昭和初期の若者(学生)は話し方や書き方が今から見ると偉そうだなと感じられる。単に文体の流行りというのもあると思うが、少なくとも「偉ぶっている」結果なのではなく、「自分なりに毅然とする」という意識があったと感じる。
その意識がないといつまでも幼稚な物言いで、例えば人と話をした時に一文一文を完結できずに単語だけ投げて雰囲気を察してもらおうとするようなことが生じるのではないか。その意味で発話にだらしがない人は老若男女問わずそこここにいる。
書いていることは話すことができる――というのは言い過ぎだとしても、文字で表現し、それを見える形で残す習慣のない人は、その分だけ話す能力の成長が遅れやすいと個人的には思います。