興味深い投稿が続いてとても楽しいです。使っていて自由を感じるツールだ、と言った場合に関連する要素というのは複雑に絡み合っているなと思いました。
ちなみに私が今最も自由を感じるツールは、自分で作った日記兼ひとりチャット兼ひとりWikiなツールです。自分に必要な機能というのが、シンプルなアプリケーションが提供してくれるものよりも複雑で、且つ既存の「色々できるアプリケーション」でできることとは一致しないからです。個人的には、(褒めておいてなんですが、)世にあるシンプルなアプリケーションはあまり相性がよくありません。(そうでなければわざわざ自分でツールを作ろうなんて思わないのですよね。)
今使っているツールになぜ自由を感じるかと言えば、過去の記述は自動で視界から除かれ、見たい情報を見たい形で見ることができ、情報と情報の繋がりを自分の求めるように作れるようにしているからです。あとはフォントとか色とか余白といった見た目の問題もあります。
さて本題です。
そこかしこで議論されていることだとは思いますが、自分の認識の整理を兼ねて考えていることを書いてみようと思います。
ツールを自由に使えるという時に必要なことは、大きく分けて以下の三つの要素を満たしているものと考えています。(私はこう思いますが、全然それだけではないかもしれません。)
操作に迷わない(UIの問題)
自分に必要なものがある(機能・情報・心地よさ)
自分に不要なものがない(機能・情報・違和感)
私の投稿(解釈の余地がない且つ無限の解釈があり得る)では、WorkFlowyとScrapboxの間に共通しそうなこととして、主に三つ目の「不要なものがない」のうち「不要な機能がない」ということに着目しました。加えてこの二つのアプリケーションの設計思想から複数人で共同で使うことに焦点を当て、「操作に迷わない」点にも少し触れました。
続く倉下さんの投稿(自由に使うというアフォーダンスは可能か)では、個人にとっての話からツール側の視点に移り、アフォーダンスに焦点が当てられました。「操作に迷わない」ということと、「自分に必要なものがある」に含まれる「自分に必要な(自分を導く)情報がある」という要素の話だなと私は解釈しました。
そしてtksさんの投稿(自由に使うためには「定期的なリセット」と「見えなくすること」が大事かもしれない)と倉下さんの投稿(見えなさと随意操作)で、「不要なものがない」のうち「不要な情報がない」ことについて語られたと思います。tksさんの投稿にあった「『自分で』操作しなければいけないところが窮屈さに繋がっている」という感覚には深く共感します。私も同じタイプです。(ついでに言うと「初対面はいいけど…」というのも同じです(!))
いずれの要素でも、核にあるのはやっぱり「見えるか見えないか」です。見えてほしいものが見えて、見えてほしくないものは見えない、というのがツールの使用感を滑らかにするわけですね。
操作に迷わない
優れたUI、そうでないUIというのは、大体誰にとっても同じように感じられるものと思います。良いUIは大抵みんなにとって良いUIでしょう。洗練されたアフォーダンスで、各要素の意味するところが限りなく自明に思えるようなUIが好ましいです。「自分以外の人間によって作られたもの」ならばほぼそうです。
他方、自分が自分のために作ったものなら必ずしもそうではありません。自分の中に迷いが生まれないのなら、UIとしては多少変でも構わないわけです。
誰にとってもわかりやすい美しいUIと、自分にしかわからないけど自分は不自由しないUI、そのいずれかが「自由」には必要なのではないかと思いますが、前者に頼るだけでなく偶には後者について考えてみると色々面白い発見があると感じています。
また、この「操作に迷わない」というのは必ずしも「使い方に迷わない」ということを意味しているわけではないというのも肝心かなと思います。ノートとペンがある時、「ノートにペンで何かを書く」という動作に迷うことはありませんが、「ノートをどう使うか」は全然自明ではありません。同様に、操作に迷うところのない洗練されたアプリケーションだからといって、それをすぐさま自由に使えるわけではないでしょう。汎用性が高ければ尚の事です。
では、アプリケーションに出会ってすぐに水を得た魚のようにすいすい使えている人がいるのはどうしてか。それは前々から水を欲していた魚だからだろうと思います。つまり、自分の中にまず「これをなんとかしたい」という切実で具体的な要求があり、それをツールに当てはめてぴたりと嵌ったと感じた場合に「これはいいぞ!」と感動する。必然的に、要求の解像度が高いほど、ツールとの相性は厳密なものになっていくと思います。
自分に必要なものがある
