常々、Twitter(あるいはMastodon)に考えを放流してしまってそのままになっていることが気になっている。
(※何かを論じている記事ではなく日記です。)
少し前には「日付をタイトルにした記事にすればいいかも」というアイデアを練ったり(2022/11/14 ―― 日付をタイトルにする試み/やり方を真似したくなるということ)、昨日も投稿先のコントロールについて考えたりした(アウトプットのコントロールド下手問題)。
言語化のデフォルトがTwitterモードになってしまっているから駄目なのだ、というのはいい加減わかってきたのだが、具体的な行動についても考えなくてはならない。
早い話が、「真っ先に開くのがスマホのTwitterクライアント」というスタイルが良くない。Twitterを開いてしまうとその時点で言語化のモードがTwitterモードに切り替わってしまう。
なおPCからはそれほどTwitterを利用しないが、PCの前でスマホを操作して投稿しているということがしばしばあるので、現状「PCを開きさえすれば然るべきところに書き込める」ということにはなっていない。
選択肢としては二つあるだろう。より望ましいスマホアプリへの動線を作るということと、PCを開いている時にはPCで書き込みたいと当たり前に思うような動線を作るということだ。
スマホから書き込む時に私の中で前提になるのは、書き込んだものがPCからスマホ上と同様かそれ以上の細かさで確認・操作できることだ。つまりクラウドを通じてブラウザかデスクトップアプリでデータを扱えるか、クラウドストレージ経由でローカルファイルを共有できるか。Twitterは前者を満たしている。
Google Playストアを見ると面白いメモアプリは様々あるのだが、クラウド保存機能がないとPCからデータにアクセスできないので条件に合わない。クラウドを利用できても、PCからのログインがすぐ切れるものは煩わしくなってしまう。スマホのアプリが多機能過ぎるなどして挙動が重いとそれも駄目だ。求めているものは単純なことなのだが、案外希望を満たしてくれるものがない。
普段使っているDynalistはどうかというと、Androidアプリは一時期重くて使い物にならなくなっていた(なので、「Quick Dynalist」というアプリでDynalistのインボックスにメモを送信するという形で利用している)。しかしさっき久々に開いたら大丈夫そうかという感じがしたので、短文の編集場所として復権するかもしれない。あとは、最近Scrapboxをスマホから編集するのがやりやすくなったので、これも候補のひとつではある。Obsidianのアプリなんかも悪くはない。
ただ、いずれもなんとなくもう一歩という感があり、面倒になって易きに流れるとTwitterに負けてしまいそうだ。すぐ読んでもらえる誘惑などもあるが、「簡単に書けて、PCでもアクセスできる」という観点でTwitterが勝ってしまう。ノートアプリはやれることが多すぎるせいだろう。
うーん、と唸ってしまうのだが、唸っている間にCordovaあたりを覚えて適当なものを自分で作ったほうが話が早いかもしれない……。
とりあえずスマホについてはまずDynalistとScrapboxをよりアクティブにすることを考えるとして、PCの環境を検討することにしよう。
ブログ記事を書くためのツールというのはもう作って用意してあって、そのツールに不満があるわけではないのだが、いつも「よし書くぞ」という気合が入った時に使っているからか、「ぱっと開いてさっと書く」という感じではない。整理用のアウトライナーと本文用のテキストエディタを並べた形のツールなのだが、そうやってちゃんと準備して書けるように設計してあることによって、逆にラフに取り掛かることが心理的にやりづらくなっている。
なんだか変な自縄自縛だなと思うが、この類の自縄自縛感というのは「ハマれば駆動に繋がる力が、今は噛み合っていない」という時に発生する感じがあり、如何なる場合も自縄自縛感が一切発生しないツールやメソッドが常に良いのかというと、それはそれで微妙なところでもある。環境の力を借りないとうまく動けないタイプは、同じ環境の力が時として負に働くこともあるということで、今どの環境にいるべきかを上手く選択することを考える必要がある気がしている。
で、「いきなり本文書きたい時もあるよな」ということを考えていてふと思ったのだが、それならブログの記事作成画面をいつも開いておいたらいいのではないか。
常に記事作成画面に書いている人々からすると「何を言っているんだ?」と思われそうだが、私はいつも別のエディタで書いたのをコピーして記事作成画面に貼り付け、プレビューして手直しするなどして投稿するという形を取っていて、直にそこで書くという習慣がない。つまりブログというのは「書いたものを投稿しにいく」場所で、「そこで書く」ものとして認識していなかった。同じ「投稿」という行為でも、Twitterは当たり前に「そこで書く」をやっているのに、ブログではそうなっていない(最初の最初は直に書いていたはずだが)。
予め他の書きやすい場所で書いておいて持ってくる、というのは基本的には良いやり方だと思うものの、「直に書くという発想がない」まで行ってしまうとそれは「より良いやり方」の選択の結果ではなく、単に惰性でやっていたに過ぎない。直接書けるなら直接書いたほうが早いのだから、あくまで「これこれこういう理由で直接は書きづらいから、別のツールで書いてくる」という判断によって他のツールが選択されるものだろう。
こう考えてみると、もしかすると「何度か上手くいったやり方がいつの間にか前提化してしまう」というところに弱点があるのかもしれない。環境の影響を大きく受けるにもかかわらず、(あるいはそれゆえに、)特定の環境に無意識に拘泥してしまっている。いや、拘泥というか、他の環境の存在を忘れると言ったほうが正確かもしれない。
そのことについてはまた改めて考えるとして、とりあえず今思いつく範囲で動線の修正を試みることにする。
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