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モグラ〜ニャ2024/03/06

1996年発売のゲームボーイソフト。任天堂のゲームでジャンルはアクションパズル。

子どもの頃にものすごくハマったゲーム。アクションは苦手だけどこのゲームはできた。

様々なギミックと多様な敵キャラ、穴を掘って地上と地下を行き来するという工夫されたシステムが本当に面白かった。

 

最近「Mekorama」というスマホゲームをやっていて思い出した。

これもとても面白いけどモグラ~ニャには敵わないかな~。

回光返照(えこうへんしょう)2024/03/03

という言葉がある。

検索すると「死の間際に一時的に元気を取り戻すこと」の意味しか載せていない記述が多く見られるが、私は「自分本来の姿を振り返り、反省して修行すること」の方の意味でこの言葉を使っている。

私たちは、自分が思いどおりにならないことがあったときなどに、自身の外に目を向け原因を探し、解決の糸口を見いだそうとします。そうした外に向かう心のはたらきを内側に向けてみる、つまり内省へと転じてゆく、これを「回光返照」と言っています。

 

この言葉を使っているというのは、普段使っているScrapboxのプロジェクト名を「回光返照」にしているのだ。で、そういう感じの場になることを一応掲げたわけだけど、実際にはそのプロジェクトの中身は全然そんな感じではない。ぜ~~~んぜん。単なるがらくた箱である。

名は体を表わさない感じのプロジェクトになってしまっているけれども、まあ別にいいやと思っていて、それよりほぼ毎日このプロジェクトを開くことによって「回光返照」という四文字を目にすることが重要だ。

すっかり覚えたし、そのScrapboxプロジェクトを指して「これ回光返照に書いとこ」みたいな使い方をするので、もう数えきれないほど入力した。その場合には単にそのプロジェクトを呼んでいるだけに過ぎないわけだが、同時にうっすらこの言葉の意味も思い出す。いちいち自戒の気持ちになるわけではないけれど、自分のことを見つめようという気にちょっとなる。

 

ObsidianのVault名がいまいちしっくり来ていなくてちょっと考えていたのだが、それも「回光返照」にしてもいいかもしれない。それか別の四字熟語を探してみようか。ただの愛称であって、中身に合っていなくてもいい。思い出せると嬉しい言葉を名前にしてしまうというライフハック。

心安らぐとき②2024/03/01

すげえ変な形のいちごがすげえお値段で売られているのをスーパーで見たとき。(あまおう)

 

昔、確か「とよのか」だったと思うけど、巨大な上にべたっとした楔形のものがいくつか混じっていて衝撃を受けた。とても美味しかったので、それから「変な形の方が美味しいに違いない」と思っている。

(形がへんてこというだけでも私にとってはかなり幸福感がある。)

心安らぐとき2024/02/29

大きいのと小さいのが寄り添っている感じでパックされているエリンギをスーパーで見たとき。

食器洗いというPodcastタイム2024/02/27

前に食器洗いという鬱時間で、食器洗いの時間は自分の黒歴史強制再生タイムになって鬱だ的なことを語り、何か聴きながらやればいいのかもという結論に至った。

それから食器洗いの時間はPodcastを聴くようになった。Podcastをというか、今のところ100%うちあわせCast。

回ごとに聴いたり聴いていなかったりなので、とりあえず遡っていっている。一回分聴くのに数日かかるが、回と回の間隔がそれなりの日数あいているので新しい回が公開されるまでに何回分かは遡れる。

トークは集中して聴いていないと話がわからなくなってしまうので、黒歴史を発掘している場合ではなくなった。苦しみが取り除かれたのに加えてPodcastを聴く時間を確保できるようになって思考が刺激されるようになり、むしろかなりポジティブな時間になった。

生きるのが上手いとか下手とかいうのは、例えばこういうことなのだろう。

デオキスイ2024/02/26

漢字が想像できない名前シリーズ。

ケシキスイ科の甲虫で、「~~デオキスイ」という種が色々ある。元々は主従が逆でケシキスイムシ科はデオキスイムシ科と呼ばれていた模様。

ケシキスイとは? 意味や使い方 - コトバンク

デオと聞くとデオキシリボ核酸とかデオドラントとかをイメージしてしまう。一体何語なのかと思うが、漢字で書くと何のことはない。「出尾木吸」と書き、お尻が翅からはみ出ているということを表しているようだ。なるほど~。ワオキツネザルが「Wow!」ではなく「輪尾」なのと同じタイプのなるほど感。

ちなみにケシキスイは「芥子木吸」。なるほど~~~。

なお甲虫なのでそんなに気持ち悪い姿をしているわけではない(と私は思う)けれど、小さい虫なのでなんとも言い難い写真が出てきがちのため、お調べになる際はご注意ください。

