して意味あるんだろうかみたいなことを考えてしまったりしたんだけど(他の人が大ヒット曲について話しているのをネガティブに感じることは全然ないんだけどね)、まあ別にいいじゃんね。
確かに、相手に情報が全然増えていかない話というのは退屈だから、同じものを同じように好きだという共感を生める確信がない限りは、あんまりにも自明なことは普段の会話では取り上げにくい。
でもこの場所はそういうコミュニケーションの場じゃないし、私の「茶の間」なので、普通のことを普通に書いてもいいやと思う。
スーパー三國志Ⅱ2023/11/18
光栄(現:コーエーテクモゲームス)が1991年に出したスーパーファミコン用ゲームに「スーパー三國志Ⅱ」というのがある。元の「三國志Ⅱ」は1989年にPC-88用に作られたもの。
父親がすごーく長い間熱心にやっていたゲームで(一体何年間遊んでいたのかわからない)、幼少の私は半ばこれで漢字を覚えた気がする。攻略本にはいっぱい漢字が書いてあった。
ゲームシステムも複雑すぎずちょうどいい感じに面白くて良いゲームだけれど、何と言っても印象的なのは音楽だった。今でもいくつかの曲はすぐに脳内再生できるくらいに私の耳に染み付いていて、唯一無二のサウンドだなと思う。リメイクが繰り返されているのでいくつもバージョンがあるが、やはりSFC版の音色が「これこれ!」という感じがして好きだ。
で、誰が作曲したのかというのは全然意識していなかったのだけど、去年だか一昨年だかに確か他の情報を見たくてたまたま調べたら、なんと「向谷実」と書いているじゃないか! 相当にびっくりしてひっくり返りそうになった。
ゲーム音楽の人とは思っていなかったし、長年活躍されていつつも私は全然別のルートで比較的最近ちゃんと認識できた人だったので、実はそんなに前から自分の人生に刺さっていた人だったのだということを知って本当に仰天した。
これもまた偶にあるタイプの劇的な経験。
別種の劇的な経験→Fire Dance
Катюша2023/11/17
1938年(つまりWWⅡ間近)に作曲されたロシアの歌曲。読みは「カチューシャ」。日本では時々ロシア民謡って表現されるけど民謡と言うには歴史が浅い。というか軍歌だろう。
2012年のアニメ「ガールズ&パンツァー」にてプラウダ高校のテーマソングとして金元寿子さんと上坂すみれさんが歌っている。そのシーンの印象深さも相まって、この曲にはかなりハマった。
カチューシャ Sung by カチューシャ&ノンナ - YouTube Music
これもまた歌詞を書き出して繰り返し練習しておおよそ口ずさめるようになった(しかし3番はどうしてもわからない)。日本語にはないリズムで発音するので面白い。
……のだが。前投稿で書いたMoskauもそうだけど、昨今の情勢ではコメントが難しいというかコメントしたくないというか、素朴に「いいよね」とかって言いたくない感じがある。
そもそもが、平和な世界を前提にして「好意的に見てやる余裕」みたいなものが生まれてやっと「いいよね」って思えるような距離感にあったと思う。色々な人が色々な世界で色々な努力をしてそこまで来ていた。しかしそれらは全てひっくり返された。
それでも、過去に好きになったものを手放すまではしない。自分の身に直接的に何かが起こらない限りは心の中の感動は守ることができる。
例えばこれらの曲はロシアで作られたりロシアに思いを寄せて作られたりしたかもしれないが、単純にその音楽としての印象を私は気に入っている。人が聞いていないところでカチューシャを口ずさむだろうし、モスカオ!モスカオ!と声を弾ませるだろう。
それすら許されないような世界にはならないことを祈っている。
Moskau2023/11/17
Dschinghis Khan "Moskau" 2020 Moscow-Edition - YouTube
ドイツ(当時の西ドイツ)のグループ「Dschinghis Khan」の1979年の曲。モスクワ五輪に合わせて作られた。邦題は「めざせモスクワ」。
2005年に空耳歌詞をつけた「もすかう」が大流行した。その頃はサブカルチャーに接していなかったのでリアルタイムでは知らないけど、このFlashが流行ったらしいというのは知っていて、十年くらい前あたりに遅れてハマった。
さすがにこの曲は有名過ぎるのでその前から(多分かなり小さい頃から)知ってはいた。一回聞けば覚えてしまうし、印象的だなとは最初から思っていたけれど、当初はそんなにすごくハマったわけではなかった。
