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【うちあわせCast】『街とその不確かな壁』と『SECOND BRAIN』【第百二十五回】
2023/04/20
第百二十五回:Tak.さんと二冊の本について - 知的生産の技術
第百二十五回:Tak.さんと二冊の本について - LISTEN
取り上げられている書籍
『街とその不確かな壁』村上春樹著
『SECOND BRAIN(セカンドブレイン) 時間に追われない「知的生産術」』ティアゴ・フォーテ著
LISTENについて。
これすごいなあ。
文字起こしされたものをスラスラとは読みにくいけど、これがあるのとないのとでは全くPodcast体験が違ってくると思う。
「聴く」というのが個人的にしんどくて、辛うじて頑張ってうちあわせCastだけは追っているという感じだけど、このサービスを借りながらならもっと色々チェックできる気がする。
6:16
Bikeに関連してAPIについて。
(Webアプリは)基本APIっていうのがあって、別のパソコンとか別の環境からで、それらのノートを操作できるんですよね。
だから(ネイティブアプリのショートカットAppでの接続と比べて)どっちが閉じてないかって言うと、APIの方が閉じてないんですけど。
でもちょっと難しすぎるところはあるんで…
いや本当難しすぎる…けどAPIを使えると割と世界が変わる…。
JavaScriptを覚えればAPIに関しては大抵なんとかなるということが私の世界を劇的に変えてますが、でも「プログラミングの知識必須」というのはやはりハードルが高い。
(Bikeに関しては私はWindows+Androidの環境で生きているので今のところ無縁)
8:06
(Bikeは)アウトラインのファイル形式にプレーンなテキストファイルを選べるんですよね。だからアウトライナーでアウトラインとして操作してるんだけど、テキストファイルとして保存されてる。
それを普通のテキストエディターで開くと、普通に単にタブの数でインデントの深さが表現されたテキストファイルになってるんですけど。あれは素晴らしいですね。
そうですね。原理的に考えたら全然作れる話で。
HTML上ではアウトライナーとして使えてデータの実体はMarkdownの箇条書き形式(mdファイル)、というのを以前私も頑張って自作しました😎
(その前にLogseqを使っていて、Journal機能の感じはいいけどアプリケーションとして自分にとって過剰、と思って代替が欲しくて作った)
属性をごりごりに使うリッチなアウトライナーも面白いし、そういうものを必要としないシンプルなアウトライナーもあった方がよくて、アウトライナーとしては一見似た見た目で似た機能に思えても、そういうデータの形式で使い分けするというのもありですよね。
31:10
著者が経験してきたはずであろう戸惑いとか試行錯誤みたいなのも、きれいさっぱりないんですね。
そこが僕はやっぱりノウハウの決定的な弱点というか、人を助けようと思ってるけど助けられてないところがこういうところにあるんじゃないかなというのを、この本を読みながらずっと考えてたんですよ。
方法を教える人も人間であって、その方法にたどり着くまでにいろんな苦労があったと。つまり歴史があったと。むしろ人を勇気づけるのはそっちの歴史の方じゃないかなと思うんですよ。
人は苦労してノウハウを作るんだっていうことを伝えるということが、それよりも1000倍も2000倍も重要じゃないのかなと。
そう…なんですよね。今まで読んで響いたのはその人の歴史をちゃんと書いてくれた本だったと思います。
ただこれって、著者を「すごい人」と認識しているからその人の歴史まで知りたいとか、その歴史が論の支えになるということもあるような。
例えば「東大卒で○○の専門家」みたいな肩書がある人が失敗の歴史を語れば「そうかー」と割とみんなが思うけれど、そういう「保証」的なものがはっきりしていない著者の歴史はあんまり真剣に読まれないかも、とちょっと思う。
個人的には素直に読みたいとは思うけれど、悪書溢れる世の中なのでよく知らない著者の本には余計なフィルターをかけてしまうところがある。別に東大卒で○○の専門家なら信用できるという話にはならないとわかっていつつ。
昔に流行った本というのは、経歴の強さが支えになった面がどうしてもあると思うし、一方今はたとえ東大卒と言っても昔と比べれば肩書として重みを失ってしまったので、本当に余程存在感がしっかりした人(千葉雅也氏のような)じゃないとあの頃のようには真剣に読まれないのかもしれない…。どうなんでしょうね…。
40:22
なんか不思議なんですけど、例えば料理の本ってあるじゃないですか。レシピの本とか。
あれはこの手の(ノウハウ)本と同じような困りごとというか、自己否定に陥るほどの困難って多分起こらないと思うんですよ。料理の本って。うまくできなかったらまあうまくできなかったし、作ってみてあんまり美味しくなかったら「まあまあこんなもんか」で済ますと思うんですけど。
でもタスク管理とか情報整理って、もっとラディカルに自己否定が生まれるような気がするんですよ。
料理ってのはやっぱり料理の中だけのことですよね、うまくいかなかったとしても。タスク管理とかっていうと、人生全体みたいな感覚を抱かせちゃうのかもしれないですよね。
そうですよね。そう。ノウハウと言っても領域によっては自分が何かを「できない」とか何かが「うまくいかない」とかを割とさらっと流せるのに、タスク管理とか情報整理はなぜか「人間としての基本的な能力」を問われているかのような気に勝手になってしまう。
多分仮に料理の本なら料理というものにものすごい価値を置く環境で育ってしまうとまた違ってくるのだと思いますが、でもタスク管理とかほどダメージを受けるというのはよくあることではない。
