もう随分と昔のことになってしまいましたが、Twitterが流行り始めた頃、そういう短文の発信は全部「ミニブログ」と呼ばれていたように思います。今も「ミニブログ」というカテゴリは生き残っているようですが、「Twitter ミニブログ」と検索すると引っかかるのは10年ほど前の記事です。
当初、つまり2010年以前の頃、私は「ミニブログ」という呼称の通りにブログのミニ版としてTwitterを使っていました。誰に言うでもないけど、抽象的な「誰か」に向けて言っているもので、それは独り言よりも心持ち大きな声で喋っている気持ちでいました。そしてブログほどきちんと展開を考えない代わりに、記事の核となる一言だけをそっと置いていくという感覚でした。それをブログに書くとすれば、色々と経緯の説明や状況の明示や読者の気持ちのコントロールなどを考えて文章を膨らませて補強して、つまり「説得力」を高める努力をしたわけですが、ミニブログではそういう説得力のための枝葉末節を削ぎ落としてポンと素直な気持ちをそこに置いていく。ブログに書くためにはそれなりの格好に整える必要があり、そこまで労力を費やせないままに眠っていた思いがミニブログならパッと言えたので、この短文のサービスが自分には馴染んだような気がしたのです。
やがてTwitterはミニブログというカテゴリからは離れ、元来のブログ的な性格に加えて感情の吐き出し口(所謂「チラシの裏」)や交流の場、或いは広告・宣伝としての性格が強まっていき今に至ったように思いますが、Twitterという場の雰囲気が変化していくのに従って、自分の使い方も変わっていきました。アカウントを改めて、趣味の似通った人とフォローし合い、挨拶を交わし、共通の話題について共感を前提に感想を書き込んでいく。偶に社会に物申すようなことや抽象的な概念のようなものについて考えを語るようなこともしましたが、それがメインにはなりませんでした(今現在、Twitterでそういったことをメインに発信されている方々が数多くいらっしゃることは承知しています)。
自分の考えを言語化して発信するということは元来好きなはずなのに、それが一応自由に出来る場で、実のところ自由には発信できなかったのです。なぜなら、単純な話、「共通の話題について共感し合う場」にそういったことは馴染まないからです。逆に、Twitterに於いてもそういう話をする場を自分で作り上げている人、或いは場というものを作らずにほとんど発信に徹している人は、時に批判にさらされることはあったとしても、考えを発信するということには何も不自由することはないでしょう。
それなら自分も考えを発信するに相応しい場を作ればいいのでは、ということになるのですが、私が考えを伝えたい相手というのは必ずしも私同様に自分の考えを発信したいような人ではなく(つまり同類の仲間に話をしたいのではない)、一方で全世界に訴えたいというほどの熱意があるわけでもなく、どうにも自分にとって調度いい温度の場をTwitterで作ることができませんでした。
私が何か思いを抱く時、それは大抵「共通の話題について共感し合う」ということをしている間に「ちょっとしたズレ」のようなものを感じたことが発端のことが多く、それを全く別の文脈で生きている人々に向けて発信してもしょうがないようにも思われました。つまるところ、普段趣味嗜好を通してやり取りしているようなタイプの人とスッと思いを交わしたいのですよね。しかしそれをTwitterでそのまま言うと全く意図しない語弊が生じたりしますし、早い話が空気読めてない感じを自分で自覚してしまいます。
Twitterを通じて親しくなった人と個人的にそういった話をすることもありましたが、もう少し「発信」という性格が強い形で何か言いたいという気持ちは残りました。空気は壊したくないし気分を害したいわけでもないけど何かしら思っていることを何十人かに聞いてほしいみたいな。我ながら面倒くさい欲求。でもフォロワーが何百人にもなってしまうと、(全員がずっと見てくれているわけではないにしろ)そこまで声を大きくして言いたいわけでもないというような微妙な気持ちになってしまいました。どんな人が見ているのかわからないし。
そうこうしているうちに、そもそも構造的に考えを組み立てて文章化するということ自体から遠ざかって、自分の思考回路がもう140字単位になってしまったようにさえ思います。これはまずい、という気持ちはうっすら抱きつつも、日頃きちんと文章を書く機会はあまりない生活を送っているのでそのままになっていました。
そしてnoteというサービスを知り、しばらく様子を見て、ようやく今になって登録して記事を書こうというところに至りました。
noteでもどんな人に見られるのかはわからないわけですが、Twitterや一般的なブログよりは何らかのクリエイトや生き方というものに関心のある人が多いのではないかなと思いますし、少なくともそれなりの長さの文章をきっちり読むということに抵抗がない人が多かろうと思います。そういった人が自分の意思で見に来るこの場は、自分が発信したい空間そのものなのでは……と今更気がつきました。
ということで、随分久しぶりにそれなりの格好の文章を書く気を起こして、かつてブログでやろうとしていたことをnoteで再開しようと思い立ったのでした。
自己紹介代わりにとりあえず経緯を文章化してみようと思ってつらつら書いてきましたが、私の関心は主に「心の動き」「人としての在り方」「小説を書くということ」といったことにあるので、今後はこれらのことをふわっと書いていきたいと思います。
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