今年に入ってからObsidianというツールを使い始め、これまでにない手応えを感じている。

Obsidianというワードを初めて見た方にざっくり説明すると、カテゴリとしては「メモツール」または「ノートツール」であり、私なりに言い表すならば「markdownファイルを管理し、ページ間をリンクで繋げていくことで私たちの脳味噌と近い形の情報管理ができる(かもしれない)ツール」である。

具体的にどんな機能があるかということは既に詳細に説明してくれている方がいらっしゃるので、リンクを最後に貼っておきます。Obsidianに触れたことがない方はそちらを先にお読みいただくと良いと思います。

 

数々のメモ・ノートツールとの格闘

さて、今まで様々なツールを使ってきたのだが、どれも使い始めは「最強か!!!」と思うものの、だいたい数ヶ月経つと、後から気がついた不便に目をつぶったり無闇に自分ルールを構築したりという無理をし始め、結局「使うために使う」という状態に陥ってきた。

例えばEvernoteには万単位のノートが蓄積されているし、蓄積されてしまったから、しばらくの間「頑張って」使っていた。それもやがて、私の環境ではアプリケーションの動作の重さや同期の不具合が気になってフェードアウトするに至った。(最近のアップデートで「ホーム画面」の機能が公開されるなど色々と使い勝手が変わってきているし、重ささえ解決されれば魅力的なサービスであることに違いはないのだが。)

例えばDynalistは何度も何度も使ってはやめて使ってはやめてを繰り返しているのだが、アウトライナーという形態の「なんか良さそう」な香りに、誘蛾灯に惹きつけられる蛾のようにふらふらと近づいては弾かれて地面に落ちている。Dynalistが私に攻撃してくるわけはないのだが、どうしても馴染まずに終わってしまうのだ。私は箇条書きが苦手だった。Roam Researchも同じ理由で断念した。これらのツールが使い手によってはこの上なく便利であることを知っているだけに、「うまく使えない」というストレスは自己嫌悪にも繋がっている。

あとはXTMemoという少し古いフリーウェアをこの間まで使っていて、これはメモソフトとしてはかなり画期的なものだったのだが、メモとメモをリンクする機能がないのは今となってはややつらい。(メソッドを引き継いで現在開発中のソフトとしてVaNTというものがあるので、メモ管理に興味がある人はこちらもチェックしてみてほしい。期待大のソフトである。)

そして、今も使っているもののObsidianに役割の多くを引き渡したのがScrapboxである。Scrapboxの思想は私にとっては「それ!!!それがほしかったの!!!」と膝をばしばし叩くほど我が意を得たりなもので、その感覚は今でも変わっていないのでScrapboxをやめることは恐らくないと思うのだが、己の思索を深めるという点においてはObsidianと比べると一歩及ばずと感じるところがいくつかある。例えば複数ページを同時に開きづらいとか、明示的にリンクを貼っていない記述からのバックリンク機能がないとか、箇条書きが畳めないとか、その他細かい諸々。

とはいえ、「自分が今まさに考えている」というもの以外の情報の管理ではScrapboxに軍配が上がるところが多々あり、むしろObsidianに向いている類のことをScrapboxから切り離すことでScrapboxの活用は更に洗練されていく気がしている。

 

じゃあ何が劇的なのか

ここからObsidianの話を少ししていきたいが、Obsidianでできることはたくさんあると思われるし、機能も使い方も全く網羅できているわけではないので、私の個人的な使用感しか語れないことを予めご承知ください。

 

①情報を置き、探すツールとして

まず、情報を置く、そして探すことができるツールとしてObsidianがどう魅力的なのか。

ひとつは、情報の「置き場所」が多様であること。

まず実体としては個々のmarkdownファイル(拡張子".md"のテキストファイル)がフォルダの中に配置され、サブフォルダの階層も自由な深さで作ることができる。そしてファイル全体または各行にタグをつけることができ、タグはGmailのようにネストできる(階層化できる)。更に、本文中に他のページへのリンクを簡単に貼ることができ、その行き来が非常にスムーズなので、リンク集のページを作ることも自然にできる。

つまり、「このページはここにある、ここから辿れる」という手がかりが、検索以外に三通りは存在しているのである。それは何を意味するかと言うと、個々のページを配置できる文脈が多いということである。語り出すと長くなりそうなので、ここでは詳しく書かないでおく。

次に、バックリンクの存在である。これはRoam Researchと共通する機能で、情報管理においてはひとつの革命ではないかと思っている。

バックリンクとは「他のページからこのページに貼られたリンク」であり、これを呼び出すのはScrapboxもカバーしているが、Obsidian(とRoam Research)がすごいのは「明示的にリンクを貼っていない記述」を検索せずとも並べてくれることである。例えば「Obsidian」というページを作ってあったとして、例えば日記用のページで「Obsidianはバックリンクが便利だなあ」と書いたとき、わざわざダブルブラケットで囲んでリンクにしなくとも、「Obsidian」ページを開けば日記内のこの記述がバックリンクタブに表示されるのである。このことは、ひとつのページに複数のタイトルを設定できるalias機能と組み合わせたときに一層力を発揮する。

