茶の間
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国語辞典サーフィン2024/04/02
サンキュータツオと柘植恵水アナウンサーがやっているラジオ番組。
冒頭ではある語について街行く人に「もしもあなたが国語辞典ならどう説明しますか」と尋ね、その答えからその語が何かを推測する。そして人々がその語にどういう印象を持っているのかに注目しつつ辞典の記述にあたる。辞典ごとの記述の違いが興味深い。
少し前の、「ツンデレ」の回だったかで「後方腕組み彼氏面」についてちょっと触れていて笑ってしまった。大々的に流行って且つそのまま定着するオタク発祥のパワーワードはやっぱり言葉として上手いんだよね。
エイプリルフール2024/04/01
昔はそれなりに面白がっていたけど最近はそのエネルギーがない。
自分が人に嘘を仕掛けるとかは全然しないけど(紛らわしい振る舞いはするのもされるのも好きじゃない)、各企業とかゲームとかがエイプリルフール企画をやっているのを前は結構楽しんでいた。
でも最近は一瞬で一日終わってしまうというか、既に色々と詰まっている日常にエイプリルフールという非日常が入るスペースはない。別にネガティブな気持ちはないのに「イベント」的空気に圧倒されて疲れてしまう。
多分この疲労感は、エイプリルフールだということを当日かせいぜい前日に認識するという後手に回っている感が引き起こしていると思う。一週間前とかから意識していればちょっと違うんだろう。(でもそこまで楽しみにする気持ちはないなあ。)
ディスカバー・ビートルズⅡ最終回2024/03/31
「ディスカバー・ビートルズⅡ」が今日最終回を迎えた。
来週から聴けないのは寂しいなあ。とても楽しかった。
特に印象的だったのは和田唱さんによるレコードのマトリックス解説。いやあ、これにこだわり始めたら果てしないな…笑 でも自分の耳でもわかるほどマトリックスによって違いがあったのでこだわるのも尤も。
ビートルズの曲はそれなりに聞いていたけど(親がファンなので)、知識としてはほとんどないに等しかったので色々と興味深い話を聴いてかなり解像度が上がった。元々の素養がないせいでお話を十分に吸収できなかったのがもったいなかったなと思う。
素晴らしい番組をありがとうございました。Ⅰの再放送とかしてほしいな。
過去の投稿
総合的に楽しくない2024/03/25
昨日楽しさが生む虚しさで「楽しんでいるが虚しい」ということを書いた。
で、全体の雰囲気として最近の自分の気分は楽しいのかと言うと、正直言って楽しくない。あははっと笑ってはいるがハッピーではない感じ。
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まず書くのが楽しくない。今月は割と色々書いているけど、なんだか急速に嫌になってきた。ちょっと前から嫌になっている。止まったら負けな気がして半ばやけくそで書いている。何かを偽っているわけではないので書けばそれなりに自分に役立つ文章が生まれる。楽しくなくても書き続けられる人間になることは私にとって重要なことだ。でも温かい気持ちはないので人との交流的な要素を含む投稿はしばらくやめておこうと思う(例えばトンネルChannel)。
プログラミングはやることがなくなったのでここのところやっていない。必要があってObsidianのプラグインはちょっといじったけど、それだけ。自作ツールについてわくわく考えることはなくなってしまった。そういうことをするエネルギーが足りていないと感じる。こだわるのが面倒くさい。
あと最近思うのは、お菓子を食べてもあまり嬉しくないということ。味は正しく感じていると思うけど、どうも幸福感がない。
表層で軽くケラケラ笑って、深層では心が動いていないこの感じ、もしかすると鬱の気配が忍び寄っているのかもしれない。
楽しさが生む虚しさ2024/03/24
最近とても楽しめるものができて、あははっと笑って過ごしているけれど、同時に虚しさに襲われるようになった。いや元々虚しいので虚しさに襲われること自体は今始まったことではないけれど、今感じている虚しさの大きさにちょっと慄いている。
