「世界まる見え!テレビ特捜部」なんかで時々紹介されるアフリカの人の生活を見ると、色々と大雑把過ぎて笑ってしまう。しかし、ぼろぼろのスカスカになっている自動車を自分で直して使っているのを見るたびすごいなと感心する。車とはなんなのかを分かっているからできることだ。
日本人は自分以外の誰かが用意してくれた便利さによって、多くが今や米を鍋で炊くことすらできない。生身の生活ということに於いて無力極まっている。当然、壊れた車を前にしても専門業者でなければそれを直しては使えない。もちろん勇気ある人が試行錯誤すればそのうち直せるだろうが、そのスキルは今実際に直して使っているアフリカの人に及ばないと思う。
生成AIとコーディングについて似たようなことを考える。もはや自力で機械語であるコードを書く必要はないのかもしれない。自分でテレビを作ることもパソコンを作ることもないように、自分でプログラムを作ることもなくなり、それを自力でやれる人が何かすごい技術を継承しているかのようになる日も遠くないのだろう。
近未来を描いたフィクションでは、しばしば文明にヒビが入り旧時代の技術を扱える人に頼ることになったりする。そういう未来が現実世界でもあり得るかはわからないが、古の技術の方が或る面では優れていたというようなことは実際あって、一見既に必要のなくなったものを努めて継承したり復活を試みたりということがそこここでなされている。
今から頑張ってプログラミングを覚える「必要」はもうないのかもしれない。しかし、今プログラミングができる人のその技術や、今からでも自分でやってみようと思う人のその心がけはきっと無意味なものではない。人間の世界は「食えるか否か」だけでできてはいないし、今誰かの手仕事や「自力でやる」ということを見て感慨を抱くのは、そこに間違いなく豊かさがあるからだろう。