茶の間
古のブログ風のミニマムな投稿場所です。
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そこに愛はあるんか?2023/12/24
アイフルのCMで大地真央扮する女将さんが板長役?の今野浩喜に投げかけるセリフ。
金貸し屋に愛を説かれても、というのが率直な感想だけど、それはそれとして、一連のCMのインパクトと「そこに愛はあるんか?」というフレーズの利便性はすごいと思う。
「そこに愛はあるんか?」って、笑っちゃうけど真面目に大事なことなので多分ウケているんだと思う。実際使いたくなるし使っている。半分茶化しながら、もう半分は本気で言っている、みたいな感じで。
ところでこのCM、大地真央と今野浩喜じゃなかったらそんなにウケなかったかもしれない。大地真央、ハローキティ並みになんでもやるな…。すごいな…。そしてCM作ってる人すごいな…。
アイフルへの好感度が上がるかというと、何をどうやったって金貸しの好感度が上がることはないのよという感じだけど、大地真央と今野浩喜の好感度は上がっている。それとあっちもこっちもクサいドラマ仕立てでうんざりするCMだらけ(※個人の感想です)の中でこうも愉快な気持ちになるものを作っていることには感服。
昔やっていた、チワワのくぅ〜ちゃんと清水章吾のCMもアイフルだったと思うけど、アイフルは絶妙に面白いもの出してくるなあ。まあチワワを使ったあれは、金貸し屋のくせにそれは卑怯じゃない?と思ったけど(スラング的に褒めているのではなく、語義通りの意味で)。
その点、武富士ダンサーズのCMは開き直った感じで力技極まっていて良かった。意味がわからないままパワーで押し切られる。今でも脳内再生できてしまうから本当に強烈で効果的なCMだったなと思う。
茶の間感2023/12/23
ブログでは「知的生産に関する知的生産」系の記事を主体としていて、それ以外の話を置く場所として「茶の間」と名付けたわけだけど、その当時なぜその場を「茶の間」と呼ぼうと思ったのかは覚えていない。その時は、今ここに書いているような内容を書こうと思っていたわけではなかった。
しかし結果的に、今ここに書いているのは「茶の間」感溢れる内容になっていると思う。10月末から、一日1~2記事公開してきた。記事というほどのものでもないけれど、いずれも自分が読み直した時に面白く思える。
ここまで書いてきて思うのは、多分書けることは無限にあるんだなということ。無限に思いつきはしないし、むしろいつも「今思いつくのはこれだけ」という状態だけど、普通に生きていれば「これ書くか」と思えるものを毎日見かけるか思い出すかする。
逆に、探そうとしてしまうと基準に達しないものを無意識に視界から排除してしまって何にも焦点が合わない感じがある。何気なく目を向けて「あ」と思うのが理想な流れだなと思う。
音楽の不思議2023/12/22
きっとみんなそうだと思うのだけど、誰かが「衝撃を受けた」「忘れられない」「なぜだか涙が出てきた」と言っている曲を聴いてみた時、自分もそうなる確率というのはかなり低いと思う。そしてその誰かも、自分がそのように感じた曲を聴いて同じようには感動しないだろう。
より沢山の人にヒットする曲というのはあるので、そういう曲の場合は感動したと言う人が比較的多くなるけれど、それでも万人が心底胸を打たれる曲というのはない。
このことはすごく不思議なことだなといつも思っている。自分はこんなにも感動したのに、他の人は別にそれほどではない。他の誰かがあんなにも感動しているのに、私にとってはそれほどではない。それがごく当たり前に起こる。どこがそんなに刺さったのか、本人以外にはよくわからないのだ。「ああ、ここかな」という予想すらつかない。
音楽の「ツボ」は指紋のように千差万別なのだろう。音楽を聞いた時にだいたいどんな気分になるかは共通しているのに、深々と刺さるポイントは違っているというのが不思議で面白い。
あまりに人それぞれなので、音楽のことを語ったとして、それが共感されることはあまりないのかもしれない。だけど、その曲については感動がわからなかったとしても、「私があの曲で感じたような衝撃を、この人はこの曲から受けたんだなあ」と思って見ることはできる。音楽語りはそういうふうに読むべきなのだろう。