「あははっ」→「すん…」の高低差が広がったからかとも思ったけれど、なんかちょっと違う気がして、これはなんなのか考えていた。
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で、思ったのが、多分その「楽しめる」というのが「お客さん」としてのものだからだろうということだ。誰かの話に笑う、誰かが作ったものにハマる、それは間違いなく楽しいし、そういうものはないよりあった方が良いと思う。ただ自分の楽しみの形が「何かを受け取って、気分が良くなった」ということしかない場合には、気分が良い割に自分の人生は一歩も進んでないことに目を向けてしまった時、底知れない恐ろしさに襲われる。
この感触を味わった時、「とにかく金を払う」という選択が生まれる理由を少し解ったような気がした。虚無が忍び寄る隙間を生まないように思考の全てをそれに向け、それを支えることを「自分は前に進んでいる」という証と感じて貢ぎまくる。時間が経過すればその対象は何かしら変化するわけで、それを追いかけることで時間経過と一緒に自分も前に進んでいるはずだと考える。
推しや趣味にたくさん金を使っている人がみんなこうということではない。ただ、この虚しさをどうにかするにはどうしたらいいかを考えた時に、そういう選択肢の可能性に思い至ったのを考えると、これは自分の中では現実味のあるルートだ。自分自身がそのようにする気はないにしても。
自分を楽しませているその人、そのモノの作り手と違って、自分はなんとつまらない存在だろうか、なんていうこともふと思う。これは結局解決することのない「何者」問題であり、自分をつまらないと思おうと思えば自分の実態とは関係なくつまらないと思い続けられてしまうわけで、どこまでも不毛な自己否定だ。どうせ人気者になっても億万長者になっても「本当の自分はつまらない存在なんだよな」と思うに決まっている。実際、どう見ても個性的な著名人がそういうことを言って悩んでいたりする。
でもやっぱり思ってしまう。自分はなんとつまらない存在だろうか。
まあ、最近自己肯定感が上がるイベントが全然ないから余計にそう思うのだろうと思う。あとは単に、死にものぐるいになってなくて頭が暇ということだ。
ガラスの城(2024年)2024/03/20
年始の松本清張原作ドラマ化、『ガラスの城』の方も見た。
テレビ朝日開局65周年記念 松本清張 二夜連続ドラマプレミアム 第二夜 『ガラスの城』|テレビ朝日
なかなか面白かった。というか、『顔』と比べてこっちは「これはギャグなのか?」と思う感じでなんだか可笑しかった。実際、最後の1/4くらいを除いてギャグだったと思う。
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波留の演技に笑ってしまった。社員旅行の次の日にオシャレした姿で出てきた時は吹き出した。最後まで見ると「笑っちゃいけないところだったかも」と思ったけど。
ずっと「一見イケてる会社にありがちなこと」みたいな風刺的表現に笑いながら見ていたけど、最後に的場郁子(波瑠)が三上田鶴子(木村佳乃)にどういう感情を抱いていたかが語られると不覚にも涙してしまった。『顔』でもそうだったけど、なんというかこう、二次元で心情描写の解釈についてかなり鍛えられた状態で見ているので、「他の人にはちっぽけなことでもこれはこの人にはきっと人生が変わるほど大事なことだっただろうな」みたいなことに思いを馳せてしまう。そういう癖がついている。
三上の語りでは部長の不倫相手候補になっていた二人が、実は二次元オタクで社員旅行の夜には三次元男と会ってなんかいなかった、という展開にすごいウケてしまったんだけど、その二人を始め登場人物ほとんど全員が表面的な印象と本当の内面が違っているというのがちょっと考えさせられた。別に全然珍しい描写ではないけど、「そりゃそうだよなあ」という気持ちがなぜだかしみじみと湧いた。後半でその女性社員二人が郁子に本音を吐露しているところと、最後に郁子の元に駆け寄るところが良かった。(良かったけど、最後なんで社員たちがあの場所に来たんだ?)
