3月の振り返り。上旬まではどちらかというとゆっくり感じられたのだが、最後の方は一瞬だった。
今回は忘れていたわけではなく昨日のうちに公開するつもりで書いていたが、いろいろ書いていたら思ったより時間がかかってしまった。
【行動】情報を収納する
今月はDynalistのアウトラインのフレームについて考えて「プロジェクト」を扱う構造に答えを出したのと、Dynalistと互換性のあるアウトライナーの開発(自分用)に取り組んだ。
アウトライナーはDynalist以外いまいち合わない(Windows民なのでBikeは使ったことがない)のでDynalistをずっと使っていたいのだが、サーバーエラーが偶に起こることと、開発が放置されていることが心配の種になっている。使えなくなったら大変困ってしまう。
ということで、自分で互換性のあるアウトライナーを作ることにした。自分でと言っても生成AIを使ったバイブコーディングだが、自分がいなければ存在しないものを生み出しているのでまあ作っていると表現してもいいだろう。
Deno Deployを使ったマルチデバイス対応のアプリケーションを作り、DynalistからエクスポートできるOPMLとAPIで取得できるデータのJSONのインポート機能を備え、いつでもそのまま移行できるようにした。機能はほとんどDynalistのものを踏襲していて、自分独自のものはごく細かい機能に留まる。
つまるところDynalistのパクリになるので公開はしないが、これで万が一Dynalistがなくなってしまっても困らなくなった。でもDynalistがある限りはDynalistを使うと思う。Dynalistを安心して使えるというのが重要だ。
【行動】本の執筆を進める
本を書いてみようと思って考えていると、考えのコアの部分に変更が生じたりして、「これより手前の段階で書き進めていたら見切り発車だった」ということによくなる。なかなか難しい。
ということで「これでいいか?!」「今度こそこれでいいか?!」を繰り返している感じで、文章の完成度としてはあんまり進んでいないのだが、書くべき考えの部分はやり始めと比べて大幅に深化している(当社比)。今月は特にそんな感じだった。
【行動】サイトの管理を滑らかにする
まだ途中だが、ClaudeとGemini CLIを使って記事データを作るためのMarkdownエディタを作り始めた。
元々mdファイルでの管理というのはObsidianでやれるようにと思って始めたようなものなのだが、Obsidianには細かい不満があって、Dynalistとは違って自分に馴染む感じがいまいちないので本当にこの形式がいいのだろうかとずっと思っていた。しかしダブルブラケットのサジェストなどを自力で実装するのはどうにも億劫で、データを自由に扱うにはObsidianに頼るほかないのではないかという結論だった。
しかし生成AIの誕生と進歩により、エディタを作るのが非常に簡単になった。誰でも自由自在になんでも作れる、とまでは言いづらいが(生成AIとのコミュニケーション能力が問われるので)、素人が自分で作るのと比べれば誇張ではなく労力が一万分の一くらいになる。
ということで、それまでObsidianの力を借りるしかなかったmdファイル編集について、自分に必要な処理だけを搭載したエディタを作ることにした。
【心がけ】自分の動揺の根拠を明らかにする
今月は自制心を試されることがそこそこあった。でも最近は自分の状態が把握できていないせいでどうこうというより、単純に不快感のレベルをどこまで耐えるかという忍耐力の問題になっている感がある。
忍耐力が理想に届いていないことについて「なぜ耐えられないのか」を突き詰めることは大事だとは思うけれども、シンプルに不愉快なものというのはあって、それをどうするのかは自罰的に考えてもしょうがないような気もする。
不快であることを表に出したくないという自分の望みを叶えるには何をどうするか、というノウハウの問題になってきているとも感じているし、その意味で目標をちょっと変更してもいいかもしれないと思う。
【心がけ】文化的趣味の実践と知識の獲得
元々想定していた「文化的趣味」の範疇からは外れるが時間を割いていたのでもうここに加えてしまうことにするけれども、「自由にものをつくる」タイプのゲームをちょっとやっていた。(今月からではなく、もっと前からやっていた。)
正直なところそういうゲームは得意ではなく、大昔にやっていた「マリオペイント」は自分で何かをするより製作者のセンスと遊び心に感動するばかりだったし、「RPGツクール」はまともに完成させられた試しがない。作りたいもの、表現したいものが特にないので、自由を与えられても何もできないのだ。絵を描く趣味も一応あるが、それも模写や写実の方が楽しくて、いわゆるアートを生み出すことはできない。
この「自分の中から生まれてくるものの無さ」ということには昔からコンプレックスを抱いている。自分は空っぽだという気持ちがずっとあって、それはいくつかの要因があるが(脳内物質がどうこうという生理的な次元の理由も多分ある)、そのひとつとしてこのアート心の欠如がある。
先天的な才能の無さ、気質的な向かなさというのも正直あると思うのだが、それと同じかそれ以上に大きな原因になっているのが「鍛錬不足」ということだと思う。表現したいものというのは自分との対話を通じて洗練され強化されていくものだと思っており、しかし私は自分自身がわからない状態で過ごした年月が長かったので、自分に問うということを始めたのが遅かった。「AとBのどちらがいいか」という質問に答えるのがおそろしく大変だったし、かなり鍛えたはずの今でもそうスパッとはいかない。
で、「自由にものをつくる」ゲームをやるとなると、自分の何もなさと直面することになる。センスがないとか能力がないとかいう話以前の問題で、「こんな感じだったらいいと思う!」という画がさっぱり浮かばない虚無感との戦いである。昔だったら楽しめないのでやめてしまったが、これを楽しめるようにならないと多分自分は自分に納得できないなと思ったので、訓練としてその種のゲームをやっている。
つくりたいものを思い描くのはまだ難しい。でも「AとBだったらAかも」という判断を地道に繰り返していくことで自分を発見し、「つくってみて良かったもの」を増やしていった先でやがて想像が実践を追い越して、「まだつくれていない、つくりたいもの」が膨らむようになったらいいと思う。
【心がけ】Googleストリートビューで旅する
家の近辺、徒歩で行けるような距離を細かく見てみた。歩いて見て回ればいい範囲なのでGoogleストリートビューのすごさを十分に活かしているとは言えないが、もろに住宅地みたいなところをうろうろするのもそれはそれで躊躇われるので、そういうところをネットで見れてしまうのはありがたいことだ。
慣れた土地の地理は道順で覚えていて、実際何がどの位置にどういう向きで存在しているのかというのが実はよくわからない。普段頭の中で俯瞰するようにマッピングするタイプではないから、航空写真を見るとへえと思うことが結構ある(普通の単純な地図で見るのとはまた違った感じ方になる)。
十年二十年暮らしていたとしても、漫然として決まった道しか歩かなければ地元のことはさっぱりわからないままになる。月並みな連想だが、それは「自分のこと」全般について同じことが言えるだろうなと思う。
そんなところか。今月の振り返りというよりちょっと長めのつぶやきを並べたようなものになった。
目標は基本的には変更なし。「自分の動揺の根拠を明らかにする」と部分だけちょっと再考する必要があるかもしれない。
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