更に画期的なのは埋め込み表示の機能である。

別のページの記述を、ページ全体、見出しごと、行ごとに埋め込み表示することができる(記法に従ってリンクを貼ると、プレビュー画面でリンク先の内容を表示できる)。この機能によって、情報の大本になる一箇所を編集すればそれを参照している全ての記述が更新されるので、複数箇所の記述を手動で訂正するといったことをする必要が完全になくなる。また、日記を日ごとのページで書いていたとして、週単位や月単位でまとめて見たい、別の年の同じ日の記述を並べて見たい、日記のうちアイデアのメモだけを一覧したい、といったことが極めて自由に実現できる。

そして、画面両脇にサイドバーがあるということ。

このサイドバーがまた素晴らしく、ファイルエクスプローラ、タグリスト、検索結果、アウトライン、バックリンク、お気に入りなどをタブで設置でき、情報を思い出したときにその都度違っている「この切り口でノートを探したい」という需要に速やかに応えてくれる。フォルダから探す、タグで探す、検索するetcという、その時の自分の頭の中にある多様な種類の手がかりに1回2回のクリックでアクセスできるし、それらが常に目に見える形で表示されているということ自体が、私に「こういう手がかりがありますよ」と思い出させてくれることにもなる。

 

②情報を見るツールとして

そうやって情報を置いたり探したりすることが多分「情報管理」と言われる行為なのだが、私たちはコンピュータではないので、情報を文字列とか二進法とかで認識するわけではない。つまり、情報を認識するということは有機的なものなのである。「利便性」とか「手間が少ない」とかいうことだけでは、情報を捏ね続けてはいられない。(少なくとも私はそういうたちである。)

Obsidianが情報を扱うにあたって魅力的である理由のひとつ(とても大きなひとつ)が、自由にレイアウトできるということである。

いくつものページを何列何段で開いてもいいし、内容に合わせて列ごとに幅を変えることもできる。タグリストは左のサイドバーでもいいし右のサイドバーでもいい。サイドバーを上下二段にもできるし、邪魔なら閉じておいてもいい。なんとなくファイルエクスプローラは上に置きたいし検索結果は下に置きたいと思えばそうできるし、いつもアクセスするファイルをサイドバーに設置することもできる。自分の感覚に合わせて置き場所とそのサイズを決めることができる。

絵を描いたりデザインしたりする人は、ツール内で自分なりのワークスペースを自由に構築できるのは当たり前のことで、それがいかに重要かを実感していると思うのだが、情報整理に関してはそれらのツールほど自由にレイアウトできるものは私の見る限りではあまりなかった。(Evernoteはその点で大きな一歩を踏み出したところだろう。)

そしてもうひとつ大きな要素が、CSSを設定できるということだ。

有志の人々がテーマを数多く提供してくれているのでその中から好みのものを選ぶことができるし、自分でテーマを作ることもできる。CSSの知識がなくとも(私はほとんど知識がないに等しい)、Ctrl/Cmd+Shift+Iでデベロッパーツールというものを呼び出せば、見た目を変えたい箇所の要素を探して手探りでCSSを書いて適用することもできる。

実のところScrapboxもUserCSSという機能があるから使い続けている――と言っても過言ではないくらい、見た目は重要な問題である。人それぞれ、自分にしっくりくるデザインは違って当然なのだ。たった1pxの差が、愛着を持てるか否かの分水嶺になり得ると私は思っている。

内容の編集・閲覧に関して言えば、Obsidianは所謂アウトライナーではないながら、「畳む」ことができるというのも大事なポイントだ。見出しごとにも畳めるし、箇条書きにすれば子要素を畳めるし、箇条書きにしなくともインデントすれば子階層を畳むことができる。これはオプション>エディタの中に設定項目がある。

畳むことは全体像を把握することを助けてくれるし、そしてそれ以上に、「今見なくていいものを見えなくする」というのは思考のベクトルをコントロールする上で恐らくとても重要なことである。

 

Obsidianには他にも数多の要素があり、人それぞれ価値を見出すポイントも違っているだろう。

私にとっては、上記のことを同時に成り立たせてくれるObsidianが私の人生に大革命をもたらす可能性を感じているし、既に芽は出つつある。そのひとつが、今このnoteを書いているということそのものである。日頃から書く書く詐欺をやらかしがちなので宣言はしたくないが、Obsidianについて書きたいことは様々あるし、それを自己完結するだけでなく自分と似た人のために書き表したいなという思いは強まっている。情報というのはきっと捏ねれば見せたくなるもので、Obsidianは捏ねるハードルを下げてくれるのである。あるいは、捏ねることは楽しいものだと囁いてくれるのだ。

 

これを読めばObsidianがわかる!リンク集

最後に、私を助けてくれた先人の皆様の記事を紹介いたします。

皆様のおかげでObsidianを人生に組み込むことができました。素晴らしい記事をありがとうございます。

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