それはそうと「非公開のSNSダイアリー」というのがちょっとよくわかんなかったんだけど、「手記」というのが現代では無理があるという判断だろうか。あんまりリアルタイム感は重要じゃなかった気がするし、普通に日記か何かで良かったと思うんだけど…。
細かいところをつつき始めればキリがないけど、見ていて面白かったので特に不満はない。ソムリエみたいにドラマ見てるわけじゃないしね。
顔(2013年)2024/03/19
顔(2024年)を書いた時には思い出さなかったけど、前にも松本清張『顔』のドラマを見たことがあったのだった。
2013年10月3日放送、主演は松雪泰子。殺されるクズ男役は坂口憲二、目撃者役は田中麗奈。
時代設定は原作と同じで昭和22年とその9年後とのこと。でも殺す側殺される側は2024年版同様に原作とは男女が反転している。まあドラマ化のたびに主人公が男だったり女だったりするようだ。
松雪泰子は一体開始時点で何歳の役ということだったのか気になってしまったけど、大女優になった姿はさすがの貫禄だった。あと冒頭の米兵相手の酒場の描写に「戦後」を強く感じて印象的だった。時代を映した雰囲気が強烈に思えたので(そしてちゃんと題名を記憶していなかったので)、今年の『顔』を見て2013年版のことは全然思い起こさなかった。構図としては確かに大体同じ。
ちなみに今年のは「テレビ朝日開局65周年記念」で、2013年の方は「フジテレビ開局55周年記念」だったらしい。
過去の名作を現代版としてアレンジするということには、いつも賛否両論がつきものだと思う。原作の尊重というのも色々な観点がある。例えばクラシック音楽なんかと一緒だ。そして今まさに人々を苦しめている社会問題をダイレクトに反映するとエンタメとしての満足感は減っていくだろう。でも、そんなことは作っている側はきっと百も承知で、それでもテレビでこれをやらねばならないと思ったその心に思いを馳せたいと私は思いました。
ガーナブラック2024/03/18
ロッテのガーナチョコレートのラインナップのひとつ。甘さ控えめで溶けにくい。
昔は存在意義がわからなかった。お菓子作りで他の甘いものと混ぜる時に必要になるのかな、みたいな感覚だった。
でも最近は、昔好きだったガーナミルク(赤いパッケージ)がちょっとくどく感じるようになり、ガーナブラックの方がずっと美味しく感じる。かつては甘さをさっぱり認識できなかったのに、今はこのくらいでいいよねという感じ。
でも甘さ控えめのものが好きというわけではなく、ものによっては「もっと甘くてもいいだろ!」と思うこともよくあるのだが(確かコージーコーナーのシュークリームとかそうだった)、板チョコに限ってはビター派になってしまったようだ。そういうこともある。
人類は愚かタイム2024/03/16
毎週土曜の夜7時は「人類は愚か」タイム。厳密には7時半頃。
この時間、Eテレで「地球ドラマチック」という番組をやっている。
大自然の話、考古学系の話、建築関係の大プロジェクトの話が多く扱われている。もっと身近で素朴な営みの話もある。内訳で言えば、多いのは自然の話だ。
どういう環境でどういう動植物が生きているか。その環境はどう変化し、現状はどのようであるか。どうやって撮ったのかわからないような高精細の映像がたくさん使われていて、かなり見応えがある。
それは良いのだが、まあ九割方、人類の所業によってそれらが危機に瀕しているという話に繋がる。人類は愚か。番組の展開が悪いという話ではなく、事実としてそうなのだからそう伝えるのは尤もなことだ。事実として、このままいけば今映っているこれらはやがて消えてなくなるのだ。
そんな感じで、大体毎週、人類が如何に傲慢で救いようがない存在かを噛みしめている。自然は尊いから破壊してはならないというより(個人的な好みで言えば自然は豊かであってほしいけど)、この先にあるのは自滅だよね、というのが毎度の溜め息の理由だ。まあかなりの間しぶとく生きるんでしょうけど。でもいつも、人類最期の姿としてクロノ・トリガーの未来の時代が思い浮かぶ。現実の人類はラヴォスを自分で作る気がする。
顔(2024年)2024/03/14
