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NTA-DIY:何をどう書いたらいいか考え直す
ノートテイキングアプリDIY体験記の連載再開、と思って意気揚々と記事を投稿する気でいましたが(ほとんど書き終わっていましたが)、ちょっと待てよと思ったので一度立ち止まります。自分らしい文章になっていない気がしたのです。
例によって、自分の頭の中だけで完結させていい話をわざわざ書いて投稿してしまうことにします。内容としてはどちらかというと「ノートテイキングアプリDIY体験記」ではなく「ブログの書き方ド下手問題」の方に入るべきものかもしれません。いったい誰得かというと、私得のためのものです。
二ヶ月半ほど前にも一度立ち止まりました。その時は動機が曖昧だという問題の解決を試みました(なんでこれを書いているのか考え直す)。記事内で示した動機を並べると以下のようなものです。
食うためでないプログラミングがもたらしてくれる自由の共有
私が私の人生を忘れないための記録
自分でアプリケーションを作ってもいいのかもという気持ちの肯定と惹起
見切り発車したもの勝ちというメッセージ
自力で何かを作ることの感動の共有
もう一段階整理すると、
メッセージ① プログラミングは自分を自由にするものである
メッセージ② プログラミングは誰でも今すぐチャレンジしてよいものである
メッセージ③ 私の人生にはこういう日々があったのである
という三つのメッセージに集約できるかもしれません。①②は自分以外の誰かへのメッセージで、③は未来の私へのメッセージです。
さて、動機についてはまずまず明らかになりました。しかしそれに沿って書いてみようとした時、何かが「違う」感じがしました。動機を明らかにする以前よりはピントが合ってきた感はあるのですが、何か足りないのです。自分が読者だったとして、多分「へえ」とか「ふうん」とかは思うのですが、読んでよかった感をどこから得ればいいのかわからない感じがしました。
文章自体は書けるのに、その文章がブログ記事に投稿されるものとしてはピンと来ない。そんな時こそ「ブログの書き方ド下手問題」の出番です。自分が書いたからといって自分に定着しているわけではありません。ヒントがあるかもと思って読み返しに行きました。
ちょっと長くなりますが、今の自分の問題意識に関連する箇所を抜き出してみます。長いので重要なところを下線で強調します。
ブログの書き方ド下手問題①~世に訴えたいことはないのだが私は書きたい~
私が何かを書くに当たっては書き手が主人公であり続けるのではなく、読み手が主人公になれる瞬間がある文章を綴らなければ私のエネルギーは無駄になるだけなのだ。
ブログの書き方ド下手問題②~自己の言語化を意味あるものにするには~
自己の中の現象を書き表わそうとしたとき、その現象の瞬間、つまり「気づき」にフォーカスしたくなる。私の中でこれが起きたのだ、ということに力を入れて書きたくなってしまう。確かにそれを含むように書くのではあるが、その気づきというのは他人にとっては必ずしも意味のあるものにはならない。少なくとも本人ほどはそこに感動はしない。本人にとっても、本当はそれが単発で意味をなしているのではなく、そこに至る経緯がそこに意味を作り出しているからである。
自分語りに対して読み手が期待するのは、書き手の状況がその間抜けさや滑稽さまでも隠さず明らかになっていくことであり、案外「膝を抱えてぐだぐだといじけている」ようなことなのではないかと思う。気づきや決定や変化の、その手前に共感を見出すからこそそれらのターニングポイントに意味が生まれるのだろう。
無理して結論めいたものを書こうとしなくてよかったのにな、と思う記事がいくつもあるのだが、結論を捻り出さないとしてその記事はどういう位置づけになっただろうか。そう考えると、多分それは「近況報告」というものだったのだろう。「○○してみた結果、~と言えそうだ」とまでいかずに「○○してみた」で止めても良かった。
ブログの書き方ド下手問題⑥~試行風景を実例にしようとしない~
そもそも私が「自分はこうすることにしたんですよ」と書きたいのは、上述したように自分のやり方の有効性を示したいからではなく、ただ単に、こういう私がここにいて、こういうことをやっているんですよと言いたいからというだけである。こういうことを考えてこういうことを始めてみました、こういうことをやったらこういう学びを得たんです、それが言いたいだけなのである。そしてへえこういう人がいるんだなと思ってもらえたらそれで良いのである。別に私のやり方は他の人の役になんか立たなくていいし(役に立てばそれはそれで嬉しいけれど)、のらてつ流の何とかが広まってほしいとも思わない(広まったらそれはそれでまあ気分は良いのであろうが)。
ブログの書き方ド下手問題⑦~考えが整ったのに記事にしにくいものたち~
文章を書く時というのは、書きながら書き手自身に発見がないととてもやっていられない。自分としては既にわかりきっていることを、ただ人に読めるように翻訳するだけの作業というのは大変に苦痛なのである。書くということ自体が謎を解く探検の旅であるからこそ、私たちは何千字や何万字とかいう量の文字を拵えることができるのだと思う。
