投稿先: https://note.com/noratetsu/n/n00f686545939
貧乏性の私はEvernoteの活用に失敗し、やがてScrapboxに出合った
もう随分前のことになるけれど、私にはEvernoteを使っていた時期があり、一応毎日何かしらのことをEvernoteでやりながら、結局フェードアウトしてたくさんのものが死蔵されたまま眠っている。
そうなった要因はいくつかあって、まず思いつくのは「自分は情報をどう活用したいのか」ということが不鮮明だったこと。ツールで出来ること、が自分が思いつく活用法よりも機能的に豊かだと、それらをなんとかして使いたくなってしまい、余計なことをしだしてやがて飽きてうまく回らなくなる。それはツールを渡り歩く度に発生することで、自分の学習能力の乏しさに毎度頭を抱えてしまう。
ただ、Evernoteに関して言うならば、それが最大の要因ではなかったのだと後から気がついた。
何が一番の問題だったか。それは「月間アップロード容量」である。その制限に阻まれて自由にファイルを取り扱えなかった――のではなく、制限があるということそのものが私にとって障害になってしまったのだ。容量はいくらでも同じことになったに違いない。月間60MBでも、5MBしかなかったとしても、あるいは10GBあったとしても。「〜までできます」ということが貧乏性の私の判断力を著しく損ねてしまったのである。容量に余裕があるかどうかはほとんど関係がない。
貧乏性の人間が例えば「月間60MBまでアップロードできます」と言われたら、当然のように制限ギリギリまでアップロードしようとする。不要不急の音楽ファイルとか画像ファイルとかを詰め込む。まるで、遠く離れた大学に通う我が子に実家の親御さんが送るダンボール箱のように、隙間なく目一杯何かを詰めるのだ。それこそが有効活用で賢いやり方だと思ってEvernoteを物置のように使うことになってしまう。子どもに送るダンボール箱はみっちり詰まっていた方がいいかもしれないけれど、情報管理ツールに見境なくファイルを詰め込むのは賢明とは言えない。
もし、「探せば見つかるし整理は不要」と割り切れるのならあれこれ入れてしまっても大して支障はないのだけど、半端に神経質で「存在するからには整理したい」みたいなことを考えだす人間は、とりあえず収納するということがそのまま管理コストになってしまうのだ。
あくまで私の場合はという話だけれど、もし月間アップロード容量がなければ余計なファイルを「念の為」「せっかくだし」などと言ってアップロードすることはなかったし、60MBも使わなかったかもしれない。私が本来Evernoteでやりたかったことはテキストと少しのPDFの管理であって、そのために必要なのはたった数十MBだ。もしプレミアム会員になっていたら、金を払ったからにはとますます大変な混沌を生み出していたに違いなく、Evernoteの運営には悪いけれども踏みとどまってよかった。
もちろん、仕事や趣味の内容によってはガンガン大容量のファイルを扱わなければならないだろうし、ユーザー全員がそんな調子でEvernoteを使ったらパンクするだろうから月間アップロード容量の制限という仕組み自体が悪いとも思わないし、Evernoteでの失敗の原因は100%私の貧乏性にある。
(個人的には、月間◯GBとか◯ファイルの制限よりも合計◯GBの形の方が余計な効率を考えずに済むのでありがたいことには違いない。効率の計算はとにかく思考のコストがかかるのである。)
その貧乏性を常に意識できていたら良かったのだけれど、精神的に余裕がない(≒鬱っぽい)間はそういうことは思い至らなくて、ファイルの管理をうまくできない自分の無能を責めて苛立ってばかりいた。
そりゃ、そもそもそのツールで管理する必要もなく管理したいとも思っていなかったファイルが居座っていたら、邪魔だし煩わしいしうまい活用法だって見つかるわけもない。そこにそのファイルはあってほしくなかったのだ。
自分はこのツールをどう使いたいか、このツールとともにどんな生活をしたいか、というイメージを強く持ち、「詰めれるだけ詰め込む」という貧乏性に負けることがなければ、月間アップロード容量60MBのうちたった4MBしか使っていなくとも、「損した」という気持ちになんてならなかっただろう。
(とはいえ、Evernoteを使っていた当時は、デスクトップ版のフリーズの多さとAndroid版の機能の少なさで使用感に不便を感じていたので、このことがなくとも使い続けたかはわからない。)
そしてEvernoteをやめてしまってから何年もの間をおいて出合ったのがScrapboxだ。ちなみにその間の年月でも数々の失敗を繰り返し放浪し続けていた。
Evernoteとは根本的に違っていることが多々あるので単純に比較できるものではないけれど、私の場合は「あっ、Evernoteでやりたかったのはこういうことだったんだよ!」と思ったので自然と馴染んだ。
ページ数や残り容量の制限がないことも私に合っていたし、ファイルのアップロードができないことは今のところむしろプラスに働いている。
そしてそこそこの月日を経てScrapboxをだいたい思い通りに使えるようになった今、Evernoteのことを振り返り、そうか、私の弱点はそこにあったのか、と気がついたことが色々とある。今回フォーカスしたのは貧乏性のことだけれど、Evernoteの活用を邪魔した己の習性はそれだけではなかったし、整理がついたことから書いていこうかと思っている。
Scrapboxの良さや、自由であるがゆえの格闘の記録はまた別の機会に書くとして、今回はEvernoteのサービス形態が私に及ぼした思いがけない影響とそこから学んだ反省について書きました。
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