年始にやっていた松本清張原作のドラマ『顔』を見た。録画したままになっていたのを消化ということで。
テレビ朝日開局65周年記念 松本清張 二夜連続ドラマプレミアム 第一夜『顔』|テレビ朝日
原作は読んでいないけど、確認するまでもなく大胆にアレンジされている。深刻な現実が畳み掛けられて見ていてかなりしんどかった。本当にしんどかった。何がどうとは言わないが、明らかにリスクが非対称である現実。これ一月三日放送だけど正月三が日に見るものではない…。
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後半の聖良(武井咲)と弓子(後藤久美子)がデスクチェアで遊んで笑い転げるシーン、現実は何も「良く」なってはいないけど極限状態からの少しの解放が二人をどれほど自由にしたかを表していて印象的だった。二人が笑えば笑うほど、展開上その後に必ず訪れる断罪の瞬間を思って苦しくなった。
半分あたりの時点で、これこのまま進んで最後はどれほど陰鬱な終わり方になるのかと思ったけど、ラストは良い引き方だったと思う。二人の戦いは続いていくし、ちゃんと二人は戦っていくのだという希望が見えた。その後作中世界でネットがどんだけとんでもないことになったかを想像せずにはいられないけど、そこまで描いていたら「どうしてこんな不愉快な思いをしてまで物語を見なきゃいけないのか」という気分になって終わったに違いないので、最後の幕がスッと閉じられたのはとても良かった。全部言わなくても、現実を嫌というほど知っているのだから十分だ。
武井咲のリアリティがすごかったなあ。容姿も声もぴったりで、武井咲が演じたのを見てしまうと他の如何なる俳優もこの役はできないのではと思ってしまう(実際どうかは置いておいて、気分として)。後藤久美子はめっちゃくちゃ久々に見て「こんな感じだったっけ!?」と驚いた。正直声の演技がもう一歩で惜しかったなと思ったけど、なんというか、見れて嬉しかったので良いです。さすがに存在感は抜群だと思う。
そういえば、「後藤と武井が火花を散らす、女同士の極上のバトル」とか書いてあったけど、全然そういう話じゃないです。一瞬だけ弱み握って(というか恩で)取引みたいなやり取りはあったけど別にバトルはしてないのよね。というかむしろ…という感じ。すーぐそうやって女同士のバトルとか言うからそういうさあそういうあれがさあゴニョゴニョ…。
まあそういう謳い文句で釣ってこの物語を突きつけて視聴者を煩悶させる作戦だったのかもしれないけど。
人生を浴衣にする2024/03/10
「人生を豊かにする」と書こうとして打ち間違った。
消して直してしまう前に一瞬考え、「浴衣的人生」というのを想像して悪くない言い回しじゃないかと思った。
「着物的人生」または「晴着的人生」と「浴衣的人生」の対比。どちらもイケてる生き方で、かつ種類が違う。対照的ではあるけど反対の言葉ではない。反対語を考えるとすれば「襤褸的人生」とかそんな感じ。
鏃礪括羽(ぞくれいかつう)2024/03/09
現状に満足せず、学識に磨きをかけて、さらにすぐれた人材になること。
Scrapboxのプロジェクトには回光返照(えこうへんしょう)という名前を付けているという話を先日した。
ObsidianのVaultにも同じようなノリで何か付けるかーと思って以前調べた四字熟語をひっくり返してみて、内容的にこれがいいかなと思った。「すぐれた人材」というのはちょっとあれだが、まあ「ちゃんと勉強してこうぜ」くらいで解釈することにした。
「回光返照」もそうだけど、普段使わない言葉の方がよく、いっそパッと見で意味がわからないくらいのものがいい。例えば「日々精進」とかにしたら三日で「うへぇ」という気分になるに違いない。ちなみにかなり前にScrapboxの別の自分用プロジェクトに「博覧強記」とつけて、何ヶ月もしないでそのプロジェクトはやめにして「回光返照」に吸収した。名付けが良くなかったと思う。わたしゃそんな意識高く生きていないのよ。
なので、いい感じの方向性を示した言葉でありつつも自分を動かそうとし過ぎないくらいの距離にあるものがちょうどいい。意味を思い出すのはたまにでいいのである。
