茶の間
古のブログ風のミニマムな投稿場所です。
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楽しさのための話を聞く2024/08/28
少し前まで「文章を読む」または「文章として書くようなことを聞く」ということに偏っていたけれど、「楽しさのための話を聞く」という時間が増えて、脳内の色調が豊かになったような気がする。聞いていてアハッwwwと声を出して笑うみたいなのはやっぱり日常にあった方がいい。
正しいか正しくないか、同意できるかできないか、どこまで同意するのかしないのか、みたいなことしか考えないでいると、まあそういうノリの人間になっていくだろう。
そういうノリだとそういう話しかしないから、そういう人を見ていると疲れる。内容の如何に関係なく「またやってるよ」になってくる。
党大会というライブ2024/08/25
アメリカ大統領選に向けた民主党大会の様子をテレビで見た。
もはやアーティストのライブのようで、ちょっと日本人には理解しがたいノリだなと感じた。声を合わせて「I love Joe!」と叫んでいるのを見ると、日本版にすれば「文雄大好きー!」になるわけだが、まああり得ない光景だなと思う。
日本国民の政治への関心の低さがずっと言われていて、それに比べてアメリカはすごいぞ、という話になりがちだが、日本人の無関心がまずいのは事実としてもそう単純に欧米を見習っていいのかということは考えてしまう。
日本が政治家に対してああいう距離感の社会になってほしいとはあまり思わない。
小沢真珠さん2024/08/04
NHKEテレの「生きものさんいらっしゃい!」という番組で小沢真珠さんが出ているのを見た。
普段ドラマを見ないし一番話題になっていた頃にもちゃんと見ていなかったので顔しか知らない感じだったのだが、この番組で今更ながら演技をまともに見て(よりによって教育番組で)、迫力に脱帽した。深みのある声が素晴らしい。どちらかというと可愛い雰囲気の顔立ちだと思うけど声の圧がすごい。教育番組なので全然全力の圧じゃないわけだけど、面で押してくる感じの圧を感じた。迫られているのが加賀翔なのがまた可笑しくて良かった。たじたじな感じで。
しかしまあ昔と全然印象が変わっていなくて驚いた。美しく素敵な女優さんだ。
三ヶ月経ってる!!!2024/08/03
うっそでしょ、本気で仰天してしまった。
ブログの方は5月半ばと7月にも書いているのでインターバルは1ヶ月半で済んでいるけれど、茶の間はちょっと楽しい気分じゃなくなった時点で書きづらくなってしまって間が大きく空いてしまった。
あと7月が本当に一瞬で過ぎ去ってそれもびっくりしている。本当に一瞬だった。体感一週間で一ヶ月過ぎた。
浦島太郎再び2024/05/01
ちょっと先月いっぱい、のらてつとしてはほとんど何もできなかった。
去年のGW頃にも浦島太郎になっていたけれど、その時は精神的休養という感じで懐古の旅に出ていた。今回は経緯としてはちょっと事情が違うものの、ただ、単に忙しかっただけでなく、「隙間時間に頑張って記事を書いて投稿する」みたいな気力がなくなってしまっていたことが要素としては大きい。(三月から怪しかった。)
不在の間にちょっとは回復もしたのでぼちぼち更新を再開していきたいと思っている。
ScrapboxのCSSを調整しました2024/04/26
Scrapbox自体のスタイルに変更があったので、影響を受けたUserCSSを修正しました。
多分これで大丈夫だと思うけど、他に問題があれば気付き次第対処します。
ライフ・アウトライン実践ログ2024/04/07
ハクサンカメバヒキオコシ2024/04/04
シソ科の植物。
いかにもシソ科っぽい感じだが、先のほうに先割れスプーンのような切れ込みが入っている。この切れ込みで葉が亀のように見えることから「亀葉」、そして「引き起こし」は弘法大師が病に苦しむ旅人にヒキオコシの葉を摂取するように言って旅人が見事健康を取り戻した伝説が由来のようだ。
で、この切れ込みがあることで、オトシブミが葉を揺籃にしなくなるらしい。
すごい! まあ先が割れていると巻きにくそうだなと思う。化学物質ではなく形の力で生存率を上げているのは面白い工夫だ。