大阪いいでっせ2023/12/21
モーツァルトのレクイエムニ短調(K.626)より「サンクトゥス」、その後半部分の空耳歌詞。
母親がモーツァルトのレクイエムを好きだったのでかなり繰り返し聞いていて、ここに差し掛かると毎度「おーさかーいいでっせ~↑ええええぇ↓」「おーさかーいいでっせ~↑ええええぇ↓」の畳みかけに襲われる。
本当は「Osanna in excelsis.」で、天の最も高きところに万歳、みたいな感じのようだ。
ちなみにこの部分はモーツァルトによるものではなく(作る前に亡くなったため)、弟子のジュスマイヤーが作ったということになるのだろうか。
このレクイエムは日本語っぽく聞こえるところが多くて、笑うところではないと思いつつ笑ってしまう。コンサートに行ってゲラゲラ笑ったら大馬鹿者だけど、お家で偶然の一致をこっそり愉快がるのは許されたい。
マミチャジナイ2023/12/20
漢字が想像できない名前シリーズ。
ツグミの仲間の鳥。
手元の辞書では「眉茶𪃹」とある。「しない」は大型のツグミの古名とのこと。眉の部分は白いから、眉が目立つ茶色のツグミということだろうか。
他に「眉茶𫛉」「眉茶鶇(鶫)」とも書くようだ。「鶇(鶫)」はツグミ。
緑茶コーヒー牛乳2023/12/19
冬の間は温かい飲み物を飲む。最近よく飲んでいるのは、緑茶(ペットボトル飲料)と牛乳を6対4くらいにしてインスタントコーヒーをスプーン1/4杯くらい入れて電子レンジで温めたもの。
話題になっていたとかではなく、単に常備しているものを混ぜてみたというだけで、他に同じような飲み方をする人が存在するか知らない。
元々ミルクコーヒーはよく飲んでいたけど、なんとなく、コーヒー分が多すぎるかなと感じることがある。といって、牛乳を多くするとかインスタントコーヒーの量を減らせばいいかというとそうでもない。
ちなみに、牛乳を入れるのは好きだがホットミルクは好きではない。牛乳で割られるものがなくてはいけない。
緑茶に牛乳を入れて飲んでみると、まあ悪くないけど、そのまま飲んだ時にちょうどいいように作られているわけだから、牛乳で割ると薄い。
ということで、薄すぎず、コーヒー感が強すぎず、牛乳が多すぎず、というバランスを探って緑茶コーヒー牛乳に行き着いた。すごく美味しいかというと、「別に普通…」としか言いようがないが、飲みやすいのでガーッと飲んでしまう。
緑茶じゃなくて十六茶などの麦茶系にすることもある。
曜変天目ぬいぐるみ2023/12/18
かの有名な国宝・曜変天目茶碗を所蔵する静嘉堂文庫美術館が、曜変天目茶碗のぬいぐるみを販売している。
去年だったかTwitterで大いに話題になった。茶碗のぬいぐるみ! すごい発想!
静嘉堂文庫美術館のコメントだったか他の人のコメントだったか忘れたけど、「茶碗も手に包み持って愛でるものだからぬいぐるみを持って愛でるのもそれと同じ」というような話を見て「なるほど!(?)」という気持ちになった。
上記の記事内で、
開永一郎代表によると、陶芸で完全に本物と似たようなものを制作するのは難しかったため、陶磁器とは正反対の柔らかい布で制作することに。
とあって、そりゃあそうだよなと思った。似せて作ることができないからこの茶碗はすごいのである。仮に形だけ頑張って似せて表面プリントとかしてもあまりありがたみがなさそう。逆にぬいぐるみに、という判断をしたのは大正解だと思う。
試作品を披露した際、手にした人たちがまるで本物の茶碗を持つように、割れないように手で包むように持ってくれたという驚きのエピソードがあります。
開永一郎代表は「自然にそうなることを見て、これはすごいなと感じた。制作を思いついたときは、みんながこうやって持つとは思わなかった。この反応が本当に全てだった」と当時のことを語っています。
あー。それは意外なことだったのか。ぬいぐるみでもやっぱり「曜変天目ごっこ」みたいにしてみたくなるものだろうと思うけども。こういうのは、作る側はやはりいつでも不安なものなのだろう。
永遠に美しく…2023/12/17
1992年公開の映画。ロバート・ゼメキス監督、メインキャストはメリル・ストリープ、ブルース・ウィリス、ゴールディ・ホーン。
これは子どもの頃恐ろしかったシリーズではないけども、子どもの頃に見てすさまじい衝撃を私に与えていった作品。金曜ロードショーでやっていたんだったかな。
