別所で小説を投稿するということをずっとしてきたからか、「人と同じ発想を後から投稿してしまった」ということが起こることをとても恐ろしく思っている。
でも考えてみると、世の中に溢れている文章のほとんどが、「どこかで誰かはもう言っている」ことなのだよなあ、と思う。何を言っても、基本的にはどこかの誰かが言っているに違いない。出版社を通して出版されている本にしたってそうなのだし。文章そのものの剽窃でない限り、「偶然の一致」の可能性は排除できないし、取り締まられるようなことではないのだろうと思う。
それに情報の洪水に溺れているような現代では、類似のものがあちこちで発信されることでそのうちのどれかが視界に入ってきてくれる可能性が高まるということに価値があるようにも思うし。
だいたい、これまで延べ何人の人間がこの世に生まれてきたかわからないけど、その誰もが思いつかなかったり発信しなかったりしたようなことをただの人である自分がそう簡単に思いつくはずもないのだし。
発想が人とかぶっていようが、それを綴る言葉がオリジナルである限り、自由に書いてしまえばいいんだろう。
……と、わかってはいるものの、やっぱり「書く」という行為はなんかちょっと怖いのであった。(でも書く)
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