せめて正月くらいは、という人間の思いも虚しく、地球は地球の都合で容赦なく運動する。

メディアは立場上報道をしなければならない。他の放送局がやっていようが関係なく、それぞれが己の責務として報道をする。全ての局が災害報道一色になる。当たり前で、やむを得ないことだ。

被災していない人々は、いつもならメディアやタイムラインが作ってくれる日常を、自力で守らなくてはならなくなる。特に年末年始はメディアに気分を演出してもらっている部分がやはり大きい。報せを聞いてただでさえ苦しいのに、自分の心を守ることを誰かに頼ることができない。

 

テレビの報道は一番大きな地震の直後だけ見て、あとは見ていない。津波への警戒の呼びかけは、被災の可能性がある人々に向けられたもので、そして聴き続けることを前提としているものではない。切迫感極まる強い声音は、心の健康を考えればずっと聞いていていいものではないだろう。

私は情報の転記作業を淡々とやった後、夕飯どきには年末の番組の録画を見ていた。シンプルに笑えるものだ。そうやって、思いを致しながらも自分を守るために「いつも通り」を貫くことには、常に苦しみが伴う。

今はただ祈っている。そして今日は自分の備えを確かめることにする。苦しい年明けになった。