45:43
だから(アウトライナー否定派の主張を)読んでると、僕はアウトライナーの価値を信じているので、それを読むと腹が立つ。
いやいやお前がわかってないだろって思うんですけど。
思うんだけど、それでいい気がするんですよね。
その人の個人の考えが素直に出ている方が、読み手にとってはむしろ選択肢が増えるという意味で良い…その著者の本しか読まない人っていうのは極端にはいるかもしれないですけど、そういうのを一旦例外として置けば、読者もそんなに馬鹿ではないというか。
これ本当そうだと思いますね…。
なんというか、ネット上でそういうテンションで悪口的なことを誰かが言ったとすると、正直「どうしてわざわざ面倒くさい事態を招くの?」という気持ちが先に立ってしまうのですが(自分のその反応が正解と思っているわけではないです)、でも本でそれをやるのが許されない、出版させてもらえない、となるとそれはちょっと違うんじゃないかなとも思います。
多少過激なことを言って、反対派を怒らせたりして、でもそれでいいと思う。もちろんエセなんとかを流布させているとか歴史的事実の解釈が大幅に間違っているとかは別ですが、人それぞれの美学をちょっと強力に押し出してみる、というのはあって然るべきと思っています。
その意味で、ネットの空間と本の空間は別の次元であってほしいのですが、昨今はその境界が曖昧だなと思います。ポリコレの時代になって特別区的なものが失われたということなのかもしれない。
55:16
1億人に軽く刺さるフラットな方法論よりは、500人ぐらいにぐっさり刺さるノウハウが100個も200個もあった方が、有意義というか、良い空間な気がしますけどね。
そう思います。
1:00:03
日常的にブログを更新していくと、やっぱり大きな体系をまとめるということにはなりにくくて。
(中略)
やっぱりもうブログは書いたら終わりみたいなところがずっと頭の中にあったので。
ブログで発表されていると、読む側としても「そもそもそこに体系はない」みたいな感じで読んでしまう。
体系というのは「時間の流れとは関係なくどっしり存在している」ものであるという意識があって、「時系列」というだけでもう「体系的ではないな」と判定してしまうところがある。書き手としてもそういう意識が働いてしまうように思う。
やっぱり時間の流れとは別の構造によって整理する必要があるのだなあ。
1:04:27
例えばのらてつさんが書いてるプログラミングの話、あれを見て自分もやってみようと思う人っていると思うんですけど。
思いますね。
で、まあ決してのらてつさんはその道の権威ではないけれども、もしかしたらそこからその道に入っていく人っていると思うんですよね。多分ね、十数年前の自分があれを読んだら多分やってみるような気がするんですけどね。
おお、ありがとうございます!
1:05:52
やっぱりその、同じレベルで…まあ「ちょっと先」を歩いてる先輩ぐらいの位置づけで語る人がいたら、まあ半年遅れでもちょっとやってみようか、みたいな感じにはなりやすいでしょうね。
そうだと思うんですよね。
ただ難しいのは、そういう存在というのはググっても見つけにくいし、そもそも「全く知らない人」だと「わざわざ未熟な人の語りを読む意味とは?」みたいなことにもなってしまう。
例えばTak.さん・倉下さんが私の記事をシェアしてくれたとすれば、Tak.さん・倉下さんのことを知っている人からすると、のらてつという存在がその人にとって「知っている人が知っている人」に位置づけられるので、ちょいと読んでみようかと思ってくれる可能性が生まれる。価値あるものとして扱おうという選択肢が出てくるというか。
そう考えると、記事の質・方向性をどうするかもさることながら、空間づくり的なものが重要になってしまうところはあるのだと思います。多分、ライフハックブームの時のブロガー同士のネットワークというのはそういう空間を作っていたということでもあるんでしょうね。
1:06:11
「誰でもできますよ」問題
❌
「誰でもできますよ、なぜなら私ができたからです」
⭕
「私はこうやりました」
「結果的には私はできたんで、同じやり方でできる人もいるかもしれませんよ」
「俺は誰でもできると思ってますよ」
ここのくだり、聴いていてなんだか面白くて笑ってしまいました。
なんというか、やっぱり正確なことを言った方がいいですよね。
ある程度以上の複雑さがあるものだと、「誰でもできます」というのはぶっちゃけそんなはずはないので「誇張してるな」とわかってしまう。
「盛ってるからその分差し引いて読む」みたいな回りくどいことを起こさずに、普通にその通りに書いてその通りに読んでもらえば話はシンプルになるのになあ。
1:12:24
僕はずっと読者に押し付けない方がいいとずっと思いながらこの手の活動してきましたけど。やっぱり何も押し付けないと、起点になるものが何もないなということに最近気がついたんで。
力を蓄えた読者は、俺が与えた構造なんて簡単に壊していくだろうという信頼感を持った方がもっといいんだろうなというふうには、ちょっと最近思ってます。
あーでもそうですよね。読者に対する信頼感ってのはそういうことですよね。
作家という存在であることの覚悟みたいなものを感じました。
やっぱり、あまりに「良き先生像」のようなものを目指し過ぎても駄目なところもあるんだろうなと思いました。会って話す存在と本の著者とはまたあるべき姿が違うような気がします。
「傷ついた人の心に寄り添うための本」ならまた話は違ってくるでしょうが、普通の硬度(?)の読者が相手ならむしろ「かかってこいや」くらいの強さでもいいくらいなのかもと思ったりなんだり。自分がやるとなったら難しいですが…。
面白かったです!
それにしてもLISTENのおかげで超がつくほど捗った。
Podcastの利用が自分の中でやっと「現実的なもの」になったと感じる。