茶の間
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顔(2024年)2024/03/14
年始にやっていた松本清張原作のドラマ『顔』を見た。録画したままになっていたのを消化ということで。
テレビ朝日開局65周年記念 松本清張 二夜連続ドラマプレミアム 第一夜『顔』|テレビ朝日
原作は読んでいないけど、確認するまでもなく大胆にアレンジされている。深刻な現実が畳み掛けられて見ていてかなりしんどかった。本当にしんどかった。何がどうとは言わないが、明らかにリスクが非対称である現実。これ一月三日放送だけど正月三が日に見るものではない…。
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後半の聖良(武井咲)と弓子(後藤久美子)がデスクチェアで遊んで笑い転げるシーン、現実は何も「良く」なってはいないけど極限状態からの少しの解放が二人をどれほど自由にしたかを表していて印象的だった。二人が笑えば笑うほど、展開上その後に必ず訪れる断罪の瞬間を思って苦しくなった。
半分あたりの時点で、これこのまま進んで最後はどれほど陰鬱な終わり方になるのかと思ったけど、ラストは良い引き方だったと思う。二人の戦いは続いていくし、ちゃんと二人は戦っていくのだという希望が見えた。その後作中世界でネットがどんだけとんでもないことになったかを想像せずにはいられないけど、そこまで描いていたら「どうしてこんな不愉快な思いをしてまで物語を見なきゃいけないのか」という気分になって終わったに違いないので、最後の幕がスッと閉じられたのはとても良かった。全部言わなくても、現実を嫌というほど知っているのだから十分だ。
武井咲のリアリティがすごかったなあ。容姿も声もぴったりで、武井咲が演じたのを見てしまうと他の如何なる俳優もこの役はできないのではと思ってしまう(実際どうかは置いておいて、気分として)。後藤久美子はめっちゃくちゃ久々に見て「こんな感じだったっけ!?」と驚いた。正直声の演技がもう一歩で惜しかったなと思ったけど、なんというか、見れて嬉しかったので良いです。さすがに存在感は抜群だと思う。
そういえば、「後藤と武井が火花を散らす、女同士の極上のバトル」とか書いてあったけど、全然そういう話じゃないです。一瞬だけ弱み握って(というか恩で)取引みたいなやり取りはあったけど別にバトルはしてないのよね。というかむしろ…という感じ。すーぐそうやって女同士のバトルとか言うからそういうさあそういうあれがさあゴニョゴニョ…。
まあそういう謳い文句で釣ってこの物語を突きつけて視聴者を煩悶させる作戦だったのかもしれないけど。
人生を浴衣にする2024/03/10
「人生を豊かにする」と書こうとして打ち間違った。
消して直してしまう前に一瞬考え、「浴衣的人生」というのを想像して悪くない言い回しじゃないかと思った。
「着物的人生」または「晴着的人生」と「浴衣的人生」の対比。どちらもイケてる生き方で、かつ種類が違う。対照的ではあるけど反対の言葉ではない。反対語を考えるとすれば「襤褸的人生」とかそんな感じ。
鏃礪括羽(ぞくれいかつう)2024/03/09
現状に満足せず、学識に磨きをかけて、さらにすぐれた人材になること。
Scrapboxのプロジェクトには回光返照(えこうへんしょう)という名前を付けているという話を先日した。
ObsidianのVaultにも同じようなノリで何か付けるかーと思って以前調べた四字熟語をひっくり返してみて、内容的にこれがいいかなと思った。「すぐれた人材」というのはちょっとあれだが、まあ「ちゃんと勉強してこうぜ」くらいで解釈することにした。
「回光返照」もそうだけど、普段使わない言葉の方がよく、いっそパッと見で意味がわからないくらいのものがいい。例えば「日々精進」とかにしたら三日で「うへぇ」という気分になるに違いない。ちなみにかなり前にScrapboxの別の自分用プロジェクトに「博覧強記」とつけて、何ヶ月もしないでそのプロジェクトはやめにして「回光返照」に吸収した。名付けが良くなかったと思う。わたしゃそんな意識高く生きていないのよ。
なので、いい感じの方向性を示した言葉でありつつも自分を動かそうとし過ぎないくらいの距離にあるものがちょうどいい。意味を思い出すのはたまにでいいのである。