今後は「これ回光返照と鏃礪括羽どっちに書くのがいいかなー」みたいな表現が自分のライフ・アウトラインなどに普通に登場することになる。これは単に「ScrapboxとObsidianどっちに書くのがいいかなー」という意味に過ぎないのだ。
ドラゴンボールとドラゴンクエスト2024/03/08
鳥山明の訃報にショックを受けている。まだ信じられない。
多くの人がきっとそうであるように、私にとってもドラゴンボールは自分の人生に於いて重要な作品だ。
単行本と大全集を全て揃えてだいたいの映画を見てカードダスもでかいホルダーが必要なほど集めて(つまり親がそれに付き合ってくれて)、幼少の私の何割かはドラゴンボールで構成されていた気がするほどで、今振り返っても人生上一番熱心になっていた作品だなと思う。もちろん絵もいっぱい描いた。
でもドラゴンボールという漫画がどれだけすごいものだったかを理解したのはかなり後になってからだった。なにしろ私が生まれた時にはもうドラゴンボールは当たり前に存在していて、漫画というのはつまりこういうものなんだろうと思っていたからだ。はじめてまともに読んだ漫画だったと思う。自分の中では漫画=ドラゴンボール、くらいの存在感があった。
私が知っているのは漫画42巻とGTまでのアニメ、龍拳爆発までの映画だけで、その後の展開は全然把握していない。なので今となってはファンと自称するのは気が引ける。知っているものについても記憶が曖昧になっている部分は多い。しかし子どもの頃の私は間違いなくドラゴンボールの大ファンだった。
そしてドラゴンクエスト。キャラクターもさることながら、モンスターのデザインに大変な影響を受けた。倒すべき魔物でありながら、コミカルで愛嬌があり、仲間にできるならしたいと思うデザイン。繰り返し繰り返し遭遇するものだから愛せるデザインをしているのはゲームに於いて非常に大事なことだ。
私の中にある、非人間キャラクターの見た目の理想像というものは、99%ドラゴンクエスト、つまり鳥山明(および彼の影響を強く受けた人々)によって構築されたものだと思う。モンスターの絵も子どもの頃たくさん描いたな。
私が熱中したゲームベスト5を挙げれば「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」「ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵」の2作品が入るだろう。ドラゴンクエストのモンスターを見ていた時間が一体どれだけになるのか想像がつかない。ゲームをやっていない時間もシリーズ作品の攻略本を眺めていた。
ナンバリング作品についても、気に入っているのはモンスターを仲間にできるⅤとⅥだ(なおプレイしたのはⅦまで)。そう考えると、私はドラゴンクエストが好きというより、ドラゴンクエストのモンスターが好きなのかもしれない。鳥山明が創造するいきものや機械が好きだった。ドラゴンボールの敵キャラや異星人も好きだった。
キャラデザと言えば、知っているゲームを振り返る限りキャラクターの完成度はクロノ・トリガーが随一だと思っている。全員が隙のないデザインをしている。何より鳥山明ならではの色使いが良かった。ドラゴンクエストのパッケージを初めて見た時もあの色使いに心惹かれた記憶がある(最初に見たのはⅤだった)。
きっと自分で自覚しているよりずっと多くの影響をそこかしこから受けているのだと思う。あまりにも小さい頃からそばにあったものだから改めて意識を向けるような機会を持たずに来たけれど、もし鳥山明のいずれの作品も目にすることなく生きていたら自分がどういう感性になっていたのかちょっと想像できない。でもあと十年や二十年「当たり前過ぎて意識していなかった」ものであってほしかった。
鳥山明先生は本当に亡くなってしまったのか。やはり全然信じられない。ただただ呆然としている。
ばさばさ斬る人2024/03/07
ばさばさ斬る人に憧れを持った人はおんなじような量産型「ばさばさ斬る人」になっちゃう感。
SNSでその様子を見せつける機会は劇的に増えたけど、SNS時代というのは「面白い」至上主義の時代であり、残念ながら「面白くない」代表の「ばさばさ斬る人」は時代遅れだろう。面白く斬れるならともかく。
