ある時から茶の間記事の更新が難しくなり、ネタだけが溜まっていく状態になっているのだが(つまりネタ切れではない)、更新に取りかかれない根本原因がよくわかっていなかった。なぜ前はすいすい1記事/1日のペースで書けていたのかが今となってはわからないという感じでいた。

とりあえず「茶の間記事を更新する」ということ自体を忘れていることが多かったので、CapacitiesのDaily Noteのテンプレートに「茶の間へGO」と書いておくことにした。確かに思い出せるようになった。

思い出せるようにはなったが、しかし更新できなかった。この「茶の間へGO」は、「夜やること」の欄に書いていた。茶の間記事は書いても書かなくてもいいものなので、一日の終りに余力があったらやることにしようという位置づけにしていたからだ。

で、夜に「茶の間へGO」という文言を見て、「さあ書くぞ」とはならなかった。そんなに疲れていなくとも、なんだかすごく無理な感じがした。「その種の文は書けない」と感じた。

他の文なら書けるが、その種の文は書けない。「その種」とはなんなのか。茶の間に書いているのは、自分が面白いと思ったもの、自分の思い出になっているものである。それぞれはなんということのない、しょうもない感じの文だし、いつでもさらっと書けそうな感じがする。しかし、自分の感性を言葉にするということは、思いのほか大変なことで、限られたタイミングでしかできないようだ。

自分の感性に基づいて何かを表現するというのは、できる時には何の苦労もないかのようにできる。自分の頭の中に浮かんだイメージをただ描写すればいいからだ。しかしできない時には全くできない。描写するべきイメージが浮かんできてくれないのだ。

ではその「限られたタイミング」というのはいつか。単純に言うと朝だ。最近よく言われる言い回しで言えば「認知資源」が十分にある時ということになるが、認知資源とはおそらく違う種類のエネルギーの問題である。認知資源の減りよりもこのエネルギーの減りは急速で、まだ頭を使う余裕があっても自分の感性の話をする力は残っていないということになる。

そんなわけで、なるべく朝に時間を取って茶の間記事を書き、一日の勢いをつける取っ掛かりにしたいと思う。