茶の間
古のブログ風のミニマムな投稿場所です。
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筆記具2024/02/01
ちょっと前まで油性ボールペンを使っていたけれど、今はもう極細水性ペン(プロッキーなどの細い側)一択になっている。さらさらっと書けるのが良い。
あと「あかあおえんぴつ」をよく使っている。小学校の時に親が用意してくれたものがまだ思いきり余っている。特にあお(紺)の方は尖らせて筆記に使っている。あか(朱)はマーキングの方が多い。黄色の色鉛筆もよく使う。
鉛筆はインクやペン先の具合を気にしなくていいのが楽でいい。残量は明らかだし、手入れと言えば「芯を折らない」「時々削る」だけで済む。
難点はインクのようには筆跡がはっきりしないことと太さが安定しないこと。楽だが「やっぱりペンの方が…」という気持ちを度々抱くのは免れない。
「憮然」と「気色ばむ」2024/01/31
今現在「憮然(ぶぜん)」は「むっとした様子」という意味で使われがちだが、本来「憮」は「心を無くす」と書くように「むなしい」「失望する」という意味合いの字。よって「憮然」は「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま」ということになる。
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それなのに「憮然」がしつこく使われるのは、「ぶぜん」という音のイメージが本来の意味と合っていないことと、「むっとした様子」を表す言葉が他に思いつかないことによるのだろう。
日本国語大辞典の用例として松本清張の一文が挙げられているが、松本清張がそのように使っていたということであれば、誤用がこうまで浸透したのも尤もなことだ。
私も「むっとした様子」をずばっと表す言葉になかなか思い至らなかったが、「気色ばむ」という言葉があることを思い出した(たまたま見かけて)。
しかしこっちはこっちで全然「むっとしている」感が想起されない。「けしきばむ」という音や「気色」という字面から何を思い浮かべればいいのかが自明ではない感じがする。そもそも「何かしらの顔色が現れる」的な意味しか示していない言葉だろうし、慣習として意味が狭められているとしても、見た目には怒りや面白くない感じに限定する必然性がない。「色を作す(なす)」も同様だ。
「憮然」については誤用と分かっていて使うのもなんだか嫌なので、辞書が揃って「転じて、~~」などと書くようになるまでは「むっとする」という意味では使わないつもりでいるものの、もはや本来の意味を表そうとして用いてもおそらく通じない。
早いうちに後世まで通じるうまい言葉を作れなかったせいで、後々に他の言葉が意味を乗っ取られアイデンティティを剥奪されている。
言葉は変わり続けるもので仕方のないことだが、その渦中にある言葉を見るとなんだか遣る瀬無いような気持ちになる。一方で私たちは「とうに乗っ取られた言葉」をしばしばさも伝統があるかのように使っている。それが全く「正しい日本語」でなかった時期があることを知りもしない。よって、言葉の軽々しい移り変わりを嘆いてみたところで、昔の人から言わせれば笑止千万もいいところだろう。
ルリチュウレンジ2024/01/30
漢字が想像できない名前シリーズ。
ハバチの仲間の蜂。全身メタリックブルーで綺麗。写真だと光沢がわかりにくいけど、実物を見ると甲虫並にピカピカしている。針が無いので刺さないし、動きものろいので、蜂と言っても怖くないやつ。
漢字は「瑠璃鐫花娘子」。変換したら余計にわからない。瑠璃色のチュウレンジバチなのはいいけども、「鐫花娘子」とは。
(↓でかでかと虫の写真があるので苦手な人は開かない方が良いです。)
「鐫」は、「のみ」と読み、木材などをうがつ道具のことを意味しています。
ふむ、葉や茎に卵を埋め込むように産みつける様子からこういう名前のようだ。「鐫」は音読みでは「セン」のようだけど、じゃあ中国語読みなのかというとそれも違うような? 「鐫花娘子」がどうして「チュウレンジ」に…。
この記事ではネット上の記述を調べた結果が報告されているけれど、まあやはりよくわからない。
個人的な推測では、注連縄(しめなわ)の“注連(ちゅうれん)”から来ているというのもあり得るか…? とは思った。
これは気持ちとしては結構なるほどと思えた。葉の端に卵を産み付けていった時の様子が縄っぽい感じがなくもない。
レファレンス協同データベースも見てみたが、過去にチュウレンジについて質問した例は収録されていないようだ。今度図書館に行った時にでも調べてみようかと思う。
晩夏になると、気づいた時にはツツジが幼虫だらけになっていたりする。まあよっぽど大量発生しないとすっかり丸坊主とまではいかないと思うけども。
どうでもいい文句
どうでもいいけど、チュウレンジバチ駆除について書いているとあるWebページで使われている写真が、幼虫も成虫もどう見てもチュウレンジバチではなかった(アメリカシロヒトリか何かの幼虫とクロウリハムシの成虫に見える)。専門家面して適当な情報をばら撒かないでほしい。
もしかして:2024/01/29
私は音楽が好きなのでは?
