前回の記事(ひとり掲示板で自由に呟く)で「掲示板を一人で使う」という閃きについて書いた。その掲示板を再掲しておくとこちら。
たまたま一人で使っても良い感じだということに気がついたが、そもそもは一人で使いたくて掲示板を探したわけではなかった。
複数人でちょっと話しましょうとなった時に、LINEのグループやTwitterのコミュニティ、各種チャットツールが選択されることが多いと思うのだが、それらが本当に最善なのかと考えるとなんだか微妙だなということをずっと思っていた。
それらは短期間だけ必要で何か決着のつくやり取りなら便利なのだが、蓄積にはあまり向いていない。なのでそれぞれ何らかの工夫がその先に必要になる。仕事であればやり取りの結果が反映される先があるが、ネット上の知り合いが雑談するというような状態だと結果を反映させるものがないので、ただただ流れていってしまう。Twitterのコミュニティなんかはもう過去のやり取りの発掘はほとんど無理である。(相性次第ではあるがこの問題の解決策の一つとしてScrapboxの共同編集プロジェクトがあり得るだろう)
そうなった時に、ふと「匿名掲示板はよくできていたな」ということを思った。私個人は昔にしたらば掲示板の一部の板をちょっと見ていただけで、2ちゃんねるなどはほとんど利用していないため実際の様子はそんなには知らない。でも「板があって、スレッドがあって、1000レスで終わりにするか場を改める」というのが「話題の管理」としてかなり合理的だなと今更ながら感じたのである。
実際、有名なスレッドはずっとどこかに残り続けている。そして全てのレスには番号がついているので、全ての言及についてこのスレの何番と指差すことができる。
そんなことを思い、実際に場を作るかどうかは全然別として、現在掲示板というものがどうなっているのかを調べようと思って無料掲示板を調べていた。(個人的には前回書いたようにzawazawaを気に入った。)
匿名掲示板の文化として、名前を記入する欄があってもそれが使われることはほとんどないわけだが、何も掲示板は必ず匿名掲示板として使わねばならないわけではない。
無料掲示板サービスをあれこれ見てみても、仲間内で使えるようにできますということが結構書いてあるので、それなりに非匿名の場として使われてもいるのかもしれない。私個人はそういう機会がなかったのでそういう風には使ったことがなかった。
匿名掲示板に慣れてしまっている人だと、掲示板だというだけでなんとなく乱暴な「匿名掲示板っぽい」振る舞いを想起してしまったり、自身がそういうモードになってしまったりするかもしれないので、そこがひとつ難点になるかもしれないと思う。
ただ、普通に実名やHNで各所に書き込みをするのと同じように書けるとすれば、掲示板の「板があって、スレッドがあって、1000レスで終わりにするか場を改める」という形式は割と便利なのではないかと思っている。(1000以上書ける掲示板なら1000レスにこだわる必要はないが、ともかく適当なところで区切りをつけるという発想があることに意味があると感じている。)
雑談の中で既にやり取りをしたことがある話題に差し掛かった時に、前に作ったこのスレッドで続きをやろうぜと言って移ればそこにどんどん蓄積されていく。同じ話題のループに悩むことはないし、自分の考えを繰り返して書く必要もなくなる。アンカーを付ければ参照が簡単だからだ。Twitterではひとつのツイートを取り出してきても同時にあった他のツイートのことは全然わからないが、スレッド内ならそのアンカーを起点に前後のレスを読めばいい話である。
もちろん「もうその話はしたぞ」と厳しく言う必要は全然ないし、話題のループが全部悪ということでもない。同じ話を何回も考え直すところにも意味はある。どちらかというと「もう話がされていることなんじゃないか」という不安を払拭する意味で過去の記述が一通り読めるというのはありがたいと思う。
掲示板のスレッド内では、それぞれが新たに話題を持ち込んだり特定のレスに言及したりしていて複数の話が同時に走っている。メンション機能のあるチャットツールやTwitterも同様だが、個人的にはアンカーの見た目が「今はこれに言及しています」という表示としてとてもわかりやすいと感じている。「○○さんへの返答」ではなく「何番のこの話への反応」という印象が強くなる。
複数のアンカーを貼ればそこで文脈を作ることもできる。何番と何番はこういうつながりがあって、みたいなことができるわけである。色んな人が同時に色んな話をしていてそれぞれに興味があるという場合にも、一度に「>>100にこう返信、>>123にこう反応」ということをまとめて書くこともできる。場全体の空気を読み過ぎる必要はなく、亀レスもあまり気が引けないと思う。普段「わかる」みたいな短い反応は親しい間柄じゃないとやりにくい気がするが、掲示板ならそれも気軽にできる、かも?
もはや掲示板と縁遠くなって久しい人々も、実は匿名掲示板で行われていたようなことを匿名ではない状態でやりたかったりするのではないか、と日頃感じているのだが、どうなのだろう。みんながみんな世界に向けて話したくてSNSをやっているんじゃないような気がする。
と、色々考えてはみたが、今になって実際に掲示板を使うというのが現実的かどうかはわからない。現在使っている場での工夫というのも様々積み重ねられていることだろう。でも、なんだかんだ「スレ」というのは「話題」を扱う単位としてとてもうまい仕組みだったな、と今更ながらに思うのである。
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