今後は「これ回光返照と鏃礪括羽どっちに書くのがいいかなー」みたいな表現が自分のライフ・アウトラインなどに普通に登場することになる。これは単に「ScrapboxとObsidianどっちに書くのがいいかなー」という意味に過ぎないのだ。
ドラゴンボールとドラゴンクエスト2024/03/08
鳥山明の訃報にショックを受けている。まだ信じられない。
多くの人がきっとそうであるように、私にとってもドラゴンボールは自分の人生に於いて重要な作品だ。
単行本と大全集を全て揃えてだいたいの映画を見てカードダスもでかいホルダーが必要なほど集めて(つまり親がそれに付き合ってくれて)、幼少の私の何割かはドラゴンボールで構成されていた気がするほどで、今振り返っても人生上一番熱心になっていた作品だなと思う。もちろん絵もいっぱい描いた。
でもドラゴンボールという漫画がどれだけすごいものだったかを理解したのはかなり後になってからだった。なにしろ私が生まれた時にはもうドラゴンボールは当たり前に存在していて、漫画というのはつまりこういうものなんだろうと思っていたからだ。はじめてまともに読んだ漫画だったと思う。自分の中では漫画=ドラゴンボール、くらいの存在感があった。
私が知っているのは漫画42巻とGTまでのアニメ、龍拳爆発までの映画だけで、その後の展開は全然把握していない。なので今となってはファンと自称するのは気が引ける。知っているものについても記憶が曖昧になっている部分は多い。しかし子どもの頃の私は間違いなくドラゴンボールの大ファンだった。
そしてドラゴンクエスト。キャラクターもさることながら、モンスターのデザインに大変な影響を受けた。倒すべき魔物でありながら、コミカルで愛嬌があり、仲間にできるならしたいと思うデザイン。繰り返し繰り返し遭遇するものだから愛せるデザインをしているのはゲームに於いて非常に大事なことだ。
私の中にある、非人間キャラクターの見た目の理想像というものは、99%ドラゴンクエスト、つまり鳥山明(および彼の影響を強く受けた人々)によって構築されたものだと思う。モンスターの絵も子どもの頃たくさん描いたな。
私が熱中したゲームベスト5を挙げれば「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」「ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵」の2作品が入るだろう。ドラゴンクエストのモンスターを見ていた時間が一体どれだけになるのか想像がつかない。ゲームをやっていない時間もシリーズ作品の攻略本を眺めていた。
ナンバリング作品についても、気に入っているのはモンスターを仲間にできるⅤとⅥだ(なおプレイしたのはⅦまで)。そう考えると、私はドラゴンクエストが好きというより、ドラゴンクエストのモンスターが好きなのかもしれない。鳥山明が創造するいきものや機械が好きだった。ドラゴンボールの敵キャラや異星人も好きだった。
キャラデザと言えば、知っているゲームを振り返る限りキャラクターの完成度はクロノ・トリガーが随一だと思っている。全員が隙のないデザインをしている。何より鳥山明ならではの色使いが良かった。ドラゴンクエストのパッケージを初めて見た時もあの色使いに心惹かれた記憶がある(最初に見たのはⅤだった)。
きっと自分で自覚しているよりずっと多くの影響をそこかしこから受けているのだと思う。あまりにも小さい頃からそばにあったものだから改めて意識を向けるような機会を持たずに来たけれど、もし鳥山明のいずれの作品も目にすることなく生きていたら自分がどういう感性になっていたのかちょっと想像できない。でもあと十年や二十年「当たり前過ぎて意識していなかった」ものであってほしかった。
鳥山明先生は本当に亡くなってしまったのか。やはり全然信じられない。ただただ呆然としている。
ばさばさ斬る人2024/03/07
ばさばさ斬る人に憧れを持った人はおんなじような量産型「ばさばさ斬る人」になっちゃう感。
SNSでその様子を見せつける機会は劇的に増えたけど、SNS時代というのは「面白い」至上主義の時代であり、残念ながら「面白くない」代表の「ばさばさ斬る人」は時代遅れだろう。面白く斬れるならともかく。
「どうしてどいつもこいつも無能なんだ」と思っている人が魅力的であった例って私には思いつかない。でもそうなりたい人は多いらしい。
モグラ〜ニャ2024/03/06
1996年発売のゲームボーイソフト。任天堂のゲームでジャンルはアクションパズル。
- モグラ~ニャ(任天堂のページ)