前に「音楽が好きというほど音楽が好きなわけでもない」と書いたけど(自分を作るもの)、その割に音楽の話をしようという気持ちが強い感がある。
好きであるということは専門性を有するかどうかとは全然関係がない。逆に何かの専門家もその対象を好きとは限らない。流れでその専門家になっちゃったからやってるだけです、という人も普通にいる。
でもなんとなく、好きと言ったら人より「詳しい」必要があるかのような気がしてしまう。これはなんなんだろう。
別に「好き」のゴールは「オタク」でも「マニア」でも「フェチ」でもないだろう。メジャーなものしか聞かなくても、トレンドを全て把握してなくても、音楽用語をきちんと知らなくても、その体験を気に入っていれば好きと言ってもいいような気がする。
黄金魂2024/01/28
湘南乃風の曲。2008年。
湘南乃風「黄金魂」MUSIC VIDEO - YouTube
単体で聴いて泣いてしまった経験をしたのはこの曲だけかもしれない。(挿入歌のようにシチュエーションが合わさって泣いたのはある。)
もう結構前のことになる。心が疲れきっていた帰り道、音楽を聞きながら歩いていたらシャッフル再生でこれがかかり、いつもは気にしない歌詞がちゃんと言葉として耳に入ってきた。
なんというか、生きなきゃ駄目だなと思った。踏ん張っていこうとか思えたわけではないけど、死ぬのはやめたほうがいいということは思った。この歌は上っ面の励ましじゃない感じがしたからだと思う。
この社会ってうまくいかないよね、という「あるある」的な共感じゃなくて、社会に押し潰されて人生を諦めて、そうしたら本当に何にもなくなっちゃうぞという、リアルで差し迫ったメッセージを感じた。誰かの人生がそうして何にもなくなっていってしまうことを、この人たちは本当に悲しんでいるのだろうと思った。「まあ頑張っていこうぜ」ではなく、「お願いだから頑張ってくれよ」という感じ。
実際のところどうかは知らないけれど、私の耳にはそういう叫びとして届いた。
ショッパーを壁に貼る2024/01/27
五年くらい前だと思うけれど、Instagramでノート術・手帳術・勉強術の類の投稿を見るのがマイブームだった時期があって、「勉強垢」と自称するアカウントを色々見ていた。だいたい女子高校生だろう。
今のトレンドは全然把握していないので相変わらずなのかわからないけれど、当時は勉強のお供として無印良品の製品が大流行りで、勉強垢たちは如何に無印良品を愛しているかを語っていた。
ものすごく印象的だったのが、無印良品の店のようにすっきり整った勉強机を写した写真の中、正面の壁のところに無印良品の小さめの紙袋を畳んだものが貼られていたことだ。袋の口を留めてもらうテープをそのまま使って壁に貼ってあった。そういうアカウントがいくつかあった。
もしや女子高校生のフリをした良品計画社員か…? と思ってしまったくらいだ。まさか違うだろうと思うけど、それならそうでも別にどうでもいい。まあ私が受験生だった頃も無印良品の文房具は相当流行っていたし、無印良品愛アピールに余念がない子がいても不思議ではない。
気に入った店の紙袋を目の前の壁に貼る、という選択肢は自分の頭には全くなかった。なので勉強垢たちの投稿を見て「そ、そんな彩り方があるのか…!」と甚く衝撃を受けた。
店でもらってくる紙袋を何かに使うというのはやらないわけではないし、私は自作ノート(A5無地)の表紙に使うこともある。でも壁に貼るという発想はなかった。(初めて見たわけだからまあそんなに一般的な発想ではないだろう。)
じゃあ私もと思って実践したわけではないけれど、自分の生活の選択肢を確かに広げた出来事だった。
スマホゲームで英語に親しむ2024/01/26
あるモンスター育成系ゲームをなんとなくインストールして始めたのだけど、日本語化されていないものなので全て英語で書かれている。で、英語のセリフを読んでみると、いやあ全くさっぱりわからない。全~~~然わからない。