しかし「もすかう」を見て笑っているうちに「声に出して歌えたら楽しそうだな」と思い、カタカナで表記したらどうなるのかを調べてノートに書いて、滑らかに言えるようになるまで繰り返し練習した。我ながら謎の熱意だったのだが、実際口ずさめると楽しい。
ただこの曲を口ずさめるようになったというだけでドイツ語について習得できたことは何もないけど、ちょっとだけ親しみが増した。
道成寺2023/11/16
少し前の話だけど、10月29日放送の「古典芸能への招待」で、能の「道成寺」をやっていた。
舞囃子「松浦佐用姫」・能「道成寺」 - 古典芸能への招待 - NHK
演じられたのは6月18日。
父から子へ秘伝の能「道成寺」…観世三郎太さんが6月に初演 | 紡ぐプロジェクト
シテにとっては本当に大変な演目なのだと思う。鐘入りは命懸けとのこと。
しかしそれはそれとして、正直可笑しいところが多くてずっと笑って観ていた。いや、間狂言以外は笑うところじゃなかったかもしれないけど、能自体ほとんど観たことがなかったので想像と違うような箇所にちょっと衝撃を受けた。
シテと小鼓による乱拍子、緊張感が張り詰めているのはありありと感じたけれど、それはそれとして、急にハッと動く時の動き方に滑稽味があって笑ってしまった。
そして乱拍子後に突如として笛の音が響き出し、大鼓小鼓が甲高い声で叫びながら複雑なリズムで鼓を打ち鳴らす場面はもはやハードロック。「いよっ」「ッハッハ!」「いよぉ~~~↑↑↑」あまりに衝撃的で呆気に取られ、やはり笑ってしまった。
間狂言は野村萬斎・裕基親子による醜い責任押し付け合戦で非常に可笑しかった。鐘の中にいるシテの着替えのためだと思うけれど、結構尺が長くてどれだけ押し付け合うのかと。大変愉快。そして「お前が行け!」という感じで放り出された方(野村萬斎)がそのまますーっと正座するなり「(鐘が)落ちてござる」と言ったのに吹き出した。落ちてござる。
あとそうそう、鐘の入退場が面白かった。準備から後片付けまで一通り観られてよかった。
この公演ではないけれど、「道成寺」のダイジェスト動画が公開されているのでご興味のある方はご覧になってみてください。
ちらっと見た感じ、乱拍子の部分は結構違うような気がする。鼓の叫び方も印象がちょっと違っているかも。能を見比べるということを全然したことがないので知らなかったけれど、思った以上に「誰がやるか」で違ってくるものなんですね。
鳥の詩2023/11/15
そういえば、11日放送のブラタモリで「鳥の詩」のアレンジがBGMとしてかかった。ちょっとびっくりした。
壮大な感じだったけどさり気ないBGMだったので、サブカルがわからない人は全く気に留めずに聞き流したと思う。
別に何も意見とかはないんだけど、どこに生まれたものでも良い曲が良い曲だと認められて広く使われていくっていうのは良いことだなと思う。ちなみに今回ブラタモリで訪れた場所が作品の舞台だったから使われたのではという話を見た。
「鳥の詩」を主題歌とする元の作品についてはあらすじをさらっと調べたくらいで詳しくは知らないけど、この歌のインパクトは私にとっても相当なもので、曲単体でかなり好きだ。夏のまばゆい青空に絶え間なく流れる風を想像せずにはいられない。自分の中で風景を想像する曲ランキングを作ったら一位になるかもしれない。
歌を聞くという時、普段そんなに歌詞は意識して聞かないけれど、この曲に関しては出だしの「消える飛行機雲」によって否が応でも自分の心の目が空を見上げてしまうし、その後に続く歌詞も意味を持つ言葉として耳に入ってくる。すごいことだなと思う。
メロディーに対して歌詞に無理がないのかもしれない。童謡のような比重で歌詞が存在感を持っている。あと歌っているLiaさんの歌声がすごい。
この曲も自分の感性を形にしてくれているもののひとつだ。
ペケ2023/11/15
X(Twitter)のことを「ペケ」と呼ぶ慣習(?)の存在を今更ながら知った。ちょっと笑ってしまった。
「X」というのは多分名付けた人的に未来的なカッコいいものの象徴なんじゃないかと思うけど、Twitterの民に言わせれば「ペケ」。日本のTwitterオタクから見た実情を見事に表したダサい呼称で、その風刺の効き方にもはや感心。
サイト改良がだいぶ進んだ2023/11/14
一昨日から今日にかけて色々と改良を進めた。検索や関連ページを充実させたりあちこちスタイルを追加したり。