余談
ちなみにNHKの「植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」で知った。
シュール極まる深夜番組。内容自体は真面目なはずなんだけど深夜じゃないと駄目な番組だ。色々とギリギリを攻め過ぎていて、シュールさを楽しむ心の用意が必要。多分子どもが見るものじゃない。
どういうことかは見ればわかる。林田アナとゲストの人たち、よく笑わないでやれるよなあ…笑 もしかしたらNG連発してるのかもしれないけど。
NHKスペシャル「未解決事件」File.10 下山事件2024/04/03
第一部のドラマ、ロッキード事件で田中角栄逮捕のシーンからスタートして最後もそのシーンで締められたけど、ずっと見ていくと田中角栄が逮捕されたことがどれほどの意味があることだったのかが鮮やかに胸に迫ってきた。
脚本の安達奈緒子さん、おかえりモネの人か!! メインキャストは森山未來と佐藤隆太。
ソ連崩壊後の世界を生きている身には「反共」というものの意味の大きさが体感としてわからない。知識として、どれほど切迫した状態だったかというのは知っていても、その当時の事件とかを見た時に「反共」の二文字は反射的には浮かばない。でも当時は政治の全て、生活の全てにそれが関わっていたのだろう。
このシリーズは前回の帝銀事件で知った。先日再放送したけど初回放送で見ていた。
こちらもドラマ脚本は安達奈緒子。メインキャストは大沢たかおと要潤。
大学でちょっと731部隊についての講義を受けたことがあったものの「その後」がこう繋がっていくことは知らなかった。
戦後から自分が生まれる前の期間のことは知らないことがとても多い。多いというかほぼ何も知らないと言った方がいいレベル。淡々と書かれた記述を見ても想像が難しい。今回のようなドラマが「本当」かどうかは別として、やはり映像のインパクトを借りないと雰囲気が掴めないし、こういう番組はありがたい。
国語辞典サーフィン2024/04/02
サンキュータツオと柘植恵水アナウンサーがやっているラジオ番組。
冒頭ではある語について街行く人に「もしもあなたが国語辞典ならどう説明しますか」と尋ね、その答えからその語が何かを推測する。そして人々がその語にどういう印象を持っているのかに注目しつつ辞典の記述にあたる。辞典ごとの記述の違いが興味深い。
少し前の、「ツンデレ」の回だったかで「後方腕組み彼氏面」についてちょっと触れていて笑ってしまった。大々的に流行って且つそのまま定着するオタク発祥のパワーワードはやっぱり言葉として上手いんだよね。
エイプリルフール2024/04/01
昔はそれなりに面白がっていたけど最近はそのエネルギーがない。
自分が人に嘘を仕掛けるとかは全然しないけど(紛らわしい振る舞いはするのもされるのも好きじゃない)、各企業とかゲームとかがエイプリルフール企画をやっているのを前は結構楽しんでいた。
でも最近は一瞬で一日終わってしまうというか、既に色々と詰まっている日常にエイプリルフールという非日常が入るスペースはない。別にネガティブな気持ちはないのに「イベント」的空気に圧倒されて疲れてしまう。
多分この疲労感は、エイプリルフールだということを当日かせいぜい前日に認識するという後手に回っている感が引き起こしていると思う。一週間前とかから意識していればちょっと違うんだろう。(でもそこまで楽しみにする気持ちはないなあ。)
ディスカバー・ビートルズⅡ最終回2024/03/31
「ディスカバー・ビートルズⅡ」が今日最終回を迎えた。
来週から聴けないのは寂しいなあ。とても楽しかった。
特に印象的だったのは和田唱さんによるレコードのマトリックス解説。いやあ、これにこだわり始めたら果てしないな…笑 でも自分の耳でもわかるほどマトリックスによって違いがあったのでこだわるのも尤も。
ビートルズの曲はそれなりに聞いていたけど(親がファンなので)、知識としてはほとんどないに等しかったので色々と興味深い話を聴いてかなり解像度が上がった。元々の素養がないせいでお話を十分に吸収できなかったのがもったいなかったなと思う。
素晴らしい番組をありがとうございました。Ⅰの再放送とかしてほしいな。