子どもの頃にものすごくハマったゲーム。アクションは苦手だけどこのゲームはできた。
様々なギミックと多様な敵キャラ、穴を掘って地上と地下を行き来するという工夫されたシステムが本当に面白かった。
最近「Mekorama」というスマホゲームをやっていて思い出した。
これもとても面白いけどモグラ~ニャには敵わないかな~。
回光返照(えこうへんしょう)2024/03/03
という言葉がある。
検索すると「死の間際に一時的に元気を取り戻すこと」の意味しか載せていない記述が多く見られるが、私は「自分本来の姿を振り返り、反省して修行すること」の方の意味でこの言葉を使っている。
私たちは、自分が思いどおりにならないことがあったときなどに、自身の外に目を向け原因を探し、解決の糸口を見いだそうとします。そうした外に向かう心のはたらきを内側に向けてみる、つまり内省へと転じてゆく、これを「回光返照」と言っています。
この言葉を使っているというのは、普段使っているScrapboxのプロジェクト名を「回光返照」にしているのだ。で、そういう感じの場になることを一応掲げたわけだけど、実際にはそのプロジェクトの中身は全然そんな感じではない。ぜ~~~んぜん。単なるがらくた箱である。
名は体を表わさない感じのプロジェクトになってしまっているけれども、まあ別にいいやと思っていて、それよりほぼ毎日このプロジェクトを開くことによって「回光返照」という四文字を目にすることが重要だ。
すっかり覚えたし、そのScrapboxプロジェクトを指して「これ回光返照に書いとこ」みたいな使い方をするので、もう数えきれないほど入力した。その場合には単にそのプロジェクトを呼んでいるだけに過ぎないわけだが、同時にうっすらこの言葉の意味も思い出す。いちいち自戒の気持ちになるわけではないけれど、自分のことを見つめようという気にちょっとなる。
ObsidianのVault名がいまいちしっくり来ていなくてちょっと考えていたのだが、それも「回光返照」にしてもいいかもしれない。それか別の四字熟語を探してみようか。ただの愛称であって、中身に合っていなくてもいい。思い出せると嬉しい言葉を名前にしてしまうというライフハック。
心安らぐとき②2024/03/01
すげえ変な形のいちごがすげえお値段で売られているのをスーパーで見たとき。(あまおう)
昔、確か「とよのか」だったと思うけど、巨大な上にべたっとした楔形のものがいくつか混じっていて衝撃を受けた。とても美味しかったので、それから「変な形の方が美味しいに違いない」と思っている。
(形がへんてこというだけでも私にとってはかなり幸福感がある。)
心安らぐとき2024/02/29
大きいのと小さいのが寄り添っている感じでパックされているエリンギをスーパーで見たとき。
食器洗いというPodcastタイム2024/02/27
前に食器洗いという鬱時間で、食器洗いの時間は自分の黒歴史強制再生タイムになって鬱だ的なことを語り、何か聴きながらやればいいのかもという結論に至った。
それから食器洗いの時間はPodcastを聴くようになった。Podcastをというか、今のところ100%うちあわせCast。
回ごとに聴いたり聴いていなかったりなので、とりあえず遡っていっている。一回分聴くのに数日かかるが、回と回の間隔がそれなりの日数あいているので新しい回が公開されるまでに何回分かは遡れる。
トークは集中して聴いていないと話がわからなくなってしまうので、黒歴史を発掘している場合ではなくなった。苦しみが取り除かれたのに加えてPodcastを聴く時間を確保できるようになって思考が刺激されるようになり、むしろかなりポジティブな時間になった。
生きるのが上手いとか下手とかいうのは、例えばこういうことなのだろう。
デオキスイ2024/02/26
漢字が想像できない名前シリーズ。
ケシキスイ科の甲虫で、「~~デオキスイ」という種が色々ある。元々は主従が逆でケシキスイムシ科はデオキスイムシ科と呼ばれていた模様。
デオと聞くとデオキシリボ核酸とかデオドラントとかをイメージしてしまう。一体何語なのかと思うが、漢字で書くと何のことはない。「出尾木吸」と書き、お尻が翅からはみ出ているということを表しているようだ。なるほど~。ワオキツネザルが「Wow!」ではなく「輪尾」なのと同じタイプのなるほど感。
ちなみにケシキスイは「芥子木吸」。なるほど~~~。
なお甲虫なのでそんなに気持ち悪い姿をしているわけではない(と私は思う)けれど、小さい虫なのでなんとも言い難い写真が出てきがちのため、お調べになる際はご注意ください。