用語集もちょっとずつ追加。過去記事はまだ。
茶の間に追加しようと思っている記述はどんどん溜まっている。あんまりドドッと公開してもしょうがないので、追加は一日一記事程度に。
Fire Dance2023/11/14
Shakatakの「Down on the Street」(1984年)収録の曲に「Fire Dance」という曲がある。
前にNHK-FMの番組でかかって一発で好きになった。「音楽遊覧飛行」の「ミュージックエクスプレス」(パーソナリティは向谷実)だったか。
衝撃を受けたという感じだけど、「なんじゃこりゃ」というのではなく「私の魂はこんな形なのでは?」というような衝撃。曲調とメロディーがズドンとストライクゾーンに入った。私目掛けて投げてきたかのようだった。
打楽器をどこすこどこすこ叩いてからのジャン!!!がかっこいい。総じてかっこいい。
このアルバムの中ではなんか異質な曲だなと思う。
自分の感性をドンと形にしたような曲に偶に出会う。偶にしかないことだけど、巡り合うと一生の支えになってくれるものだと思う。
Life in the Fast Lane2023/11/13
Life in the Fast Lane (2013 Remaster) - YouTube
The Eaglesの曲で今のところ一番好きな曲で、ふと聴きたくなって最近リピートしている。1976年発表の曲。
「Hell Freezes Over」に入っているMTVライブ版がお気に入り。(私はイーグルス世代ではないしそんなに詳しいわけではないけども。)
追い越し車線を走り続けるみたいな人生は身を滅ぼすぞ!
流れないつぶやき2023/11/12
昨今、吐露の習慣とタイムラインの概念が合わさったことで、自分のことばは流れ去っていくのが「普通」かのようだ。それどころか、しばしば積極的に「流してしまう」ことを意図してことばが放たれている。
木を隠すなら森の中。ことばを隠すならタイムラインの中。
そして別に隠さなくてもいいものも、同じように流してしまう。基準はサイズだ。短いものを大事にとどめることをあまり考えなくなった。
実際、どこに書くのが相応しいのかと考えると迷ってしまう。SNSではどのサービスを選んでも多分流れ去ることには変わりがない。でもブログで「記事」にするほどのことじゃない。
結局、自分で作ったサイトじゃないと難しいのかもしれない。
きっと他のどこでも難しいので、自分の短いことばをここに少しずつ溜めていけたらいいと思う。
不足2023/11/09
たとえば、不足していることに注意を向ける傾向がある人は、どれだけ追加で物を得ても、やはり不足に注意が向き「何か足りないな」や「もっとあったらいいのに」と思うだろう。
以前は自分の能力について「ないもの」があるのが本当に恐ろしく感じられて、「ないもの」について努力しなければならないとずっと思っていた。でも、それってかなり時間の無駄かつ精神に悪く、普通に「あるもの」に注意を向けているべきだったと思う。
「自分の能力が足りないから、そういうことができないんです」とやっぱり欠落に目を向けるなら、それはそのままの状態が保存されるだろう。
もしもこういう台詞を実際に言ってしまうならば、アドバイスしてくれる人も阿呆らしくなって誰も寄り添ってくれなくなるという現実的な損失があるから、自分が変わらないプラス周りに人がいなくなるという二重の苦しみに苛まれることになる。
そう思っているとそう言ってしまうことにもなるだろうし、対人関係の観点からしても、自分に「あるもの」に目を向けたほうが安泰に思える。思っているのに言わずにいるというブレーキを踏み続けるのは多分大変だから。
革命デュアリズム2023/11/08
WINDING ROADに続き、私基準でデュエットソングぽくないデュエットソングをもうひとつ。水樹奈々×T.M.Revolution「革命デュアリズム」。2013年の曲。
水樹奈々×T.M.Revolution「革命デュアリズム」MUSIC VIDEO(Full ver.) - YouTube
お二人の癖がそれぞれ爆裂に強すぎてハーモニー感が薄いのが面白い。それで良いです。紅白でのパフォーマンスも素敵でした。
それにしても、この曲がもう10年前。
水樹奈々「ETERNAL BLAZE」は2005年で、18年前。
T.M.Revolution「HOT LIMIT」は1998年だそうで。
Time flies!