かなり小さい頃に見たきりなので細かいところは忘れたけど、謎の美女が持ってきた秘薬が妖しく輝いていたこと、メリル・ストリープの首が捩じれて反対を向いていたこと、ゴールディ・ホーンのお腹に大穴が空いたこと、メリル・ストリープとゴールディ・ホーンがスターウォーズ風のチャンバラをしてたこと(?)、最後に頭部だけになって会話していたこと、は頭から離れない。とにかく各所の絵面がすごかったけど、これはまあ『マスク』の時とは違ってコメディ映画としてゲラゲラ笑って見ていたと思う。
あらすじを読んでみるに、前半部分、というか人間関係や事の経緯全般を何も覚えていない。忘れたというより、見た時点でよくわかっていなかったのだと思う。
あと原題が『Death Becomes Her』であることを今知った。へえ~~~。邦題の『永遠に美しく…』はうまかったんじゃないかなと思う。そのままの翻訳だったらなんかあんまり、日本人にはいまいちだったかも。
『マスク』の話でもちらっと書いたけど(マスク(映画))、私は映画をあまり好んでいないので見た数は地上波やビデオ・DVDを含めても本当に少ない。で、これ以後に見た映画はいずれも『永遠に美しく…』ほどのインパクトを私にもたらさず、大体『マスク』と『永遠に美しく…』のせいで映画に対する感覚がバグってしまったと思う。
どっちも物心がついた頃に見るもんじゃなかったよ絶対。
タグ付きテンプレートリテラル2023/12/16
昨日、テンプレートリテラルについて確認したら「タグ付きテンプレート」というのを見つけた。
読んだだけではいつどう使えばいいのかわからなかったのだが、今日たまたまhtm(Hyperscript Tagged Markup)について調べたところ、思いきりタグ付きテンプレートが使われている。
昨日の今日で実例が目の前に現れたことにかなりびっくりした。
逆の順で見ていたら全然ピンと来なかったと思う。
Webコミックを楽しむコツ2023/12/16
コメントを見ないこと。
コメントによる気づきに頼らなくていいように自分で隅々までじっくり読むこと。
※自戒。
そんな餌で俺様が釣られクマー2023/12/15
インターネットで発信するという行為をSNSでスタートした人々は多分もう全くわからないことだと思うけれど、匿名掲示板がメインの場だった時代には「釣り」という概念があった。
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何かを侮辱したり明らかに誤ったことを言ったり、あの手この手で人の感情を煽る書き込みだ。怒らせて場をかき回したいだけのことなので、反応したら負けである。スルースキルの無さにm9(^Д^)プギャーと嗤われるだけだ。私自身はそれほど匿名掲示板らしいスレに顔を出していたわけでもないので「当時をよく知る人間」というのではないけど、まあでも「匿名掲示板にはあって、SNSにはないもの」はなんとなくわかる。
昔も今もそうやって「釣り」をやっている人間はたくさんいる。しかしかつての匿名掲示板とは違って、今のSNSはそれに対してどう反応すべきかというのが全然共有されていない。「釣り」かどうか、というのを判定することができないから、おかしい発言に対して面と向かって「批判」する。
批判せざるを得ない事情もあるだろう。掲示板の場合は「場」に集まって話をするから、その場での常識というのが作られていくが、SNSではそんなものはない。「釣り」の内容を真に受けて心から同意する人は本当にいて、たとえそれが割合で言えば数%もいるかいないか程度だとしても、絶対数にしたらかなりの規模になってしまう。野放しにしておくと危険だからきちんと正す必要が生じる。
結局のところ人間というのは「賢いっぽい選択」をするものだろう。「釣り」を見た時に、その内容が「誰も言わない真実を喝破した」と思えばそれが賢く見えるし、「そうやって煽動したいんだろう、お見通しだぞ」と思えばそれが賢く見える。大抵の場合事実というのは個々人にはわからないのだから(より信頼できるっぽい情報を信じるしかない)、自分の目では確かめようがない事物に対してどうするのが「賢い選択」かというのを学習して判断しているわけで、そこまでの人生で何を学習してしまったかにかかっている。