八割くらいは私の英語嫌いによる不勉強のせいだけど、原因は多分それだけではない。日本のゲームでもそうだけど、ストーリー性のあるRPGの文章というのは中学高校では出てこないような難しい単語が頻出するものだと思う。普通に他の簡単な言葉で言えるところを敢えて堅苦しく言うことになる。「悪賢くてひどい」ではなく「邪智暴虐の」と言う、みたいなことだ。
とはいえ子どももやるようなゲームなのだから、多少難しくてもネイティブなら誰でも知っている程度の単語なのだろう。
わからない単語が出てきたらノートに書いて調べながらセリフを読むことにした。ゲームは全然進まない。ノートはどんどん埋まっていく(単語を知らなすぎる!)。
まあゲームをスムーズにやれてしまうと時間を溶かし過ぎるので、遅々として進まないくらいが健康にも良い気がする。
写経の効用2024/01/25
今年に入ってから般若心経を三回写経した。
そんなに習慣になっているわけではないし、その前に書いたのは何ヶ月も(もしかしたら一年以上)前のことだ。偶に書こうと思った時だけ書いている。
一回目は、三日に「国家安泰」を祈願文として書いた。日本という国が終わってしまうかのような気分になったからだ。
写経は修行であり、願いを書きはするが仏様に叶えてもらうことを「期待する」ものではない。書けば叶うというわけではないのだ(そりゃそう)。
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何か大きな出来事があって心を乱された時、無防備でいて且つ発信する手段を持っている場合(つまりSNSなんかをやっている場合)、自分のショックにけりが付くまで誰のためにもならないような言葉を綴って発信してしまうおそれがある。そのように言葉を綴っている時、その言葉の真っ当さばかりが気にかかり、落ち着いて現実を見通すというようなことはできない。責めてもよさそうな誰かがいれば、如何にその人が責められるべきかを考え出して発信することになる。被災者・被害者に思いを馳せている体で際限なく放言する。逆にそうしている人を見れば諌めて回りたくなったりする。要は誰も彼も騒々しい。言動が適当でないっぽい人間は無限に目に入り、胸中の嵐が収まるべくもない。
写経にはそれなりに時間がかかる。266文字+αを筆で丁寧に書くとなると二時間近くかかってしまう。その合間にスマホを見たりなんかしたらお行儀が悪い。つまり「見る」も「言う」も封じられることになる。ありがたいお経を書いているから心が落ち着くというよりは、騒がしいものとの接続を遮断されることに直接的な効能がある。
二時間前に何か言ってやろうと思っていたことがあったとして、二時間経ってもまだ言ってやりたいと思い続けていることはそんなにない(直接的に恨みがある場合は別だが)。わざわざ言うのが馬鹿馬鹿しくなってくる。誰に向けて言っているのかわからないなと気づく。二時間の間燃料を取り込み続けていたらそうはならない。
情報をシャットアウトするだけで、そうしないよりは心が穏やかになる。加えて写経は、書くことに注意を向ける必要が生まれる。だからといってぐるぐる考えてしまうことをやめられるわけではないが、「文字を書く」ということが何割かは意識を奪ってくれる。
何か楽しいことで相殺するという手もあるにはあるが、そうするとその楽しい何かとネガティブな状況がリンクしてしまう可能性がある(関連:私自身に気づかれたくないこと)。楽しい何かの純度が下がるというか。なので何とも結びつかない、そして何と結びついても支障がないような非日常の選択肢があると、こういう時には助けになる。その一つとして写経がある。
椋鳥のおさまる樹2024/01/24
年始の記事で俳句について書いた(俳句の世界への一歩)。
『鳥獣虫魚歳時記 秋・冬の巻』を読んでいたわけだが、最初は「ふーん」と思いながらぱらぱら見ていた。しかし椋鳥の項を見て「いやこれはちゃんと書き留めなくては」と思い直し、気に入った句をノートに取り始めた。