サイトの引っ越し2024/02/25

Freshで作ったバージョンが公開に至った。

JSXを使って書けるのは本当に快適だ。そしてサイトの構成を作るのもちょー簡単なので、やっていて楽しかった。煩わしいとか面倒くさいとかいう感じがなかった。

去年の時点ではReactもJSXもWebフレームワークも全然扱えるレベルに達していなかったので、この二ヶ月弱でかなりレベルアップした感がある。

やろうと思えば色々やれそうなのでのらてつワールドを作っていけるといいなと思う。

 

Freshで自分のプログラミング体験というのは大きく変わったけれど、何がどうすごいのかを言い表すのが難しくて「とにかくすごいんですよ(ボキャ貧)」としか書けない件。

最高にキュートなもの2024/02/23

オオサンショウウオのおてて。

物申したい度の高まり2024/02/22

を、自分で感じることがある。

これには二つのパターンがあって、絶対的に物申したい度が高まっているパターンと、相対的に物申したい度が高いということになってしまっているパターンだ。

今は後者の方だと感じる。元気がないので、絶えず強制的に感情を刺激されてしまう「不快」が相対的に強い状態になる。

一番低コストでできてしまうのが「物申す」なのだろう。ちゃんとした批判はむしろ最もコストがかかるが、「物申す」のは簡単にできる。

こういう時に限ってネタのストックがなかったりするんですよね。

気分が悪いと文化的な話がしづらい2024/02/20

気分というのは機嫌という意味も体調という意味も含めている。気分が悪いとはつまりヘルシーじゃない時ということだ。

厭世的な気持ちでいることは多い。それは主観的にはヘルシーじゃないけれど、しかし真にヘルシーじゃない時からすれば、単に厭世的でいるだけなら別に不健康ではないとわかる。

身体的あるいは精神的にヘルシーじゃない時、どうも文化的なことを考えることが難しい。カメラのピントが合わないというのか、素朴に何かを見つめるということができなくなる。何かを見て何かを感じても、それを言葉にする気力がない。できる時はコストなしにやれている気がするのに、できないといったらなんとしてもできない。

そういうものを言葉にすることは自分を回復させることだとも思う。だからそれができないということは自分で自分を回復させることもできないということで、好循環に入っていけない。

困ったものだ。

年をとったと感じる時2024/02/17

「AさんとBさんが交際」というヘッドラインを見てどっちも誰なのかわからなかった時。

サモンズボード10周年2024/02/13

ガンホーのスマホゲーム「サモンズボード」が10日に10周年を迎えた。めでたい。

私はリリース当初に始めて途中で一度やめてしまったのだが、去年またインストールして最初から始め、それからずっとやっている。なおやめた理由は「戦略的過ぎて疲れた」「他のソシャゲをやりたいので優先順位が下がりやる時間がなくなった」「他のソシャゲを入れたいので容量を空けたくなった」ということ。

新しいキャラが強力だし普通にガチャをやっていれば何かしら手に入るので、新たに始めても大丈夫な親切設計。他人と競うこともほぼないので弱くても問題ない。

難しいステージが攻略できないままになっても、(コラボ以外は)いずれ復刻するのでそんなに悔しくない。とにかくストレスが少ない。昔の昔はあまりにも戦術重視で疲れてしまったけれど、今はキャラの適度なインフレによって自分にできることが増えたので楽しい。インフレしてもPvPがないので腹は立たない。

マス目の上をキャラそれぞれの「移動できる方向・量」に従って動かして戦うというチェスのようなバトルシステムが秀逸で、サモンズボードを一度やめた後にこれを超える面白さのゲームには出会えなかった。あとイラストが綺麗でデフォルメがかわいい。ソシャゲ類を全部やめてサモンズボードに戻ってきて、今は楽しい時間を過ごせている。

note記事も移転完了2024/02/12

noteに投稿した記事も移した。Noratetsu LabとトンネルChannel同様このサイトに表示されるようにした。

自分がもう見たくない記事は省いた。ほとんど省くことになるかと思ったけど、読み返すとまあ悪くないんじゃないと思えるものもあったのでそこそこ残すことになった。

過去記事移転(ほぼ)完了2024/02/10

Noratetsu Lab内の記事の引っ越しが終わったあああああ。

Dynalistに移動したのでこのサイトで表示することが可能になった。

とても大変でした。飽き性には辛い単純作業(しかもちょっと頭使う必要あり)

ある程度は作業しやすいようにスクリプトで加工したけれど、どう頑張っても自動化し得ない要素があったので手作業せざるを得なかった。でも今後機械的に扱えるための作業だったわけなので、これは一度で済む苦労。

あとはnoteの記事を引っ越そうと思う。まあこっちは全部引っ越さなくてもいいかな。

心配しなくてもそれを嫌いな人は他にもいる2024/02/08

Twitterのオタクたちは「嫌いなものを語るな、好きなものを語れ」ということを耳にタコができるほど聞いている。嫌いなものを語ることは本人を含めて誰にとってもほとんどメリットがなく、およそ「賢明」ではない。

