tasuさんの投稿をとても面白く拝読しました。

紙のノートにテレビゲームの発想を再現するというのは、使っている道具としては紙と鉛筆かもしれませんが、既にプログラミング的発想で考えることをしていたのだろうと思い、「おお」と感嘆しました。(ご本人の意識としてはそんな大層なことではないかもしれませんが、かなり面白いことを遊びとしてなさっていたと思います。)

tasuさんのゲーム作りのように、ああしてこうしてそうなるとこういう結果になる、という機構を生み出すことはまさに「創る」ことであると思います(文章を書くこともそうです)。それを試みるということは、その結果が他人にとって意味を持つかどうかとは関係なしに、自分に「創る人間」として何か力を漲らせてくれるように思います。私もコードを書いたり文を書いたりすることが自分を泰然とさせてくれている、という実感を抱いています。

大人になり、自分の権限の無さあるいは逆に責任の重さに苦しむ生活が常態化すると、「ああしてこうしてそうなるとこういう結果になる」なんてことを無邪気に考えて実行することはできなくなってしまうでしょう。そうすると自分の中から「創る」という要素が失われ、自分の人生の舵取りをするエネルギーも底をついてしまうのではと思います。逆に、突然大それた計画を立てて精神の回復を図ろうとしてしまう展開もあり得て、それもそれで大変な事態を招きかねません。

大人になっても「少年の心」を持っていたい、ということがしばしば言われますが、それは性格的な純粋さを保つのもさることながら、自分という人間のエネルギーを失わないという意味で大事なのかもしれません。「少年の心」とはつまり「個性」の発露なのだと思います。

 

さて、もう少しだけ「何者」の話をするのですが、「何者」という括りで考え続けることには限界も感じます。

自身で「何者ではない」と考えてしまうことに対しては、それぞれの「何者観」によって、とるべき行動が変わるように思います。

tasuさんがお書きになっている「それぞれの『何者観』」という表現が正鵠を射ていると思います。tasuさんの記事内の文脈としては「他に対して思う『何者』」と「自身に対して思う『何者』」の乖離が主眼かとは思いますが、自他の問題だけでなく、「何者」の二文字が生じる経緯にそもそも種類があるのでは、ということを思いました。

「何者か」とはつまり、今の自分とは異なる人物像であり且つ具体的に思い描くことができていない像のことではないかと思いますが、本当はそこに形容詞がくっついているはずです。個々人が人生に於いて求めるものというのは当たり前に違っているでしょうし、更に社会が要請する像が世代によって異なっているからです。漠然とした「何者かになりたい」は、具体的でない上に「どんな方向か」さえも曖昧であるところに苦しみを生じさせていると思います。

 

エリクソンの「心理社会的発達理論」では、人間の発達段階を八段階に分け、それぞれで直面する課題とその克服の成功・失敗の影響が整理されています。

一般的に、「何者」というのは「アイデンティティの問題」と捉えられているので、この「心理社会的発達理論」に基づけば五番目の青年期の課題というふうに解釈されることが多いかと思いますが(この理論を知らなくとも大体そういうイメージを持つことが多そうです)、「何者かにならねば」という焦燥が全てそこから来ているかというとどうも違っているような気がします。社会情勢や、周囲に求められた像、そして個々の従順さの度合いなどによって、もっと手前の発達段階の課題を引きずった結果である場合もありそうです。

いずれの段階をもきちんとクリアしたら体現できたはずの自己像、それが「何者」かもしれません。あるいは自意識が肥大していれば「人より優れた何か」を指すのかもしれません。

そのあたりの詳しい分析・議論は社会学や心理学の専門家が力を尽くしてやってくれているでしょうが、それはそれとして、自分の実感を言葉にしておきたいと思います。

 

私にとっての「何者」とは、「個性の発揮によって食べていけるような何者か」です。自分の中では「食べていける」にそれなりに強めのアクセントがあるので、ただ個性を発揮しているだけでは「何者か」になれたことにはなりません。

とはいえ、「個性の発揮とは何か」がわからない状態の形容しがたい苦痛から解放された時点で、「何者かにならねば」という強迫観念からは解かれ、「サウイフモノニワタシハナリタイ」的な、切実ではありながらもやや呑気な感覚に変化したように思います。

この「何者」のイメージを私にもたらした要因は、前回書いたことの繰り返しになりますが、個性の発揮に依らない働き方に馴染むことが困難という予感があったからです。いわゆる「普通のこと」が、私にはあまり普通ではないのです。時代的にも、「普通」というのは結構なエネルギーが要るものになっていたと思います(「普通」とは競争に勝って初めて得られるものになっていたからです)。それでも私は「普通」にならなければいけないような気がして、頑張って「普通」を装って生きました。その間、自分の個性の育成などというのは棚上げです。

いよいよ「やっぱり『普通』にはなれないよ」と悟った時、自分が育てることをさぼりにさぼってきた「個性」を頼りにしないと自分は生きていけないと気がつき、私は人生を無駄にしてきたという現実に打ちのめされたのです。それゆえ、私が求める「何者」像というのは、食べていけるくらいにきちんと己の個性を知っているということなのだと思います。

 

私たちが児童・生徒だった頃には既に始まっていた、「個性を育てる」というコンセプトは、それ自体はそれこそが私にとって必要なものでした。しかし、同時に叫ばれた「主体性を持つ」というコンセプトがそれを覆ってしまいました。恰も「個性」と「主体性」は連動しているかのように解釈されていましたが、私にはそうは思えません。というか、「主体性」という概念が曖昧に過ぎます。

学校で想定されている(今は違うかもしれませんが、当時の学校現場では想定されていたであろう)「主体性のある子」というのは、「物事に積極的で快活な子」というイメージかと思いますが、その像そのものには「個性」は要りません。「主体性のある子」を、個性を封じて演じることができるのです。

「個性」を自覚してそれを守り、そして遺憾なく発揮しようとしたならば、確かに主体的に生きることになるでしょうが、それはつまり結果のものであって、「主体性」というのは獲得を目指して得るものではないように思います。ましてや、「主体的な子を高く評価する」なんてことをやっていたら、「評価されるであろう振る舞いを演じて主体的っぽく生きる」という戦略が選択されて「個性」なんてのは二の次三の次になって当然です。(そのことを悟るのが、私は少し遅すぎたなと思います。)

 

私は「何者かになりたい」という思いを抱いて生きてきました。自分が思う「何者」の条件が自分にとって遠い(しかも像としては漠然として掴みどころがない)ことから、「何者にもなれないのかもしれない」という不安を抱くことになりました。一方で、「どうせ何者にもなれやしないんだ」という捨鉢な気持ちになったことは多分ありません。おそらく、私の中にあるのはそういう「何者」ではないのだと思います。

自分にとっての「何者」についてはともかく、一般的に言われている「何者」とは何か、ということについて考えたことはなかったので、「何者」とは何者かという問いによって、そして「何者」になるために書くという試みとそこに至った経緯を知ることによって、「何者」の二文字の背景に錯綜する文脈の差異に初めて焦点を当てて思考したように思います。

 

(前回にしても今回にしても、正直なところトンネルChannelに書き込むのは躊躇われたのですが、ここで「気が引けるから自分のブログに…」「いやそもそも公開しないで胸に秘めておいた方が…」とやりだしたらトンネルChannelのコンセプトを形骸化させてしまうようにも思ったので、投稿しました。)

 

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