WINDING ROAD2023/11/07
男女混声繋がりで、絢香×コブクロ「WINDING ROAD」を思い出した。2007年の曲。
コブクロ - WINDING ROAD(絢香×コブクロ) - YouTube
これも鮮烈で、ド頭の「まーがーりーくねった~」だけでもう「好き!!!」となった。
のびのび歌っている自由さがとても心地よい曲。
で、前はこういう楽曲はなかったのだろうか? と考えたけれど、いや昔はデュエットソングというのがかなりたくさんあったはずだ。それはそれで素敵だなと思うのだけど、「男性と女性が手を取り合って歌っている」感がすごく強い。男性という立場と女性という立場の共演という感じ。念の為繰り返すけれども、それはそれで素敵だと思う。
AAAや絢香×コブクロは、男性と女性が一緒に歌っているけれど、昔のデュエットソングとはちょっと違う。そもそも二人じゃないからデュエットではないけれど、そういうことではなく、仮に二人でも所謂デュエットソングではない歌い方。
たぶん「同じことを一緒にやっている」という歌い方だからだと思う。声の質が性別で違うから男声と女声の混声ということになるけれど、男性と女性の共同作業として作られている感じではない。
プチ燃え尽き症候群2023/11/06
サイトを公開してバグ修正などをしたらなんだか疲れたというか、気力が身体から抜けてしまった。
土日の間に用語集の引っ越し作業をやるつもりでいたけどどうもそういう気分にならなかったのでやらなかった。
代わりに書棚の紙類を整理していた。野口悠紀雄『「超」整理法』を読んでからというもの角2封筒がデフォルトなのだが、今より整理が下手な時にやった入れ方が気に入らなかったり、角2封筒に入れないままになっているものがあったりしたので、それらをガーッと片付けた。
いわゆる書類以外のものも、薄くてサイズがA4に収まるくらいのものは角2封筒にまとめて書類と同じ場所に収納した。例えばラッピング用の袋や紐、あるいはサンドペーパーなんかも背に「ラッピング」「紙鑢」と書いて書類の隣に並べている。(家族との共有が必要ないものに限り成り立つ工夫だ。)
この場合の「背」というのは封筒の背面ではなく、立てて収納した時にこちらを向いている角の部分。中に箱か何かを入れて伸ばした状態で書き込む。
なお「押し出しファイリング」を実践するほど紙の書類のフローが活発な生活をしていないので、実質取り入れているのは「角2封筒を使う」ということだけであり、実際はどちらかというと「山根式袋ファイルシステム」の方かもしれない。並びはあいうえお順ではないけれども。
いずれにせよ角2封筒に統一すると本当にスッキリする。クリアファイルのほうがいいと言う人も多いが、私の場合は中身を入れ替える必要があまりないので、背の部分にはっきりペンで内容を書ける紙の封筒の方が見やすくて気に入っている。内容物の量が多くなっても紙の袋なら柔軟に膨らんでくれるのも良いところだ。
BLOOD on FIRE2023/11/05
シャッフル再生でAAA「BLOOD on FIRE」がかかった。これも2005年のもので、AAAのデビュー曲。(そうだったのか。)
曲調も歌詞も、血潮を燃え滾らせて全力疾走していけ!!!みたいなノリ。私自身は全然そのようには生きられないけれど、こういう曲を聴くのは割と好きだ。曲の中に入っているラップもかなり好き。
ところで、AAAは男女混成のパフォーマンスグループなので、(曲によってはその限りではないが)男性ボーカルと女性ボーカルが一緒に歌う。
何故かとても珍しい形態だったと思うが(なんで珍しいんだろう)、AAAの歌声は聞くと元気が湧いてくるし、私にとってはそれは男女混声に拠るところが大きい。
合唱も男女混声が好きだったりする。別にそうでないのは好きじゃないというのではないんだけど。
ネットスラング的に言うと、「男女混声からしか得られない栄養がある」という感じ。