みうらじゅんについてもう一つ印象に残っているのが、手帳の話だ。

みうらじゅんのLOVE スクラップ - ほぼ日手帳 2017

 

まず手帳を「人に見られるのが前提のもの」として考える。これをみうらじゅん氏は「見られ前」と表現している。

家族や友人に見られたとき、もしくは落とした手帳を誰かが拾ったときに、「ああ、こいつ楽しそうだな」と思われたほうがいいじゃないですか。

そんなこと考えたことなかった! 普通は「誰にも見られないんだから何でも書こう」と言われるところだ。

 

そして、気持ちを盛り上げるために表紙を作ろうということで、なんと写真集の1ページを切り取って貼ってしまう。写真集を切り取る! 衝撃!

本来は一冊の本として鑑賞するものですが、これくらい景気のいい写真はめったにありませんから、せっかくなので貼ってしまいましょう。

デコトラのかっこいい写真をドドーンという感じに貼ったのだが、曰く、

これを貼ることで、「俺はデコトラの表紙の手帳で1年間やっていくんだ」という決意が生まれる。周りも、みんなこういう雰囲気の人だという目で見るわけです。

なるほど。ものすごく我が道を行っているように見えて、周りの目にどう映るかというのをかなり意識しているのも興味深いところ。これはもちろん周りの目を気にするということではなく、セルフプロデュースの意識。

確かに、何を好んでいる人なのか、何を見たがっている人なのかというのは、周りがその人の「雰囲気」を知るために重要な情報だ。それが見えてこない人間のことはどう捉えたらいいのかわからないものだろう。

そしてこの手帳の表紙を通して「そのように見られる」ことによって、本人も実際に「そのような人間」に近づいていくかもしれない。

 

最後は、手帳を書く時のペンネームを作ろうという話。

それから、ほぼ日手帳には名前を書く欄がありますから、そこにペンネームを記入してもいいかもしれません。「大豪寺虎男」みたいな名前を書いておいたら、1年それでやっていくわけですから、少々の悩みは吹っ飛ばせますよ。

この発想よ。すごい。

本当の芸能人だったら芸名は簡単に変えられませんけど、一般の人は毎年変えればいいわけですから。「今年はこうなりたい」という雰囲気の名前を毎年考えてつければいい。それが10年たまったら、自分の手帳でありながら、いろんな人の手帳ができるわけです。

 

この記事を読んで衝撃を受けてから結構経っているけれど、全然真似はできていない。自分の性根が全然エンターテイナーではないから難しい。でも「手帳というのは自由だ」というメッセージをこの記事から叩き込まれ、それが自分に根付いているのは確かだ。