サイトの引っ越し2024/02/25
Freshで作ったバージョンが公開に至った。
JSXを使って書けるのは本当に快適だ。そしてサイトの構成を作るのもちょー簡単なので、やっていて楽しかった。煩わしいとか面倒くさいとかいう感じがなかった。
去年の時点ではReactもJSXもWebフレームワークも全然扱えるレベルに達していなかったので、この二ヶ月弱でかなりレベルアップした感がある。
やろうと思えば色々やれそうなのでのらてつワールドを作っていけるといいなと思う。
Freshで自分のプログラミング体験というのは大きく変わったけれど、何がどうすごいのかを言い表すのが難しくて「とにかくすごいんですよ(ボキャ貧)」としか書けない件。
最高にクールなもの2024/02/24
トゲヒレアシハナムグリのフォルム。
最高にキュートなもの2024/02/23
オオサンショウウオのおてて。
物申したい度の高まり2024/02/22
を、自分で感じることがある。
これには二つのパターンがあって、絶対的に物申したい度が高まっているパターンと、相対的に物申したい度が高いということになってしまっているパターンだ。
今は後者の方だと感じる。元気がないので、絶えず強制的に感情を刺激されてしまう「不快」が相対的に強い状態になる。
一番低コストでできてしまうのが「物申す」なのだろう。ちゃんとした批判はむしろ最もコストがかかるが、「物申す」のは簡単にできる。
こういう時に限ってネタのストックがなかったりするんですよね。
気分が悪いと文化的な話がしづらい2024/02/20
気分というのは機嫌という意味も体調という意味も含めている。気分が悪いとはつまりヘルシーじゃない時ということだ。
厭世的な気持ちでいることは多い。それは主観的にはヘルシーじゃないけれど、しかし真にヘルシーじゃない時からすれば、単に厭世的でいるだけなら別に不健康ではないとわかる。
身体的あるいは精神的にヘルシーじゃない時、どうも文化的なことを考えることが難しい。カメラのピントが合わないというのか、素朴に何かを見つめるということができなくなる。何かを見て何かを感じても、それを言葉にする気力がない。できる時はコストなしにやれている気がするのに、できないといったらなんとしてもできない。
そういうものを言葉にすることは自分を回復させることだとも思う。だからそれができないということは自分で自分を回復させることもできないということで、好循環に入っていけない。
困ったものだ。
年をとったと感じる時2024/02/17
「AさんとBさんが交際」というヘッドラインを見てどっちも誰なのかわからなかった時。
サモンズボード10周年2024/02/13
ガンホーのスマホゲーム「サモンズボード」が10日に10周年を迎えた。めでたい。
私はリリース当初に始めて途中で一度やめてしまったのだが、去年またインストールして最初から始め、それからずっとやっている。なおやめた理由は「戦略的過ぎて疲れた」「他のソシャゲをやりたいので優先順位が下がりやる時間がなくなった」「他のソシャゲを入れたいので容量を空けたくなった」ということ。
新しいキャラが強力だし普通にガチャをやっていれば何かしら手に入るので、新たに始めても大丈夫な親切設計。他人と競うこともほぼないので弱くても問題ない。
難しいステージが攻略できないままになっても、(コラボ以外は)いずれ復刻するのでそんなに悔しくない。とにかくストレスが少ない。昔の昔はあまりにも戦術重視で疲れてしまったけれど、今はキャラの適度なインフレによって自分にできることが増えたので楽しい。インフレしてもPvPがないので腹は立たない。
マス目の上をキャラそれぞれの「移動できる方向・量」に従って動かして戦うというチェスのようなバトルシステムが秀逸で、サモンズボードを一度やめた後にこれを超える面白さのゲームには出会えなかった。あとイラストが綺麗でデフォルメがかわいい。ソシャゲ類を全部やめてサモンズボードに戻ってきて、今は楽しい時間を過ごせている。
note記事も移転完了2024/02/12
noteに投稿した記事も移した。Noratetsu LabとトンネルChannel同様このサイトに表示されるようにした。
自分がもう見たくない記事は省いた。ほとんど省くことになるかと思ったけど、読み返すとまあ悪くないんじゃないと思えるものもあったのでそこそこ残すことになった。