今年も半分が過ぎたので振り返っておこう。今年は毎月の振り返り記事を決まったフォーマットで書いているので振り返りは簡単だ。
まず振り返るべき記事をピックアップ。
- 1/1 2025年
- 2/22 2025年1月の振り返り
- 2/28 2025年2月の振り返り
- 4/1 2025年3月の振り返り
- 4/2 「今月の振り返り」の振り返り
- 4/5 今年度の投稿計画(2025年度)
- 4/30 2025年4月の振り返り
- 5/31 2025年5月の振り返り
- 7/1 2025年6月の振り返り
さてこれに対してどういう括りを用いて半年間の振り返りをするべきか。まずは月ごとの大きな変化をピックアップして俯瞰しつつ、項目別に振り返っていくのがよいだろうか。(結構悩んだ。)
各月の特記事項
1月
- ライフ・アウトラインの拡張
- 四つのエッセンシャル・アウトラインの整頓と整備【重要】
2月
- Dynalistへの集中とDynalistの可能性の開拓
- アクティブでないツールのデータの整理
3月
- Dynalistのノードリンクを活用し始めた【超重要】
- Notionで役割が重複したデータベースをAPIを駆使して統合
- Capacitiesをスリムに使う方向に転換
4月
- noteに毎週月曜日に投稿する試み開始
- Dynalistの使い方の見直しを迫られる(通信量・挙動の速度の問題)
- Notionの活用再開、役割の明確化
- Obsidianの役割強化
5月
- 紙類の大整理開始【重要】
- Noratetsu Houseのデータをmdファイルに移行
- Capacities/Dynalist/Obsidian/Notionの4アプリ体制の確立
- 「読書を楽しむ」を目標に追加
6月
- 紙類の大整理ほぼ完了
- 紙のノート類の役割を大幅に強化
- Dynalistでルーマン的カード実践(3月時点でスタートしてはいた)
こんなところか。毎月の振り返りに設定している各項目と目標ごとに振り返ってみよう。情報整理とノートフローについては「今年の目標」の欄と重複するのでそちらでまとめて振り返る。
投稿について
お知らせと振り返りの記事を除くと、半年で9、8、5、10、10、10の52件。そのうちnoteに投稿したものは過去記事のリライト且つ短文が多いので、それはそれで労力を費やしてはいるにしても、全体として数は少なめだったかなと思う。
この半年間は情報整理にかなりの時間を使っていたので文章を書いている余裕がなかった。書いた記事の内容も情報整理とツールの話がほとんどだった。(いつもなら「書く」ということの話やもう少し抽象的な自分語りの類が多少ある。)
しかしそれぞれの記事は結構面白いものが書けたと思う。強いてピックアップするとすればこのあたりか。
そして4月からnoteに毎週投稿すると決めてやっているが、今のところ継続できている。noteへの投稿内容は各種の「実際やったこと」である。これは自分のサイトではなんとなく書きにくかったことで、noteに淡々と書いていくことが自分に合っている。
ノートの試行錯誤などについて、その結果がどうあれそれを丸ごとなかったことにせずに投稿する場ができ、気持ちの面でかなりスッキリした。読まれるかどうかや誰かが参考にするかどうかは今のところ半ばどうでもよく(誰かのためになればそれはもちろん嬉しい)、エネルギーの空費でしかなかったようなことについて「ゴールができた」ということが私にとっては革命的なのである。
あと毎週やると決めてそれを実行できているのはとりあえず良いことだ。特にnoteでは過去にそれができなかったという失敗体験を繰り返している。更新頻度を上げていきたいところだが、気持ちだけでやらないように慎重に計画していこうと思う。
プログラミングについて
積極的に新しいことをしようとはしなかったが、実際的に必要なコードを書くということを結構した感じがある。
特にNotion APIの活用とmdファイルの処理についてかなりスキルアップした。これにより、Dynalistに加えてNotionとObsidianのデータにもスクリプトによる機械的な処理を加えられるようになったため、利便性が割と劇的に向上した。実質的にそれらのアプリケーションの間に境界がなくなったということも意味している。
最近Notionをメインツールのひとつとして使うようになったわけだが、それにはAPIを自由に利用するスキルを得たことも大きく関係している。
去年以前は自分で新しいツールを作ることを試していたが、この頃は既存のアプリケーションのカスタマイズが基本になっている。カスタマイズにはツールの自作のための格闘の経験が活きている。
今のところ、プログラミングに関して今後やってみたいこととかは特にない。そもそもの動機が自分にフィットする情報整理ツールを作ることにあったので、それはほとんど達成されたなと思う。生成AIを手元で扱うということもちょっとは考えたが、なんか別にいいかなという気持ちでいる。
ここからは年始に掲げた「今年の目標」について。
目標① デジタルデータと紙の整理
前から気になっていたことなので目標として掲げなくてもやったような気はするが、しかし目標にしなければそれほど勢いはつけられなかったかもしれないとは思う。
まずDynalistとCapacitiesに情報を過去まで遡って集約することを目指した。もしDynalistにシステム上の弱点がなければその形で決着していたかもしれないが、そうではなかったので、その後見直しを迫られて結果的にCapacities/Dynalist/Obsidian/Notionの四つのアプリケーションが分割統治する形になった。
Dynalistに一度集めたものをまた整理し直すことになったのはその時点では不本意だったが、今になってみればNotionとObsidianについて真剣に考える機会になり、その結果よりよい形態を見出すことができたと思う。如何に自分が「わかったつもり」になっているかというのも思い知った感がある。