過去の投稿
総合的に楽しくない2024/03/25
昨日楽しさが生む虚しさで「楽しんでいるが虚しい」ということを書いた。
で、全体の雰囲気として最近の自分の気分は楽しいのかと言うと、正直言って楽しくない。あははっと笑ってはいるがハッピーではない感じ。
続きを読む(ネガティブ注意)
まず書くのが楽しくない。今月は割と色々書いているけど、なんだか急速に嫌になってきた。ちょっと前から嫌になっている。止まったら負けな気がして半ばやけくそで書いている。何かを偽っているわけではないので書けばそれなりに自分に役立つ文章が生まれる。楽しくなくても書き続けられる人間になることは私にとって重要なことだ。でも温かい気持ちはないので人との交流的な要素を含む投稿はしばらくやめておこうと思う(例えばトンネルChannel)。
プログラミングはやることがなくなったのでここのところやっていない。必要があってObsidianのプラグインはちょっといじったけど、それだけ。自作ツールについてわくわく考えることはなくなってしまった。そういうことをするエネルギーが足りていないと感じる。こだわるのが面倒くさい。
あと最近思うのは、お菓子を食べてもあまり嬉しくないということ。味は正しく感じていると思うけど、どうも幸福感がない。
表層で軽くケラケラ笑って、深層では心が動いていないこの感じ、もしかすると鬱の気配が忍び寄っているのかもしれない。
楽しさが生む虚しさ2024/03/24
最近とても楽しめるものができて、あははっと笑って過ごしているけれど、同時に虚しさに襲われるようになった。いや元々虚しいので虚しさに襲われること自体は今始まったことではないけれど、今感じている虚しさの大きさにちょっと慄いている。
「あははっ」→「すん…」の高低差が広がったからかとも思ったけれど、なんかちょっと違う気がして、これはなんなのか考えていた。
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で、思ったのが、多分その「楽しめる」というのが「お客さん」としてのものだからだろうということだ。誰かの話に笑う、誰かが作ったものにハマる、それは間違いなく楽しいし、そういうものはないよりあった方が良いと思う。ただ自分の楽しみの形が「何かを受け取って、気分が良くなった」ということしかない場合には、気分が良い割に自分の人生は一歩も進んでないことに目を向けてしまった時、底知れない恐ろしさに襲われる。
この感触を味わった時、「とにかく金を払う」という選択が生まれる理由を少し解ったような気がした。虚無が忍び寄る隙間を生まないように思考の全てをそれに向け、それを支えることを「自分は前に進んでいる」という証と感じて貢ぎまくる。時間が経過すればその対象は何かしら変化するわけで、それを追いかけることで時間経過と一緒に自分も前に進んでいるはずだと考える。
推しや趣味にたくさん金を使っている人がみんなこうということではない。ただ、この虚しさをどうにかするにはどうしたらいいかを考えた時に、そういう選択肢の可能性に思い至ったのを考えると、これは自分の中では現実味のあるルートだ。自分自身がそのようにする気はないにしても。
自分を楽しませているその人、そのモノの作り手と違って、自分はなんとつまらない存在だろうか、なんていうこともふと思う。これは結局解決することのない「何者」問題であり、自分をつまらないと思おうと思えば自分の実態とは関係なくつまらないと思い続けられてしまうわけで、どこまでも不毛な自己否定だ。どうせ人気者になっても億万長者になっても「本当の自分はつまらない存在なんだよな」と思うに決まっている。実際、どう見ても個性的な著名人がそういうことを言って悩んでいたりする。
でもやっぱり思ってしまう。自分はなんとつまらない存在だろうか。
まあ、最近自己肯定感が上がるイベントが全然ないから余計にそう思うのだろうと思う。あとは単に、死にものぐるいになってなくて頭が暇ということだ。
ガラスの城(2024年)2024/03/20
年始の松本清張原作ドラマ化、『ガラスの城』の方も見た。