あれ程の椋鳥をさまりし一樹かな 松根東洋城
この歳時記での最初の感動はこの一句。「あれ程の」が面白い。いやほんとそうですよねという感じ。今風に言えば「それな!」である。
そして同じく椋鳥の項に載っていたのがこの句。なおどちらも「椋鳥」は「むく」と読んでいる。
椋鳥の群去りし一樹の痩せにけり 山田弘子
あれ程の数が収まり、そしてそれ程の数が飛び去って樹は痩せてしまった。松根東洋城の句を踏まえて山田弘子が詠んだということになるのかどうか経緯はわからないが、この二句が私の中ではセットになり大変愉快な気持ちになった。
前に松根東洋城と高濱虚子一門が好みのようだと書いたが(特に稲畑汀子)、調べたところ山田弘子は高濱年尾・稲畑汀子に師事した人とのこと。やはり。
彩磁紫陽花模様花瓶2024/01/23
板谷波山の1915年(大正4年)の作品。以下の記事中に写真が掲載されている。
去年放送の日曜美術館で板谷波山が取り上げられて知った。
この花瓶は個人蔵とあるので、普段はどこかに行けば見られるというものではないのだろう。
写真だと魅力の1/3も伝わらない感があるが、テレビで映像として見た時には非常に深い感動を覚えた。普段美術品を見ても欲しいとは思わないけども、これは「欲しい!」と思った。淡く繊細な色彩と葉や花を立体的に見せる彫りが美しい。
素人的に言うと全面みっちり紫陽花で埋め尽くされているデザインに驚いた。前に触れた褐釉蟹貼付台付鉢のようなものもそうだけど、自然をそのまま写し取ったような美術品が私は好きだなと思う。
ジョウカイボン2024/01/22
漢字が想像できない名前シリーズ。
カミキリムシに似た甲虫で、細長い長方形状のスマートな姿をしている。分類的にはカミキリムシというよりホタルと近いらしい(ホタル上科)。
「浄海坊」と書くのでは、という説があるが、どうも定かではないようだ。
浄海(=平清盛)を死に至らしめた熱病を想起させる強毒をカミキリモドキが持ち、カミキリモドキと似た姿のこの虫が誤って「浄海坊」と名付けられた、という説は面白いが、一人の学者の「こうだったりして」的妄想に過ぎない感がある。
結局どう書くのか正しいことは分からない。とりあえず響きが面白い不思議な名前だ。
自分の人生には何も影響しなかったアーティストたち2024/01/21
椎名林檎、鬼束ちひろ、Cocco、天野月子、Ali Project。
同年代にはこの人たちをセットのようにしてハマっていた人が結構いると思うんだけど、どのタイミングでどう過ごせばそのルートに入るのかわからないまま、なんとなく無縁に青春時代を通過してしまった。さすがに椎名林檎、鬼束ちひろ、Coccoは1曲2曲耳にしてはいたけど、他のアーティストは存在自体結構後から知った。
その時期はEXILEとかMONGOL800とかファンキーモンキーベイビーズとかを聴いていたので接触しようがなかったのかもしれない。今思うにこれらは正反対に位置する音楽かも。
昔は割と「元気出して行こうぜ」系の曲を多く聞いていた気がする。無理して明るさを取り繕って生きていたせいかもしれない。EXILEの「Giver」を気に入っていた時期があったけど、振り返ってみるとこれをリピートしているのは逆に病んでいる感がある。
いや、ATSUSHIは何も悪くないんだけどね。
ウェーイというタイプだからこういう曲を好きになるのか、とてもじゃないけどウェーイという感じでは生きていけないからこういう曲に掴まろうとするのか、まあ好きにも色々ある。(無論私は後者です。)
tazuna2024/01/19
RADWIMPSの曲、2018年リリース。
2019年放送のNHKスペシャル「恐竜超世界」の挿入歌。
デイノケイルスが肉食恐竜から子どもを守るために戦い抜いて命を落とす場面で流れた歌なのだが、信じられないくらい深い悲しみに包まれ、今でも曲を思い出すだけで涙が出てくる。あのシーンにこの曲を流すことを決めた人のセンスにひれ伏してしまう。
