クイズ番組が近年大流行りしていた。
それは基本的には好ましいことだったと思う。何かを知るということに興味を持ち、それを勉強然とした形ではなく笑いながら楽しんでやることができるのは良いことだ。
「クイズ」という括り方をすることで森羅万象あらゆることを扱えるのも、いわゆる勉強にはない良さだと思う。
続き(ネガティブな所感)
けれども、「知」をクイズ的に解釈することは正直に言って少々浅薄な態度だと思うし、「クイズができる」というのはそれだけでは「クイズができる」以上の意味を持たない。「知性がある」と「クイズができる」をイコールで結んではならない。
クイズ番組には様々な経歴の人が出演するが、知的に物を考えることに於いて実績があったはずの人がある種の無知を暴かれて恥をかくことが度々あったことには、実際幻滅する気持ちと、逆にクイズごときの失敗でクイズ的でない知性を侮られるのはどうなんだという気持ちもあり、色々と複雑な思いを抱かざるを得ない。
クイズができるということで出てくる人が時々自分の立ち位置をなんか変なところに置いているようなのも気になるところだ。
クイズ番組というのは多種多様な「侮り」を目にする機会でもあったなと思う。
クイズ番組を侮って何の準備もせず出演して大失敗する人。
クイズが得意という自負から万物に精通しているつもりで大言壮語する人。
クイズに対応できなかった知識人に対しその業績も無価値だったかのように笑う人。
学生時代の成績なんかを持ち出してきて自らハードルを上げながら何も成果を出せない人。
バラエティ番組としての「テレビ的な」振る舞いというのを差し引いても、ああ、高を括っているな、と感じることが毎度あった。要らんことを敢えて言って「痛い目に遭ってみせる」という芸をしようとしていた、とは思えないことが多かったし、仮にその意図でやっていたとしても「そういう芸人」でない限りは別に面白くない。
何かが存在するかしないかを考える時にその道の大家でもないのに「自分は聞いたことがない」を出してくる人が時々いる。しかしそんなものを持ち出して何の意味があるのかと思ってしまう。その人なら聞いたことがあるはずだとは他の誰も期待していないだろうに。
クイズのスターという感じで言われている人がこの間それで盛大に失敗していたが、まあ、あくまで「クイズの人」だし、視聴者も必ず正解するはずだとはそんなに思っていなかったのではないかと想像する。
いろいろ書いてきたが、そんなクイズの流行もテレビでは終焉が見えつつある。
クイズ作家たちはもうあまりテレビに協力していないのか(過労で疲弊したのかもしれない)、ここ数年は単なる雑学クイズばかりだし、長年やっていた某番組も終わりを迎えた。
少し寂しいなと思う。