情報整理のいろいろ - by 倉下忠憲@rashita2 - トンネルChannel

言及いただきありがとうございます。私の元記事の当該部分は少し自分の言いたいことに引き寄せすぎた書き方をしていてあまり適切ではなかった気がします。

 

つまり、特定の用途の”情報整理”においては目次はなくても成立する、ということです。逆に言えば、そうでない用途においては目次は必要だし、作れば活躍するということでもあります。

私もそう思います。同時に、その「用途」というのが、本の種類のようには自明ではないところに関心を持っています。

というのは、全く同じ種類の情報を、おおよそ同じ目的・用途のために扱っていたとしても、Aさんはこのツールで満足するけれどBさんは納得できないということが起こります。厳密に突き詰めていくと「やろうとしていることが違う」ということになるのだろうとは思いますが、一般的に「用途」という表現では区別されないレベルでの違いが個々人にあるように思います。

つまり情報の種類から客観的に決定できない領域がある、ということです。とはいえ「人それぞれだから何とも言えないよね」ということではなく、多くともいくつかのパターンで間に合う程度には類型化できるのではと感じているので、そのパターンを掴めたら面白いだろうと思っています。

 

掴んでいる感じ、掴めている感じ。そうした感覚の有無が、情報とのつき合い方に大きく関わってくる領域がある(そしてもちろんそうではない領域もある)

目次必要性を決めるのは「掴んでいる感じ」の実感を欲するかどうか。情報の種類が把握の必要性の有無をある程度は左右しますが、その度合いは個々人の性質によってグラデーションになるでしょう。

私は目次を作れないツールと仲良くなるのが難しいタイプですが(ということを確信したばかりです)、一方で目次が不要な領域ももちろんあります。しかしその領域というのはやはり狭い方なのでしょう。全体的に「掴んでいる感じ」を欲しています。他方、大半の領域を目次的な仕組み無しで扱っている人がいることも知っています。

そう考えると、用途別ということに加えて例えば「掴みたさ」の強度を基準に強・中・弱くらいに分けてそれぞれ適当なツールをピックアップしてみるというような試みもありかもしれません。傾向で語ることはツールの正確な理解には必ずしも貢献しませんが、しかし無意味なことでもないと思っています。

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