「どうしてどいつもこいつも無能なんだ」と思っている人が魅力的であった例って私には思いつかない。でもそうなりたい人は多いらしい。
モグラ〜ニャ2024/03/06
1996年発売のゲームボーイソフト。任天堂のゲームでジャンルはアクションパズル。
- モグラ~ニャ(任天堂のページ)
子どもの頃にものすごくハマったゲーム。アクションは苦手だけどこのゲームはできた。
様々なギミックと多様な敵キャラ、穴を掘って地上と地下を行き来するという工夫されたシステムが本当に面白かった。
最近「Mekorama」というスマホゲームをやっていて思い出した。
これもとても面白いけどモグラ~ニャには敵わないかな~。
回光返照(えこうへんしょう)2024/03/03
という言葉がある。
検索すると「死の間際に一時的に元気を取り戻すこと」の意味しか載せていない記述が多く見られるが、私は「自分本来の姿を振り返り、反省して修行すること」の方の意味でこの言葉を使っている。
私たちは、自分が思いどおりにならないことがあったときなどに、自身の外に目を向け原因を探し、解決の糸口を見いだそうとします。そうした外に向かう心のはたらきを内側に向けてみる、つまり内省へと転じてゆく、これを「回光返照」と言っています。
この言葉を使っているというのは、普段使っているScrapboxのプロジェクト名を「回光返照」にしているのだ。で、そういう感じの場になることを一応掲げたわけだけど、実際にはそのプロジェクトの中身は全然そんな感じではない。ぜ~~~んぜん。単なるがらくた箱である。
名は体を表わさない感じのプロジェクトになってしまっているけれども、まあ別にいいやと思っていて、それよりほぼ毎日このプロジェクトを開くことによって「回光返照」という四文字を目にすることが重要だ。
すっかり覚えたし、そのScrapboxプロジェクトを指して「これ回光返照に書いとこ」みたいな使い方をするので、もう数えきれないほど入力した。その場合には単にそのプロジェクトを呼んでいるだけに過ぎないわけだが、同時にうっすらこの言葉の意味も思い出す。いちいち自戒の気持ちになるわけではないけれど、自分のことを見つめようという気にちょっとなる。
ObsidianのVault名がいまいちしっくり来ていなくてちょっと考えていたのだが、それも「回光返照」にしてもいいかもしれない。それか別の四字熟語を探してみようか。ただの愛称であって、中身に合っていなくてもいい。思い出せると嬉しい言葉を名前にしてしまうというライフハック。
心安らぐとき②2024/03/01
すげえ変な形のいちごがすげえお値段で売られているのをスーパーで見たとき。(あまおう)
昔、確か「とよのか」だったと思うけど、巨大な上にべたっとした楔形のものがいくつか混じっていて衝撃を受けた。とても美味しかったので、それから「変な形の方が美味しいに違いない」と思っている。
(形がへんてこというだけでも私にとってはかなり幸福感がある。)
心安らぐとき2024/02/29
大きいのと小さいのが寄り添っている感じでパックされているエリンギをスーパーで見たとき。
食器洗いというPodcastタイム2024/02/27
前に食器洗いという鬱時間で、食器洗いの時間は自分の黒歴史強制再生タイムになって鬱だ的なことを語り、何か聴きながらやればいいのかもという結論に至った。
それから食器洗いの時間はPodcastを聴くようになった。Podcastをというか、今のところ100%うちあわせCast。
回ごとに聴いたり聴いていなかったりなので、とりあえず遡っていっている。一回分聴くのに数日かかるが、回と回の間隔がそれなりの日数あいているので新しい回が公開されるまでに何回分かは遡れる。
トークは集中して聴いていないと話がわからなくなってしまうので、黒歴史を発掘している場合ではなくなった。苦しみが取り除かれたのに加えてPodcastを聴く時間を確保できるようになって思考が刺激されるようになり、むしろかなりポジティブな時間になった。
生きるのが上手いとか下手とかいうのは、例えばこういうことなのだろう。