テレビ朝日開局65周年記念 松本清張 二夜連続ドラマプレミアム 第二夜 『ガラスの城』|テレビ朝日
なかなか面白かった。というか、『顔』と比べてこっちは「これはギャグなのか?」と思う感じでなんだか可笑しかった。実際、最後の1/4くらいを除いてギャグだったと思う。
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波留の演技に笑ってしまった。社員旅行の次の日にオシャレした姿で出てきた時は吹き出した。最後まで見ると「笑っちゃいけないところだったかも」と思ったけど。
ずっと「一見イケてる会社にありがちなこと」みたいな風刺的表現に笑いながら見ていたけど、最後に的場郁子(波瑠)が三上田鶴子(木村佳乃)にどういう感情を抱いていたかが語られると不覚にも涙してしまった。『顔』でもそうだったけど、なんというかこう、二次元で心情描写の解釈についてかなり鍛えられた状態で見ているので、「他の人にはちっぽけなことでもこれはこの人にはきっと人生が変わるほど大事なことだっただろうな」みたいなことに思いを馳せてしまう。そういう癖がついている。
三上の語りでは部長の不倫相手候補になっていた二人が、実は二次元オタクで社員旅行の夜には三次元男と会ってなんかいなかった、という展開にすごいウケてしまったんだけど、その二人を始め登場人物ほとんど全員が表面的な印象と本当の内面が違っているというのがちょっと考えさせられた。別に全然珍しい描写ではないけど、「そりゃそうだよなあ」という気持ちがなぜだかしみじみと湧いた。後半でその女性社員二人が郁子に本音を吐露しているところと、最後に郁子の元に駆け寄るところが良かった。(良かったけど、最後なんで社員たちがあの場所に来たんだ?)
それはそうと「非公開のSNSダイアリー」というのがちょっとよくわかんなかったんだけど、「手記」というのが現代では無理があるという判断だろうか。あんまりリアルタイム感は重要じゃなかった気がするし、普通に日記か何かで良かったと思うんだけど…。
細かいところをつつき始めればキリがないけど、見ていて面白かったので特に不満はない。ソムリエみたいにドラマ見てるわけじゃないしね。
顔(2013年)2024/03/19
顔(2024年)を書いた時には思い出さなかったけど、前にも松本清張『顔』のドラマを見たことがあったのだった。
2013年10月3日放送、主演は松雪泰子。殺されるクズ男役は坂口憲二、目撃者役は田中麗奈。
時代設定は原作と同じで昭和22年とその9年後とのこと。でも殺す側殺される側は2024年版同様に原作とは男女が反転している。まあドラマ化のたびに主人公が男だったり女だったりするようだ。
松雪泰子は一体開始時点で何歳の役ということだったのか気になってしまったけど、大女優になった姿はさすがの貫禄だった。あと冒頭の米兵相手の酒場の描写に「戦後」を強く感じて印象的だった。時代を映した雰囲気が強烈に思えたので(そしてちゃんと題名を記憶していなかったので)、今年の『顔』を見て2013年版のことは全然思い起こさなかった。構図としては確かに大体同じ。
ちなみに今年のは「テレビ朝日開局65周年記念」で、2013年の方は「フジテレビ開局55周年記念」だったらしい。
過去の名作を現代版としてアレンジするということには、いつも賛否両論がつきものだと思う。原作の尊重というのも色々な観点がある。例えばクラシック音楽なんかと一緒だ。そして今まさに人々を苦しめている社会問題をダイレクトに反映するとエンタメとしての満足感は減っていくだろう。でも、そんなことは作っている側はきっと百も承知で、それでもテレビでこれをやらねばならないと思ったその心に思いを馳せたいと私は思いました。
ガーナブラック2024/03/18
ロッテのガーナチョコレートのラインナップのひとつ。甘さ控えめで溶けにくい。
昔は存在意義がわからなかった。お菓子作りで他の甘いものと混ぜる時に必要になるのかな、みたいな感覚だった。
でも最近は、昔好きだったガーナミルク(赤いパッケージ)がちょっとくどく感じるようになり、ガーナブラックの方がずっと美味しく感じる。かつては甘さをさっぱり認識できなかったのに、今はこのくらいでいいよねという感じ。