我が子を守って死ぬ、という展開の悲しさはそりゃまあとても悲しいのだが、ぼろぼろ泣くほどのことだったのかというと、完全なる想像上の、しかも人間ではなく恐竜の話なので、普通だったらそこまですごい悲しみとは感じなかったと思う。明らかに感情移入するように演出されてはいたけれど、そうは言っても野生ならありふれたことなのだ。
でもこの歌が流れたことによって、とてつもない悲しみ、いや悲しみというか……感動なのかなあ、とにかくそういうものに襲われ、もはや強制的と言っていいレベルで滂沱の落涙に至った。
あまりにも歌の影響力が強烈だったのでちょっと音楽というものが怖くなった。
ヤンマーニ2024/01/18
KalafinaのstoriaからFictionJunction YUUKAを思い出したのでついでに。
「ヤンマーニ」というのは、FictionJunction YUUKAの2004年の曲「nowhere」で繰り返されるフレーズである。
「ヤンマーニヤンマーニヤンマーニヤイーヤ」と聞こえるけど、梶浦由記曰く実際は「ヤッラーヒ」だったらしい。そう言われて聞いてみると確かにそうかも? LIVEの歌唱だとよりはっきり「ヤッラーヒ」と歌っている。いずれにしても意味のある言葉ではないようだ。(LIVE版は演奏がCD音源とはかなり違うので聴いてみると面白い。だいぶハードロックになっている。)
アニメ「MADLAX」の挿入歌だったとのことだけど、その当時は見ていなかったばかりか存在も知らなかった。何年か後になってニコニコ動画を見るようになったら、この曲が半ば常識として扱われていたのでそこで初めて知った。
「ヤンマーニ」部分も印象的だけど他の部分もいいなあと思う。サビの終わり方の跳び上がるような感じ、そして間髪入れずに「ヤンマーニ」に繋げてAメロへ。この流れが面白く、絶え間ない歌声に自分が運ばれていくような感じがする。そして急かし続けるようなドラム。Kalafinaの「Magia」のドラムにもそういう圧をちょっと感じたけど、面白い世界観だなと思う。
あと間奏を挟んだ後の、高低二つのメロディが同時に進んでいく展開(専門用語がありそう)の部分も面白い。人間の中にあるアンビヴァレンスを感じる。聴き込めば聴き込んだだけ発見がある曲だ。
FictionJunction YUUKAの曲は他に「荒野流転」や「焔の扉」が好き。いずれもそれを主題歌とするアニメは見ていないけど。他の曲も総じて美しくて素敵です。
Freshがだいぶわかった2024/01/17
DenoのフレームワークFreshの書き方がだいぶわかった。去年までのReactの飲み込みの悪さからすると半年くらいかかるんじゃないかと思ったけど、半月でおおよそ必要な要素は掴めたようだ。
思ったよりずっと速やかに理解できたけど、久々に謎のエラーとの格闘が続いて脳が筋肉痛という感じがする。
アナログノート風デジタルノートツールをFreshで作り直している。書き方が根本的に違うので結局全部書き直しだが、JSXとstate管理を使うとコーディングが簡単になるので仕組みが理解できさえすれば換装作業自体はそんなに苦労は感じない。
パーツの追加などが楽になるので色々試しやすくなる気がしている。
storia2024/01/16
Kalafinaの曲で2009年リリース。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」のテーマ曲(2021年まで放送)。
初めて耳にした時はかなりの衝撃を受けた。この曲の壮大さは「歴史秘話ヒストリア」にあまりにもマッチしていて、番組を見て歴史に馳せる思いのしみじみとした感じの、その何割かはこの曲によって生み出されていたようにすら思える。
「歴史秘話ヒストリア」には他にもKalafinaの曲がいくつもエンディングに使われていて、どの曲もありとあらゆるストーリーを「時を超えて現在へと繋がる感動の秘話」にしてしまう。