で、使用ツールの使い分けが変化したことに伴い四つのエッセンシャル・アウトラインとしていたものも形が変わった。それについては改めて書く。
5月からは前々から必要を感じていた紙類の整理を実行した。それで色々と変わったというのは既に記事にもしているのでここでは省略。紙類の整理がデジタルツールの使い方にも大きく影響を与えた。
情報整理についてぐわんぐわんと大きく揺れ動いた半年だったが、過去の「とりあえず試してみる」的試みとは違って毎度必然性がある変更だったので、揺れ動きが収まった今かなり洗練された形になっている。半年前と今とで見えている景色が全く違っている。
形式は決まったが情報自体はまだそのとおりに移せていないという状態にあるので、その完了をもってこの目標はひとまず達成ということになるだろう。
目標② 二度手間撲滅
目標に掲げたことで思いのほか変化があったと思う。コーディングの合理化がわかりやすいが、もちろんそれだけではない。
生活の動線をよくよく考えるようになった。ので、部屋の模様替えをした。前だったら永久に思いつかなかったような配置を「いやこうしたほうがいいでしょ」という感じでぽんぽん思いつくようになった。二度手間になっていることをそもそも自覚できていなかったことがかなりあるとわかった。
情報のアクセス性についても考えが深まった。データを作る手間を多く見積もりがちだったところがあったが、二度手間を発生させないことを第一としてえいやとデータを作ってみると、そこまで大変でもなかったということが色々ある。
後のことを考えると紙に書いておいたほうがいいという結論に至ることも増えたが、手書きでも手間を恐れずに参照のための情報を作っておけるようになった。それは変に手間と効果を天秤にかけようとせずにとにかく「二度手間を撲滅するのだ」ということを優先して取り組んだからできるようになったことと言える。
この目標は達成ということにはならない気がするが、今年が終わる頃には敢えて意識しなくてもいいくらい定着させられるかもしれないし、そうなることを目指していきたいと思う。
目標③ 概念やシステムの明確化と各媒体に合った発表
これはまだ大した成果が出ていない感じがあるが、ただただ思いついたものを思いついただけ言葉にして終わりになっていた以前と比べると、考えの傾向自体が変わってきたようには思う。発散的思考しかなかったのが、収束的に考えることを試みるようになった。
ライフ・アウトラインの改造から始まり、自分なりのシステムを構築してそれを言葉にしようということを常々考えるようにはなった。
これについてはそもそも新しい試みであり時間がかかるものと最初からわかっていたので、功を焦らず地道に取り組んでいこうと思う。
目標④ どうでもよいことはどうでもよいとする
これも掲げたことで思いのほか変化が生まれた目標だ。「どうでもよいことはどうでもよいとする」というフレーズを作れたことがよかったかもしれない。
要はいちいち感情的に動揺しないということだが、「~しない」という否定形で表現していると一向に改善しない。禁止は戒めの感じが強すぎて反動も生じる。肯定文で言い表せるのは重要である。
最初は誰かの他罰性や無理解、侮りに対する反射的な怒りを鎮めようという趣旨だったのだが、「どうでもよいことはどうでもよいとする」と言い換えたことでより広い範囲を捉えられるようになった。例えば自己顕示欲もそうで、義憤と自己顕示欲をまとめて戒める表現はなかなかないと思うが、「(適切なタイミングでない限り)どうでもよい」という括り方をすることでそういった過剰性全体を指して戒めることが可能になった。
まだ理想には程遠いが、自分に振り回されるということが少しずつ抑えられるようになってきたと感じる。
目標⑤ 読書を楽しむ
これは五月から追加した目標でまだ取り組み始めたばかりだ。本を読むことが目標ではなく、読書という行為を楽しむことが目標。本は読んだほうがよいに決まっているが(良書を謙虚に読む限りにおいて)、「~したほうがよい」というだけでは自分は動かない。なので体験の質を上げることに意識を向けることにした。
本を読んでいる時間そのものだけでなく、読書に関わること全体を楽しんでいこうというニュアンスも含んでいる。ここのところ紙の整理をしたことで過去の読書ノートや図書館の利用履歴が目に入った。それらを見て思いを馳せたり情報として整頓したりした。
読書ノートは最もころころ形態が変わったものなのだが、最も形態を変えるべきでなかったものだと今は思っていて、生涯持続可能なやり方を真剣に考えた。そういうことも含めて読書改革が自分に起こったと思う。
実際読むということについてはまだそんなに大きく変わっていないが、十年以上前からいつか読もうと思っていた分厚い本をついに読み始め、楽しんで読めている。実行に移したのはもちろん「読書を楽しむ」という目標を掲げたからである。
所感
全体的に良い変化があった半年だった。ほとんど偶発的なものではなく、目標の力によって生じたと思う。
年始の目標というものとは長年仲良くなれなかったが(誤った目標)、人から見てではなく自分にとって本当に欲していることを設定し、そして上手に定点観測するということで目標を活かせるようになったと感じる。それは最初からやれている人にとってはきっと当たり前のことで、しかし目標と仲良くなれない多くの人にとって当たり前ではないだろう。
そして情報整理やデジタルツール、紙の扱いについて理解が著しく深まったと感じている。どこがどうと説明するのは難しいが、誰かの主張に「そうか?」と疑いを抱いたり、一面しか見えていないなと感じることが増えた。昔は「はあ、なるほど」「確かにそうなのかも?」と、主張が正しいことを半ば前提にして聞いていた。堂々と言えるならそれはきっと熟慮の結果であって正しいんだろう、みたいな。別にそうとは限らないと思う。
それはさておき、何より自分にとってよい変化を自分で起こせるという体験をしたのは大きい。下半期もよい半年を目指しましょう。
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