投稿先: https://noratetsu.blogspot.com/2023/08/BoundedBrilliance.html
書いている時だけ天才の自分が書いた後のポンコツの自分を救う
ちょっと迷いが生まれた時に、自分が前に書いたことを読み返すと、「ああ、そうだよな、そうだった」と迷いを振り払ってくれることがある。
私はこのブログで自分の問題を解決しようとする記事をよく書いているので、その問題が再発したような時に読むと特効薬を得たような気分になる場合が結構よくある。
逆に言うと、一度解を得たにもかかわらず、ちょっとすればもう忘れているということでもある。
何かについて書いている時というのは、その対象についての知見という意味では、人生史上最高に天才的になっている時であると言っても良いかもしれない。もちろん自分比なので、他の人と比べての天才性ではない。あくまで自分の中で一番敏い瞬間だというだけである。
なぜそうなるかといえば、意識をそれに集中していられるからだ。内容によっては事前に入念な取材すらしている。書き終えてしまえばそんな風には意識を割いていられない。一瞬その対象についてのプロのようになっても、その瞬間が過ぎればもう素人である。研究者にとっての研究対象のように現在進行系であり続けているものなら話は別だが、記事を書いた時点で一区切りということになるとその範囲に於いては急速に素人化していく。
書いている時の自分は(自分比で)天才なので、それまでの自分は思いついていなかったこともすらすら思いつく。書いてみるとびっくりするほど滑らかに理屈が通ったりする。「そうだったのか」と思いながら書いているということがよくある。
それが正しいか誤っているかはここでは置いておく。正しいとか正しくないとかいう以前の問題がここにあるのだ。
当たり前のことだが、自分の信念というようなものは、繰り返し繰り返し同じ結論を導き出すから自分の中に形を持っていくものだろうと思う。事柄Aを見ても事柄Bを見ても同じことを思う時に自分にとってそれが確信になっていく。それが正しいか誤っているかはやはりここでは問わないものとする。とにかく、何度もそれを思うから自分の中に定着する、ということが今大事なことである。
ところが、天才な自分が何かを思いついた時、それが如何に筋が通ったものであっても、思ったのは「一回」なのである。厳密にはたった一回じゃないにしても、少なくとも繰り返し繰り返しということにはなっていない。今まで思いついていなかったのだから書く以前は零回で、書いた後に同じ結論に至る体験が重ねられなかったとしたら、結局書いた瞬間のたった一回に終わってしまう可能性は普通にある。
そうなると、その先覚えていられないのも当たり前である。理屈として尤もかどうかは定着とは関係がない。理屈として見事ならいつでも何度でも同じように導き出せるような気分になるが、そんなことはないのである。実際に繰り返し思うことでしか定着はしないと感じている。
書きながら自分が導き出した結論というのは、所謂偏見の類以外は自分の中に再現性がないと思ったほうがいいくらいかもしれない。偏見は自分の人生経験と密接に結びついているのでそう簡単には消えてくれないが、閃きは一度形にしてさえあっという間にどこかに飛んでいく。メモしただけでは忘れるのと同じで、きちんと手間をかけて文章にしたってそれだけではあっさり忘れてしまうのだ。
つまり、自分自身が繰り返し読み返すことで自分の書いた文章というのは完成されていくのだと思う。文章そのものは書き直さない限り変わらないが、その文章を書くという行為の周辺にあったことの、自分の人生に於ける意味が、読み返しによって豊かになっていく。
何かを書こうとしているその一瞬だけ自分は過去にないほど天才的になり、その天才性は書かれた文章によって保存されている。自分自身は瞬く間にポンコツになっていくけれども、文章さえ書けていれば、その時一瞬だけあった己の聡明さに後から頼ることができる。
それは非常に不思議で面白いことだと思う。たとえ向上心高く常に前進して総体としては賢くなり続けていても、一瞬の天才性がずっと維持されるわけではない。しかし形になっていれば失われっぱなしにならずに済む。
やはり何より自分のために、自分の思いは形にしておくべきだと思う。それを公開するか否かは別だが、公開しなくともきちんと格闘して言葉にするのが自分のためになるだろう。
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