Kalafinaのハーモニーは非常に独特な美しさだなと思う。知り合いにも熱烈なファンがいた。私はそんなにKalafinaには詳しくないけれど(Kalafinaが活動していた期間は前に書いた通りJ-POP離れ真っ只中だったため)、FictionJunction YUUKAが結構好きだったし梶浦由記ワールドは惹かれるものがある。
Kalafinaが解散してからもう五年になろうとしているところだけど、今更ながら追い直そうかな。
ニールセンのアラジン組曲2024/01/15
デンマークの作曲家カール・ニールセンの曲に「アラジン組曲」というのがある。
Carl Nielsen - Aladdin Suite Op.34 - Hakan Şensoy - YouTube
以前NHK-FMのクラシックカフェで聞いたのだったと思うが、冒頭のメロディのインパクトがすごくて一発で覚えてしまった。冒頭部分の曲調は印象としてはハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」の「ワルツ」をもっと強烈にした感じ。
出だしの圧がすごいが、その後の曲調は繊細で美しくミステリアス。良い曲だと思う。
思えば遠くへ来たもんだ2024/01/14
海援隊の曲。1978年。
武田鉄矢と言うと金八先生その他の俳優業がイメージされるが、歌手としても結構活躍していたのだろう。(世代ではないので当時の雰囲気はわからない。)
私でも馴染みがあるのは「贈る言葉」くらいだが、この間たまたま「思えば遠くへ来たもんだ」をラジオで聞いて、なかなかいいなと思った。ちゃんと聴くと武田鉄矢の声の良さがわかる。この曲のミックスでかけられている効果(?)がまた声に合っている。
長年先生役をやっていたからってドラマの外でも先生風に振る舞う必要はないのではと常々思っているのだが、それ以前にどのように才能を発揮していたかを知ると、やはり有名になるだけはあるのだなあとしみじみ思う。
何事も、あんまりにも大々的にヒットしてしまうと「そこまでか?」的な気持ちが出てきてしまい、多分どんなものもそのようにジャッジしてしまうと「そこまで」ではないと思うのだが、そこまでかどうかは脇に置いて鑑賞してみると、「なるほどヒットするだけあって悪くないな」と思う余地が出てくる。「そこまで」じゃないイコールくだらないもの、みたいな極端な評価は妥当ではない。
競い合いによる開拓2024/01/13
2024/01/07放送の音楽の泉で、オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世による「ワルツ合戦」の話にちらと触れられた。
この二人についてちょっと調べてみるとなかなか面白いというか、まるで漫画のような人生だ。性格は正反対で、それにもかかわらずとても仲が良かったのに、人気の具合で拗れて険悪になり、そうなってからの競争でウィンナ・ワルツは劇的に発展し、やがて仲直りする(ただし元のような親しさには戻れない)。
存命の間はヨハン・シュトラウス1世の方が人気になったが(『ラデツキー行進曲』は今でも定番中の定番)、現在も演奏される曲としてはヨーゼフ・ランナーの方が多いらしい。ウィンナ・ワルツの原型を作ったのはヨーゼフ・ランナーの方。
仲良く二人三脚を続けられたとしてもウィンナ・ワルツは発展するにはしたのだろうが、こなすので精一杯になりそうな激烈な忙しさの中でも新しい風を吹き込み続けられたのは、両者の「あいつに負けてなるものか」という意地のおかげではなかろうか。この二人はどちらも超重要人物として今に至るまで名を残しているが、生きている間大人気であった割に音楽史に名前は刻まれなかった、という作曲家はおそらく数多い。
こういう競争がプラスに働く人と働かない人がいるだろうし、私はプラスには働かない方だが、これが力になった時の限界突破が世界を変えていった例というのはやはり少なくないのだろう。