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それでも嫌いなものを語りたいという欲求はなくしがたいもので、「好みの問題」に過ぎないとわかっているものについてはなんとか我慢しても、批判を浴びて当然の出来事が発生したりすると待ってましたとばかり恨み言をぶつけたりする。その気持ちは私も持っている。チクリと皮肉を言ってやりたいみたいなことはある。

 

逆に嫌いなものを語らないことで受ける不利益は何か。実際に不利益はない気がするけれど、主観的には言わないでいることの方が損に感じられるところがあるから言ってしまうわけである。

誰も自分が嫌いなものに対してネガティブ評価をしないとすると、目に映るのはポジティブ評価だけになる。そうするとみんなそれを良いと思っているかのようで、世界がそれに染まるような感じがしてくる。それを否定するのは許されないかのような雰囲気が漂っているように思えてくる。

それはまあ、当たり前に苦痛だろう。自分が嫌いなものが肯定されているのを見ることは、間接的にそれを嫌っている自分の感性が否定されているような気持ちになるものである。その解釈は妥当ではないとしても、妥当であろうがなかろうが心に発生するものは発生するのだ。

そういう気分は不愉快を通り越して焦燥や恐怖をもたらす。「みんな」が自分の嫌いなものを肯定し始めるとかなり辛い。

 

しかし実際にはそれは「みんな」などではない。如何なるものについても「沈黙している人」が相当数いる。むしろ世の人間のほとんどは「沈黙している人」である。で、心配しなくても、そこに「それを嫌いな人」は必ず多数いる。

もちろん、同じものを嫌いな友人などが実際にいた方が心は安定するだろう。しかし逆に「嫌いな方が当たり前」という感覚に陥るとそれもそれでよろしくない。攻撃性を増すようではよくないので、嫌い談義であまり盛り上がらないことである。

沈黙の中に同士はいる。そう信じることで平静を保つのが、自分を貶めずに済む現実的な選択肢だろう。

Obsidian再インストール2024/02/07

Obsidianを久々に使うことにした。

noteにいろいろ記事を書いておきながら、私自身はその後しばらくして使うのをやめてしまって長らく使っていなかった。当時はObsidianがなんだか妙に重くて(私の環境だけかもしれない)、さっと編集するということがやりにくくなってフェードアウトしてしまったのだが、今再インストールして使ってみると今のところは特に重いということはない。

久しぶりに触ってみたところ、なんとなく以前より快適になっている気がする。どこがどうというのはよくわからないけれど前より良い感じがする。

今回再活用しようと思ったのには具体的な理由があって、それさえ達成できればいいから、「第二の脳」的な使い方はしない。コミュニティプラグインも何も入れないでおこうと思う。Zettelkastenとかもやらない。デイリーノートも作らない。グラフビューも見ない。タグも使わない。

使い込まずに使う、という感じ。

○○術と言っちゃうことへの葛藤2024/02/06

自分のことを知っている人あるいはどこかにいるはずの自分と似ている人に自分はこう使っていると言いたいだけで提唱しようという気はないけど、検索で引っかかってしまうかもしれないと思うとなんか大声で言おうとしているかのようで微妙だな…とかごにょごにょ考えている。気にしたら負けだ。

Twitter的なSNSはその点すごく難しくて、こちらが想定している範囲と実際にアクセスしてくる可能性のある範囲が違っている。昔のようにある個人サイトにたどり着くまでにリンクを渡り歩く必要があった時代は自然と「十分狭い範囲」になっていたのに、今は単語検索一発でたどり着かれてしまう。全然狭まらない。

単純に検索を避けるならアカウントに鍵かけちゃうのが早いけど、そういうことじゃないんだよなあ。まあ嫌ならMastodon…しかしそういうことでもない…。

気にしたら負け! それ以外にない!

鯉用芋ようかん2024/02/05

2024/02/05放送の「ギョギョッとサカナ★スター」でコイのことをやっていた。

驚いたのが、コイを釣る餌として芋ようかんを使うということ! 釣りをする人には常識なのかもしれないけれど、私は知らなかったのでシャーク香音と一緒に「ええっ!?」と叫びました。

ちゃんとコイ用の芋ようかんがあり、人も食べられるようなものだが(黒砂糖使用とか書いてあったしさかなクンが実際に食べてみせた)、コイが気づきやすいようにより匂いが強められているらしい。

芋ようかんを使ってさかなクンと香音さんが釣りを始めたら香音さんがめちゃデカいコイを釣り上げたので、芋ようかんパワーは覿面のようだ。

芋ようかん、久しく食べてないな…。食べたくなってきたな…。