でも甘さ控えめのものが好きというわけではなく、ものによっては「もっと甘くてもいいだろ!」と思うこともよくあるのだが(確かコージーコーナーのシュークリームとかそうだった)、板チョコに限ってはビター派になってしまったようだ。そういうこともある。
人類は愚かタイム2024/03/16
毎週土曜の夜7時は「人類は愚か」タイム。厳密には7時半頃。
この時間、Eテレで「地球ドラマチック」という番組をやっている。
大自然の話、考古学系の話、建築関係の大プロジェクトの話が多く扱われている。もっと身近で素朴な営みの話もある。内訳で言えば、多いのは自然の話だ。
どういう環境でどういう動植物が生きているか。その環境はどう変化し、現状はどのようであるか。どうやって撮ったのかわからないような高精細の映像がたくさん使われていて、かなり見応えがある。
それは良いのだが、まあ九割方、人類の所業によってそれらが危機に瀕しているという話に繋がる。人類は愚か。番組の展開が悪いという話ではなく、事実としてそうなのだからそう伝えるのは尤もなことだ。事実として、このままいけば今映っているこれらはやがて消えてなくなるのだ。
そんな感じで、大体毎週、人類が如何に傲慢で救いようがない存在かを噛みしめている。自然は尊いから破壊してはならないというより(個人的な好みで言えば自然は豊かであってほしいけど)、この先にあるのは自滅だよね、というのが毎度の溜め息の理由だ。まあかなりの間しぶとく生きるんでしょうけど。でもいつも、人類最期の姿としてクロノ・トリガーの未来の時代が思い浮かぶ。現実の人類はラヴォスを自分で作る気がする。
顔(2024年)2024/03/14
年始にやっていた松本清張原作のドラマ『顔』を見た。録画したままになっていたのを消化ということで。
テレビ朝日開局65周年記念 松本清張 二夜連続ドラマプレミアム 第一夜『顔』|テレビ朝日
原作は読んでいないけど、確認するまでもなく大胆にアレンジされている。深刻な現実が畳み掛けられて見ていてかなりしんどかった。本当にしんどかった。何がどうとは言わないが、明らかにリスクが非対称である現実。これ一月三日放送だけど正月三が日に見るものではない…。
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後半の聖良(武井咲)と弓子(後藤久美子)がデスクチェアで遊んで笑い転げるシーン、現実は何も「良く」なってはいないけど極限状態からの少しの解放が二人をどれほど自由にしたかを表していて印象的だった。二人が笑えば笑うほど、展開上その後に必ず訪れる断罪の瞬間を思って苦しくなった。
半分あたりの時点で、これこのまま進んで最後はどれほど陰鬱な終わり方になるのかと思ったけど、ラストは良い引き方だったと思う。二人の戦いは続いていくし、ちゃんと二人は戦っていくのだという希望が見えた。その後作中世界でネットがどんだけとんでもないことになったかを想像せずにはいられないけど、そこまで描いていたら「どうしてこんな不愉快な思いをしてまで物語を見なきゃいけないのか」という気分になって終わったに違いないので、最後の幕がスッと閉じられたのはとても良かった。全部言わなくても、現実を嫌というほど知っているのだから十分だ。
武井咲のリアリティがすごかったなあ。容姿も声もぴったりで、武井咲が演じたのを見てしまうと他の如何なる俳優もこの役はできないのではと思ってしまう(実際どうかは置いておいて、気分として)。後藤久美子はめっちゃくちゃ久々に見て「こんな感じだったっけ!?」と驚いた。正直声の演技がもう一歩で惜しかったなと思ったけど、なんというか、見れて嬉しかったので良いです。さすがに存在感は抜群だと思う。
そういえば、「後藤と武井が火花を散らす、女同士の極上のバトル」とか書いてあったけど、全然そういう話じゃないです。一瞬だけ弱み握って(というか恩で)取引みたいなやり取りはあったけど別にバトルはしてないのよね。というかむしろ…という感じ。すーぐそうやって女同士のバトルとか言うからそういうさあそういうあれがさあゴニョゴニョ…。
まあそういう謳い文句で釣ってこの物語を突きつけて視聴者を煩悶させる作戦だったのかもしれないけど。