やはりここまでの回で考えてきたように、私に書けるのは「自分が困っていること」の分析または「今自分はこうしている」という近況報告くらいなのだろう。
何かが不十分であった過去という経緯があり、何かを気づいたり獲得したりすることによって変化し、より良い状態に至ったという流れが文章の骨格となる。逆に言えば、そういう骨格が見出された時、そのことについて話さずにはいられなくなるとも言える。
現状について気づいたことがいくつかあります。
読み手が共感し得るポイントが明らかでない
Before/Afterがはっきりしていない
読み手を引っ張ろうというメッセージ性が強すぎる
文章を書いている間自分自身に発見がない
むしろどうしてこれで書き続けられると思ったのか。「ブログの書き方ド下手問題」での内省はなんだったのか。頭を抱えてしまいますが、このズレが発生するのにも理由があります。別にこのシリーズ記事以外の単発記事には違和感はないのです。普段書くにあたっては、「ブログの書き方ド下手問題」での格闘はちゃんと活きています。
この「ノートテイキングアプリDIY体験記」というシリーズは私にとって、というかこのブログに於いて、かなり特殊な位置づけになってしまっています。冒頭で整理した動機でそれが明らかになっていますが、何かしらのメッセージを誰かに送ろうとしているものなのです。「プログラミングは自分を自由にするんですよ、あなたもどうですか」「プログラミングをする時は見切り発車でやっちゃっていいんですよ、あなたもえいやとやってみてください」、といった具合です。そもそも私はそういう風に書きたくないのだということを繰り返し記していたはずなのに、どうしてそうなってしまうのか。
やはり根本には、「プログラミングの素人なのに、プログラミングについて書いて、何か意味があるのか」という疑問があります。本音としては意味があろうがなかろうが書かねば気が済まないから書くのですが、自分の良識がそれにいちゃもんをつけています。ちゃんと読み手が得するように書きなさいよと。さしあたっては、「自分もプログラミングしてみたい!」という気分にさせることを目指したらいいんじゃないかと。それに貢献しない記述は文章を冗長にするだけだから省きなさいよと。
なんだかおかしいことが起きている感じがバリバリします。今のところは書いていて全く楽しくないというわけではないのですが、楽しみきれていないと感じてはいます。一応の体を成した時点で終わりにしてしまうからです。そして普段の単発記事と違ってこのシリーズは体を成すのが大変なので(自分の良識の要望に応えようとしているために)、一応のラインに達した時点で「もう疲れたから投稿してしまって次に行きたい」という気分になっています。おかしい! 勝手に書いているブログなのに、恰も仕事でやらねばならないことを最低限クリアして片付けているかのようです。おかしいおかしい。
自分が目指すべき姿勢として「読み手が主人公になれる瞬間がある文章」を書く、ということを述べました。また、今しがた自分の良識からの文句として「ちゃんと読み手が得するように書きなさい」と表現しました。これらは似ていますが、しかしおそらくはかなり違っています。
基本に立ち返る必要があります。私にとっての基本、つまり文章を書く時の根本の目的とは、「自己の仔細な言語化を通じて他の誰かの内面の言語化に貢献する」ということです(ブログの書き方ド下手問題③~自分節を見つけ出す~)。対象は「自己」で貫くのが正解でしょう。しかし現時点では「プログラミング」「ツール作り」を対象にしているので混乱が生じるのです。プログラミングを対象にしてしまうから、語る資格があるとかないとかいうことを考えなくてはならなくなるのです。
いつもは「まさに自分と同じ状況にある人」とのシンクロを図って書いています。普遍的な話題なら、性質的に重なるところさえあれば職業も年齢も性別も趣味嗜好も関係なくシンクロの可能性はあるでしょう。しかし「プログラミングに悪戦苦闘している自分」のことを書くとすればシンクロする可能性のある範囲はかなり絞られてしまいます。似た性質であることに加え、更にプログラミングに挑戦してかつ悪戦苦闘している人、にしか共感が生まれないかもしれないからです。なので、文章を書く努力が無価値になることを恐れて、「まだ挑戦していない人」という、より広い範囲に向けて書こうという気持ちが生まれているわけです。
ですが……別にいいじゃないか、という気がしてきました。シンクロする範囲は狭くて結構。というのも、私より先に進んでいる人が「そうだったなあ」と思ってくれるかもしれませんし、この先挑戦し始めた人が「あれはこういうことだったのか」と後から納得してくれるかもしれません。読んだ時点で共感はなくてもよくて、「よくわからないけど、なんか意味のありそうなことを書いている気がする」くらいの感想を持ってもらえたら御の字というものです。
他の人が言ってくれることは私が頑張って言わなくてもいいわけで、私は私の時間と労力を、私からしか出てこないかもしれない何かを搾るために費やしたほうが良いはずです。
そういうわけで、記事の在り方をもっと「いつもの調子」に寄せる形に改めてやり直していきたいと思います。自己満足は自己満足として本気で徹底しなくては、読み手にとっても面白くなりませんよね。
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