別に匿名掲示板が「良かった」とは思わない。ただ、「こういうものにはこう対処する」という手法を共有し、ブレーキの踏み方を学習する機会を得られていたのは確かだろう。それが結局冷笑的な態度に繋がってはそれもそれで全然よろしくないのだが、しかし正義感的なもので絶えず馬鹿正直に燃えているのが良いわけでもない。
あとアスキーアートや特有の言い回しによって印象を和らげていたのはひとつの知恵だったなと思う。今なら宇宙猫やコラなど定番の画像がその代わりになっているように思うが(それらは匿名掲示板のAAというよりはLINEのスタンプの感覚だろうか)、当時のAAやスラングというのはそのように単にツッコミの定型文を代替するものではなく、ともすると激しい応酬になりかねないところを「それは阿呆らしいぜ」と宥める効果があった(多分)。無意味に深刻化させない知恵だ。
やはりそれは「場」で生活しているということが生んだ知恵だと思う。みんなが「来る」場所だから、住民の手で過ごしやすくしなければいけない。好き勝手にやっていいところではなかった。
ところで「そんな餌で俺様が釣られクマー」のAAと、釣り針を前に思案しているクマーのAAが好きなのだが、単に「それ釣りだろ」「お前釣りに引っかかってるよ」という二値的なメッセージだけでなく、「釣りだろうとわかっちゃいるがそれはスルーし難い」とか「巧妙に装っているつもりかもしれないが臭ってるぞ」みたいな微妙なニュアンスを表現しているのが面白いし、これもまた知恵だなと思う。
Informer2023/12/14
Snowの曲。1992年。
Snow - Informer (Official Music Video) [4K Remaster] - YouTube
リアルタイムで知ったわけではなかったけど、かなり前にラジオで耳にして一撃で好きになった曲。いや、好きになったというか、刻まれたという感じだ。
聞いただけでは何言ってるのか全くわからないので歌詞の内容が好きというわけではないけど、リズムとメロディーがものすごく印象的で一度聞いたらもう離れない感じがする。
最初に聞いた時は「Informer,」の部分以外はスペイン語か何かだと思った。しかし実は英語で歌っている――英語!? 何度聴いても信じられない。でも歌詞を見ながら聴くと確かに英語だ。レゲエ文化やラップ文化に明るくないので普通どうなのかわからないのだけど、こういうノリならこんな感じになるものなのだろうか。それともカナダの人だからフランス語訛りになっているとか?
これもMoskau同様口に出して歌えたら気持ちよさそうに思うものの、この曲が作られた経緯が酷い(知人?の密告による冤罪で18ヶ月投獄された)ので歌詞があんまり楽しくない。歌えたら気持ちよさそうだけどなあ。
勉強2023/12/14
勉強はする方だったけど、勉強したかったわけでもないし、勉強の大切さを信じていたわけでもない。
でもきっと、子どもが目の前にいれば勉強というのはしてみれば楽しいものだし大切なことだよとか言っちゃうんだと思う。世界が広がるからねとか言って。やらないと後で困ることになっちゃうぞとか言って。
私自身はそんな動機でなんか勉強してなかったのにね。大人の責務としてそうやって下の世代に語りかけるのだ。世の中にあるそういう綺麗な説諭は、正直私には全然響いていないけど。嘘は言っていない、というくらいのものだ。
褐釉蟹貼付台付鉢2023/12/13
読みは「かつゆうかにはりつきだいつきばち」。宮川香山の1881年の作品。重要文化財。
from File:Miyagawa Kōzan kani.jpg - Wikimedia Commons
こういう、壺などの表面に生き物が立体的に施されているものが非常に好き。
3年8ヶ月と4年7ヶ月と9年2023/12/12
SPEEDの活動期間は、最初が1996年8月5日デビューで2000年3月31日解散の3年8ヶ月弱。その間にシングル11枚、アルバム3枚、ライブ6本。
2001年・2003年に期間限定再結成。合わせてシングル3枚、アルバム1枚、ライブ2本。
完全復活が2008年8月31日で、仁絵の退所が2013年4月、活動期間は4年7ヶ月。シングル6枚、アルバム2枚(うち1枚はセルフカバーアルバム)、ライブ3本。
