NHKの「ドキュランドへようこそ」でABBAのことをやっていた。
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ABBAと言えば世界的に超有名なグループだが、地元スウェーデンでは冷ややかな目で見られていたらしい。なんで!?と驚いたが、保守的な風土では、ごく通俗的な内容の歌を作り、しかもあの衣装で歌うというのはすさまじく商業的に映ったようだ。
逆にオーストラリアでの歓迎ぶりはビートルズ並みで、それはそれで当人たちにとっては違和感があったらしい。まあ世界が動くレベルの熱狂が自分に向けられることに納得できる人などごくごく僅かだろう。世界中で流行るだけあるとは思うけれども、その結果生じる異様な盛り上がりというのはいつも不自然なものだ。
ABBAがスペイン語で歌ったことがあったのは知っていたしスペイン語版を聞いたこともあったけど、スペイン語での『チキチータ』がラテンアメリカで「連帯」の歌として影響力を持ったということは全く想像しなかったし驚いた。その意味でもビートルズ的なところがあったのだなあ。当人たちが政治的であろうとしたかどうかとは無関係に、期せずして政治的に強いエネルギーを持ってしまったグループだったのだ。
アメリカでは大して成功していないというのは意外なことだった。しかし成功しなかったという事実を前提に考えてみれば、確かにABBAはアメリカでは受けないのかもという気もしてくる。音楽に詳しくもない素人の印象だが、ABBAの音楽は緻密で完全で、「これが受け入れられないなんてことある?」という圧を感じる。その空気自体に拒否反応が出てもおかしくはない。
あと「ディスコ・デモリッション・ナイト」のことは全然知らなかった。『ヴーレ・ヴー』は個人的に一番好きな曲なのだけど、それが出た時にアメリカではそんなことになっていようとは。呆れ果てて絶句した。
子育てが同時に進行することになってしまったのはメンバーにとってある種不幸なことだっただろうなと思う。活躍できる時期と出産・育児の時期は大抵重なってしまうが、それは本人(特に母親の方)にとっても子どもにとっても取り返しのつかない種の負担が大きい。子育ては人生の中で基本的で普遍的なことであり、それが守られない働き方をしなければならないのはやはりどこか狂っている。あらゆる意味で、「搾り取る」ようであってはいけないと思う。
自分が生まれる前の話だし詳しいわけではないけれど、ABBAの曲はとても好きだ。良い曲だなあ、面白い曲だなあ、と能天気に聞いていた。
しかし、当時ABBAが置かれていた環境と、その時々に制作された楽曲を併せて考えた時、「なるほどそういう心境でこの曲調と歌詞か…」と思うに至った。音楽を聞くにあたって果たしてそういった経緯を意識した方がいいのかどうかはわからないが、大スターにも葛藤や苦悩や悲哀は当たり前にあり、単に「そういうタイプの曲も作ってみよう」みたいなことではなく当人にとって切実だからこそ会心の出来にもなるのだろう。
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