ここ数日デジタルノートツールの使い方について色々考えている。

 がらくた箱・知の箱の話と豆エッセイの話は特に関連性なく考えていたことだけれど、統合できる気がするので併せて考えてみる。

※2024/03/16 最終的にできた構造はこちら→三つの箱(領域)の整理

 

 容れ物の話をしているので、豆エッセイについても容れ物の方に着目しよう。上記の記事では「濃いタイムライン」と表現している。「濃い」とは、別種のものが混在していない、または混在していてもそれが十分気にならない状態であるということ。

 呼称の不揃いはそのうちどうにかするとして、まずそれぞれの性格について整理してみる。

  • がらくた箱

    • 内容物

      • 好きなもの、面白いと思うもの、へ~と思ったもの
    • 必要な機能

      • 無限に収納できること

      • 曖昧な検索で取り出せること

    • 採用ツール

      • Scrapbox
  • 知の箱

    • 内容物

      • 知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと
    • 必要な機能

      • 無限に収納できること

      • 何があるかわかること

      • 情報と情報を繋げられること

      • 体系的に整理できること

      • 体系的でない整理もできること

    • 採用ツール

      • Obsidian
  • 濃いタイムライン

    • 内容物

      • 豆エッセイ(自分の中にあるイメージを文章にしたもの)
    • 必要な機能

      • 無限に収納できること

      • 時系列で保存できること

      • 無題が許されること

    • 採用ツール

 これら三つの場所があれば、自分の私的な知的営為全体がカバーされるように思う。

 前記事を書いた後に気づいたことだが、多分「がらくた箱」と「知の箱」を分ける必要は全くない人もたくさんいると思う。私がこの二つのものを分けているのは、何かを積極的に知ろうとするということ自体にあまり関心がないからだ。一言で言うと知的好奇心というものがない。

 ただしそれは、何かを知ることに喜びがないという意味ではないし、何かを見てもそこから知的刺激を受け取らないという意味でもない。単に「もっと深く知ろう、もっとたくさん知ろう」という欲がないということで、何かを知ること自体にはそれなりの感動を抱く。喩えるなら、ケーキを食べれば喜びを感じるしケーキを味わうつもりもあるが、積極的にケーキを食べたいと思うわけではない、というようなものだ。

 自分のこの淡白さは私自身が長い間苦しんできたことで、「もっと好奇心持たないと!」と言われてもどうにもならない。仕方ないので、「頑張って知っておこうとしなくてはならない」と思って生きている。

 仕方なくやっていることのための場所は、自分の喜びのための場所と一緒にしたいとは思わない。なので別個の場所を必要としている。前回書いたように情報の性質の違いでツールを使い分けるというのももちろんあるが、ツールの機能からすればそこまで大きな違いはないわけで、一緒にしたいという気持ちがあるならば細かい違いは気にせずまとめてしまえるだろう。

 

 さて、ここまでの記事ではあまり深く掘り下げなかった「濃いタイムライン(=豆エッセイのタイムライン)」についてちょっと考え直してみたい。

 豆エッセイというのは基本的に「思いついてしまったもの」でできている。「思いついてしまう」というのは結構難しい性質を持っていると思っていて、自分の中から生まれてくるのだから一見能動的で積極性があるもののようだが、実際は自分の脳が自分の意識の都合にはお構いなしに勝手にやっていることだ。自分の意識としてはむしろ受動的な情報のように思える。受動的なもの向けの設計をしないとうまくいかない。

 何かの情報ツールのここに書きたいという気持ちがあったとしても、思いつくのは大概それを開いていない時だし、それを開いて画面とにらめっこしてもそれで思いつくわけではない。溜めておきたい場所があるならそれは後からそこに転記するシステムを作らないと成り立たないだろう。

 思いついた時に即書ける場所というのがまず必要だ。ツイ廃にとってのTwitterのように「とりあえず何か思ったらここに書く」という回路が自分にできている場所である。Twitterでもいいし、デイリーページの類を作っているならそこでもいい。

 

 難しいのはその次で、書き込む場所と溜めていく場所を一緒にすべきかどうか。豆エッセイはその場ですぐはけりがつかないことが多いので、場所を分けると転記のタイミングに悩む。逆手に取って転記のタイミングを締切として書ききってしまうという考えはあり得る。

 一緒にするならば、他の記述との間で相互にノイズにならないような工夫が要る。また、もしデイリーページのような場所に書くとすると、その日が過ぎた後で手を入れるということがやりにくくならないようにする必要がある。つまり抽出できるのが重要だ。Tak.さんのライフ・アウトラインならば、「DO-DAYS」で「▼」を付けて書き、「▼」で検索をかけて抽出するというのが、まさにこれを実現するやり方だ。

 そう思いつつも試しにObsidianに場所を作ってみたのだが、日常を回すものとして常に開いているのはDynalistの方なので、やはりちょっと微妙だ。形になったら手動でObsidianに転記すればいいと思ったものの、その作業が妙に面倒くさく感じる。実際の手間の数倍面倒くさい気持ちが生じている。やっぱりライフ・アウトライン式をベースにした方が良い気がする。

 ただし、デイリーのアウトラインの中にあるというのが少しくせものだ。というのは、後から手を入れた場合、それはその日やったことではない。その日の項目の中にあるということに自分で納得できるかどうか。完成させた日に移せばいいかというとそれも違う。今度は「思いついたのは別の日」ということになるからだ。

 

 この記事を書き始めた時点でどうしたらいいか思いついていなかったのだが、今書いていて、「バージョンが分かるようにすればいいのでは」と思い至った。

 まず、何か思いついたらその日のアウトラインの中に「▼」を付けて書く。十数文字の場合もあれば最初から数十字数百字になることもある。

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 当日に完成せず、別の日に手を加えたとする。その場合は、最初の文に直に手を入れるのではなく、項目を新たに作って書いてみる。3/8にやったとしよう。

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 なおこれは大幅に書き足す場合の話で、最初の日にほとんど出来ている場合には直に加筆してバージョン履歴は作らない。

 必要があればまた別の日にも同じように加筆し、大方完成となったらタイトルを付け、元々「▼」の横にあった初期バージョンは一番下に項目を作って移す。(この移動は最初の加筆前にやった方がよさそうならはじめにやる。)

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 これなら思いついた日と完成日の幅によって置き場所に悩む必要はなくなる気がする。

 これは作業量の記録のためにやるものではないから、手を加えるたびに必ずその日の版を作らなくてはならないというのではない。あくまで気分的に納得できればいいので大幅に変わる時だけ新バージョンを作る。大幅に変わるかなと思って新バージョンを作っても、書いてみて別に分けなくても良かったと思ったら元のバージョンに上書きする。

 

 とりあえず「濃いタイムライン」はこの形でやってみようかと思う。ツールとしてはDynalistを使う。デイリーアウトラインというあれこれ記録が混ざった「薄いタイムライン」から、「▼」で検索することで「濃いタイムライン」になるわけである。

 「がらくた箱」「知の箱」とは呼称が揃っていないのが気になるが、「濃いタイムライン」はライフ・アウトラインという謂わば「生活の箱」の中の一部分なので、ここは揃えない方が良さそうだ。(「濃いタイムライン」に何か別の名前を付けた方がいいにしても。)

 自分の「私的な知的営為」は「がらくた箱」「知の箱」「濃いタイムライン」の三つでカバーされるが、「私的な情報管理」で見るとすれば「がらくた箱」「知の箱」「生活の箱(=ライフ・アウトライン)」ということになるかもしれない。

 

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