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【感想】カッコつけない文章を書きたい【tks’s Substack】
ただその結果、自分のために書くと決めたのに、せっかく読んでもらえるなら、その人たちにも面白いと思ってもらいたいという欲が生まれてしまい、結果何を書いていいのかわからなくなってしまった(本来、それを防ぐためにSubstackを始めたのに!)。
あるある。
読まれないのはちょっと悲しいから読まれた方が良いと感じるのに、読まれていると思うと急に自由を失ってしまうという。
私の場合、「なんか、読み続けるほどじゃなかったかな」とか思われるのが怖いと思ったりしてしまいますね…。「期待外れ」という評価に対する恐怖というか。
どうしたものかと思っていたが、最近、のらてつさんがたくさん書いているのを見て、私も書かねば(?)と思った。
いいぞいいぞ。
見た人読んだ人が「何か自分もやりたい」と思うというのは私の理想のひとつなので、大変嬉しいです。
のらてつさんの文章については、毎回楽しませて読ませてもらっているが、内容とは以外にも文体や書き方にも注目している。
おお、なんと。ありがとうございます!
のらてつさんの文章を読むと、自分だったらここは削るだろうとか、書かないだろうと思うところがある(念のため、悪い意味ではない)。
結果、書いていることに嘘を感じないというか、ちゃんと本当に思っていることを書いているのだという印象を受ける。そこが面白さであり、良さであり、羨ましさを感じる。
とても嬉しいです。「自分だったら~」というのもよくわかります。私も昔の私だったらこうは書いていないなと自分で思う部分が結構あります。
昔とは「演出」をするベクトルが全然違っているんですよね。昔は演出というか演技の部分が結構多かったのですが(こういうキャラに思われたい的なものも含めて)、今は「私はこう感じているんです」というのがなるべく誤解なく伝わるように導くための演出という感じがあります。
自分の文体が良いのかどうかは自分にはわからないので、本当に嬉しく思います。
こうするしかないと思ってなるべく堂々とした顔でやろうと心がけていても、「でも全然面白くないかも~~~!」という恐れはいつも抱いています…笑
だいたい1回の投稿で言いたいことを1つ決め、それを他人に伝えるために書いていく。そのために、「作文」をしている感覚が強い。その結果、「もしかしたらこの部分は冗長だったり、無駄かしら」という部分を削ることが多くて、文章としては綺麗に書けるようになってきたと思う反面、自分自身しかない固有の部分が薄れている気もしている。
わかる!
noteに書こうとしていた時にこれに陥って、私の場合は自分にとって「悪いこと」と言える程にマイナスに働いてしまったので(マイナスになるかどうかは人それぞれと思います)、反動で今の文体になったという感じです。
私がtksさんと違って致命的に失敗していたのは、「言いたいこと」の部分自体が自分由来ではなく「自分以外の誰かにとって有意義かもしれないこと」という想像上の何か由来だったことですね…。自己が薄れているどころか何もない…。
言及していただきありがとうございます。嬉しさと共感のあまり、文単位で感想を書いてしまいました😊
tksさんのSubstack活動が自由で豊かになるよう応援しております🙌
自分が読んで「なかなか面白いじゃないか」と思えたら勝ちだと思っています!
お返事をいただきました。ありがとうございます!
「最初はいい印象だったとして、だんだんと印象が悪くなるのに耐えられない」がすごくわかるんですが、そういう目に遭ったことがあるのかというと、実際には遭ってない(あったとしても繰り返し思い出して気に病むほどのトラウマにはなっていない)気がして、謎の悩みだなと思いますね…。どうしたらいいんでしょうね…。後でもうちょっと考えたいところ。