期間としては復活後の方が最初の活動期間より長い。濃さが違うのはまあそうだけど、でもちょっと意外だ。
で、2003年が4月から12月まで活動していたから、全部合わせると9年くらいになる。そう考えると割と十分なんじゃないかと思えてくる。60年やり続けているバンドとかも世の中にはあるけど、10年やらないグループが少ないわけでもない気がする。グループ自体はずっとあっても個々のメンバーは10年しないで抜けるという場合も多いし。
数えてみれば印象以上に割と長くやっていたことになる。そっかー、と思った。
何が言いたいかって、当人たちの中できっともう済んでしまったことになっていることを、こちらが殊更残念がる必要はない程度には、十分に活動してくれたんだなということだ。
弱いオチで落とす技術2023/12/11
NHK-FMに「音楽遊覧飛行」という番組がある。
四人のパーソナリティが週替わりでそれぞれひとつのテーマを担当していて、そのうちのひとつが「映画音楽ワールドツアー」。2016年4月から紺野美沙子さんがやっている。その前は中川安奈さんだったけど2014年に急逝。
(ちなみにFire Danceの項では向谷実さん担当の「ミュージックエクスプレス」に触れた。)
で、新旧問わず様々な映画の音楽を紹介している良い番組なのだけど、紺野美沙子さんのトークがゆるふわで面白い。豊かな人生経験を感じさせつつわざととぼけたようなコメントをして笑いを誘う感じがある。
映画の内容やリスナーのお便りに対して、「私はこう思いました」「私はこうでした」という種の素朴な感想を言うのだが、話し方が多分すごく巧みなのだろう。だいたい話のオチとしては弱そうな内容に着地するのだけど(とても素朴な感想であるため)、ペースを緩めて「この感想が着地点です」と分かるように話しつつ、そこでスッと引いて間を取るので、なんだかシュールな空気が漂って笑ってしまう。それ以上のオチがないことがむしろ可笑しい。
その空気がウケることを分かっていて狙ってやっているのだろうけど、それがウケると確信できること、そして毎度絶妙にその空気を作れることは才能だと思う。あの落ち着いた声の感じも素敵だ。
マスク(モンスター)2023/12/10
子どもの頃恐ろしかったもの。ま~た仮面かい。はい。
「チョコボの不思議なダンジョン」というゲームに出てきた敵モンスター。
宝箱を開けると偶にこれが出てくる。RPGによくあるミミックとかマンイーターとかの類のモンスターだ。
で、逃げても逃げても追ってくるし、普通には倒せない。その上、こちらの装備品のレベルを下げてくる。「マスクの呪い」という技だったと思う。
仮面というのは基本的に恐ろしげなものだと思う。顔をかたどっているから何かがそこに宿りそうな感じがある。
そして、誰が着けても同じ顔になってしまうということになる。それゆえにありとあらゆる文化の神事に仮面があるのだと思うけど、やはり「顔を上書きされる」というのは怖いことだと感じる。
ちなみに、「チョコボの不思議なダンジョン2」だとデザインがちょっと変わって、ジャングル風味の飾りが増えてオシャレしている感じになりあんまり怖くなくなった。顔自体は変わっていないのだが、どちらかというとむしろ愉快なモンスターに見える。仮面はシンプルな方が怖いのかもしれない。
どういう能力を持った敵だったのか忘れてしまったけど、多分そんなに恐ろしげではなかったのだと思う。でもなんか喋ったような…。2のマスクは怖いというより憎たらしいタイプの敵だったのかも。
注意力散漫な時2023/12/10
コアラのマーチの柄を見ないで食べてしまった時。
カメーン2023/12/09
子どもの頃恐ろしかったもの。
「スーパーマリオUSA」というゲームに出てくる敵モンスター。名前の通り仮面のモンスターで、なんかめっちゃ高速でびゅんびゅん動いて襲ってくる。
「スーパーマリオコレクション」というスーパーファミコンソフトに収録されていたバージョンをやって、私はかなり恐怖した。
デザインも心臓によろしくない。左半分は白、右半分は赤で、なんだか嫌に立体的に見える。
これも鍵を手にすると追いかけてくるという「物に関する呪い」な感じのもので、まあ多分誰でも怖いからこういう表現があっちにもこっちにもあるのだろう。所謂「みんなのトラウマ」というやつだ。