何者かになりたい問題と同じか違うレイヤーかまだ自分の中ではっきりしていないけど、自分が「量産型」的であると自分で感じる領域について自分を肯定できていなかったところがあるなと思った。

好きなものがめちゃくちゃ大流行したものであるという場合に、その体験を自分の中で「大事なこと」としてカウントしようとしない、みたいな不誠実さが自分にあった。

このことに折り合いがつくのは、「何が好きか」ではなく「どこがどう好きか」にフォーカスした時だと思う。本当に熱心な人が、それが流行ろうが廃れようが関係なしに愛を貫けるのは、早々に「どこがどう好きか」に焦点を移しているからだろう。これは好きの深度の問題ではなく、ある種のコツだと思う。

社会にとって必要なのは「何を好ましく思うか」であり、「どう好ましく思うか」はどうでもいい。だから社会の要請に大人しく従うなら「どこがどう」を自分に問う意味はないだろうし、何かを好きということをいつかは「卒業」することが重要になる。その流れに負けると自分の「好き」は容易く軽くなる。

(2023/12/05のツイート)

 

これは文脈としては「自分の音楽体験の原点はSPEEDにある」ということを自分が無意識に否定し続けてきたことの反省に端を発している。

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