機能、情報、あるいは使った時の心地よさの面で、自分に必要なものがある(もしくは見えている)、というのは言うまでもなく重要なことと思います。自分がやりたい操作をやれる、自分が見たい情報を見れる、自分の感性に合った見た目をしている、それらが揃った時にツールに対して強い愛着を持つのではないでしょうか。自分をプラスの方向に引っ張ってくれるツールだという感覚です。
これは多分当たり前のことなのですが、しかしその一方で、自分と相性の良いツールを見つけるには自分に何が必要なのか知っていなければならないということでもあり、それは結構一筋縄ではいかない難題のように思えます。
自由に使うというアフォーダンスは可能かで語られていたのは、自由に使うということをツール側が導けるかということだったと思いますが、これはつまり、自分のことがまだ十分にわかっていないユーザーに、ツール側が可能性を提示することで、「あ、こういうことをやってみたいかも」と気づかせるということなのではないかと思いました。欲求の自覚に向けて牽引してくれるということです。
それがひとつのツールで可能かは倉下さんが仰るように未知数です。「自由」という状態自体が人それぞれ千差万別な気がするからです。
「色々なツールを試す」というのはよくあることと思いますが、これは自分が考えていなかった発想にリーチする上で非常に役立ちます。そのツールを継続使用することにはならなくとも、自分をどこかに導く情報をツールが備えていることがしばしばあるからです。ツールの設計者が意図しないものであることも多いでしょう。
何かのツールをうまく使えている人には、数多のツールを渡り歩いてようやくここに辿り着いた、というような表現をする人がとても多い印象があります。それは「自分に合うツールというのはなかなかない」という事実とともに、「これだ!」と感動できるほどその人は自分の要望の解像度を上げてきたということも示しているように思います。
ツールが規定しているもの以外の使い方をしようとするという「自由」の背景には、切迫した自分の要望のほか、他の道具を使うことや他の人のあり方を知ることで思いついた使い方を転用したい、という気持ちがあるのではないかと思っています。
自分に不要なものがない
逆に、自分をマイナスの方向に引っ張らないということも重要と思います。見えてしまったら無視できない(無視できる人もいますが、無視できない人は無視できない)ので、如何に上手に不可視化するかが鍵になるでしょう。
tksさんが書いていらっしゃったような「過去」の影響力というのを私も強く感じています。「過去」つまり「今より前」のことというのは、視界に入ると「今」を「それ以前の延長」にしようとする力をもたらすような感じがするのです。手動でアーカイブ送りにするとなるとその作業をする時点で視界に入れざるを得ないので、影響を受けやすい質だとそれだけで気分が引きずられてしまいます。
なので、過保護な親のごとく、自分が朝起きた時にはその日の自分にとって過去のものをすっかり取り除けておいてくれると気が楽になります。実際の親にはそう甘やかされない方がいいですが、ツールには手厚く先手を打ってもらってもいいだろうと。
ただ、どの程度「見えない」のが良いのかというのは情報の内容次第なところもあります。強制的な不可視化と意志的な不可視化についての話がありましたが、一口に「見えない方が良い」と言っても、「『今』からすっかり切り離したい」なのか「今はちょっとコンパクトになっていてほしい」なのかは感覚としては結構違うと思います。視界の中に存在していて良いのか良くないのかが違っています。tksさんが敢えて二つに分けてお考えになっていたのもそういうことかなと思いました。この二種類の区別をつけるには、強制的な処理と自分の意思での手動の処理の二通りがどうしても必要だと感じます。全自動で全てを片付けられてしまってもそれはそれで困るのです。
あと「自分に不要なものがない」という点では、「見た目に違和感がない」というのも大事だと思います。なので、自分でスタイルを変更できるようになっていれば、機能としては全く変わらなくとも「自由」な感覚はずっと豊かになると思っています。
自分がどの程度「不要なもの」を無視できるタイプか、というのはわかっておいた方が良さそうだという感じがしてきました。「自分に必要なものがある」と「自分に不要なものがない」を天秤にかけた時に、どちらを優先すべきかがそこで変わってくると思うからです。
それぞれが何に「必要」を感じて何を「不要」と思うのか、というのは見聞きしていてとても楽しいポイントと思います。共感できることもあればできないこともあるでしょうが、自分との合致性がどうであれ知った分だけ面白くなる気がしています。
(話の流れを俯瞰したかったので自分の理解を整理しましたが、話をまとめて畳んでしまおう的な意図は全然ありません)
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